第一章
第1話
「…………は?」
己の部屋でいつも通りにベッドで寝落ちしたはずの青年であったが、彼が目を覚ましたのは自身の部屋とは似てはいるものの、似つかない部屋。そんな何故か既視感のある部屋の古びて朽ちたベッドの上。
とてもではないが人が生活できる部屋などではなく、汚部屋と言える部屋の主である青年であって流石に生活するのは厳しい酷く寂れた部屋。
「いやいやいやいやいや」
当然青年の頭に浮かぶのは困惑の感情だった。
何故ここに居るのかわからない。
攫われたにしても理由など見当も付かない。まさか親が自分を見捨て、何かしらの怪しい団体にでも相談した結果だろうか?それにしてはやり過ぎだろう。
では他にここに自分が居る理由は?
困惑が大部分を占める頭の片隅で現状の原因へと考えを巡らせる青年。
視線は定まらず、頭ごとあちらこちらへと向けられ―――
『バキッ!』
「っ!?痛っ!!」
辛うじてベッドの原型を留めていた脚が4本、総じて折れ、青年を乗せたまま床に落下。
突然の落下に心臓を跳ねさせた青年の臀部を衝撃が襲った。
幸いなのは落下したと言っても所詮はただのベッドの高さ。それほどの衝撃でもなかったが多少の痛みを感じたのだった。
『ミシッ』
「―――なんか、やばい?」
続いて聞こえて来たのは今しがた落下した先の床。
見た目ではただの地面とそう変わらない様に見えはする。だが、よくよく見ればそれは木造。木の床である。
ベッドは朽ちており、今青年が乗っている重さだけで折れてしまった。それほどまでに老朽化していた。では同じく老朽化している様に見える木の床はどうなる?
疑問と同時に感じた不安は、次の瞬間に見事的中。
『ガラガラガラガラ!!』
「っ!?!?」
青年が落ちた床は見事に抜け、自分が二階に居た事を強制的に理解させられた。その代償は先程の衝撃とは比べられない強さの衝撃。それを背中全体で感じさせられ、腕、そして足、胸、腹、頭と、全身に鈍い衝撃が幾度も襲ってきたのだった。
「いてててて…」
音は大きく、盛大。
落下した高さも二階からと、中々のもの。
更に青年が落下した先も散らかり放題の有様で、落下した際にごつごつとした感触を背中に感じている。そんな地面に落下したのだから相当に背中にはダメージがあった。
加えて上からも青年をいくつもの木片や残骸が襲っている。
それでもなお、青年は「痛い」と愚痴を零せる程度しかダメージがなかった。
「ゴホッゴホッ!!…けっむ」
巻きあがった埃、土が辺りの視界を奪う。慌てて何も無いかの様に起き上がる。ガラガラと起き上がった事で新たな埃を巻き上げつつ、咽ながら青年は顔をしかめ、手を払う。
「あ~びっくりした…よく無事だったな…」
まだ埃舞う状態ではあるが、視界が開け、周囲を見るよりもその前に、上を見上げ、自分が落ちて来た二階の床の穴をしげしげと眺めてから、ホッと一息。漸く周囲へと視線を向ける。
「…なんか、ここにも見覚えが…?」
落ちた先の周囲も二階と同じく朽ちた部屋である。しかも、上からの落下物が大量に蓄積されており、無残だった部屋が更に無残な状態へとランクダウン。それでもなお、そこは二階の目覚めた部屋と同じ様に、何故か既視感を覚える青年。
「――――――おいおい。まさか…」
見覚えはある。
しかし、見覚えが無い。
そんな矛盾した風景をじっくりと眺める事数分。
見覚えない風景に見覚えがある風景が次第に重なっていく。
そこではたと気が付いた。
「家…?」
見えて来た風景は自身が生まれてから今まで育って来た我が家だった。
しかし、明らかにこの家、部屋は人が居なくなってから暫く時間が経過している。でなければここまで朽ちる事はない。少なくとも数年。数か月程度の朽ちた風景ではない。
そんな場所になぜ自分が?
そんな場所がなぜ家と重なるのか?
湧き上がる疑問が頭支配し、考えても仕方のない、分かる筈もない答えの出ない疑問が頭を駆けまわる。
湧き上がる疑問の所為で落ち着きなど取り戻せる筈もなく。ただ落下した際に驚きから激しく脈打つ心臓が落ち着いただけの時間。
そこで、新たな問題が発生する。
『ドゴォッ!!!!!』
「っ!?!?」
新たな問題の始まりは極身近で起こった爆発の様な物音だった。
「何なにナニ!?」
青年が落ちて来た場所はリビング。
元リビングと言った方が正しくはあるが、そんな場所からほんの少しだけ離れた玄関。そこが音の発生源。
その音、爆発は明らかに青年の居る建物の中に向かって爆発している。それは音の発生と同時に視線を向けた時に僅かに青年の目にも見えた煙の流れる方向からも伺い知れた。
「ドォゴォダァーーー!!」
「っ!?」
次に聞こえて来たのは酷くしゃがれたガラガラの声。まるで重度の風邪をひいた人間が無理矢理大声を上げているかのような酷い声色。しかし、風邪をひいた人間特有の気怠さや覇気の無さは皆無。それとは逆に覇気は満ちている。どこか怒気を含んでいる様にも聞こえる大声。
「マジで何なんだ…?」
「ダァ?!」
「っ!?」
つい漏れ出た呟き。
しかし、爆発音、怒声と続いた後はただただ無音。そんな中に驚くほどに響いた青年の囁き声は正体不明の怒声を上げた存在にまで届いてしまっていた。
「ドォゴォ!!ゴォゴォ!!」
「っ!?」
青年の記憶では玄関から今現在及び腰で立っているリビングまですぐ。
玄関を上がり、僅か数歩歩けばリビングの入り口へ辿り着く事が出来る。しかし、正体不明の存在はそんな数歩を煩わしいとばかりに直接リビングと玄関を隔てる壁を突き破る。
「…ば、化け物!?」
「イィダァ!!」
青年の前に現れたのは化け物。
辛うじて人間の形はしているが、それは頭があり、二本の腕があり、二本の足で立っている事だけが共通点。全てが肥大化した状態であり、腕も足も体も異常に大きい。頭だけが異様に小さく、普通の人間サイズのそれ。逆にその不釣り合いとなった本来の大きさの頭の所為か余計に気持ち悪さが際立っていた。
「ダァ!!!!」
「ちょっ!?!?」
そんな巨大な体からは想像できない動き、速さで青年へと迫る。しかも、巨大と成り果てた腕を後方に振りかぶりながら。
その態勢はどう見ても自らを殴らんとする姿勢に見え、抗議の声を上げた青年だったが、その程度の事では止まらない。凶器と化した腕が、青年へと迫る。
が
「……あ、あれ?」
いつの間にか。
否。
一瞬で化け物との距離が開いた。
しかも、青年は化け物の背後に立つ形で立ち、先程まで視界に収めていたはずのリビングの入り口に立っていた。
「どうなって…」
「ドォゴォ?!?!」
空振り、見失った青年への怒りを顕に怒声を放ち、ぐるりと巨体が青年へと振り返る。
「イィダァ!!!」
「クソが!!」
取り合えず不可思議な現象は脇に置く。それよりも先に逃げを選んだ青年は化け物に背を向け外へとひた走った。
当然。と言うべきか?
化け物は青年を目標としていた事は明らかで、逃げる彼を追い掛ける。
巨体の割に動きが速く、一般人でしかなく、それなりの期間部屋から出る事が無かった青年の体力と脚力は酷く衰えていた。
瞬く間に追いつかれる。
そのはずだった。
「んん!?体軽っ!!」
体の異常な軽さを実感。またもや頭に疑問の渦が渦巻く。しかし、足は止める事無く外へ。それでも止まらずに走り続ける。
周り風景も我が家だと思われる家と同じく酷い有様だった。
家々のほとんどが倒壊しており、その風景は元街。何が原因かは定かではないが、街は崩壊してしまっていた。
「おいおいおいおい。マジでどうなってんだよ!?」
「「「「ガァアァァァァァ!!!」」」」
「はいぃ?!また化け物!?」
青年が上げた困惑の叫び。
またもやその声に反応するのは化け物。
しかも、それは先程襲ってきた化け物とは別。
後方からは変わらず巨体の追い掛けるドデカイ足音を響かせている。それとは別に別々の方向から青年の声に反応した咆哮が轟いた。
「5匹!?」
逃げる方向が見事に潰されている。
その事に気が付き愕然とし、思わず足を止めてしまった青年は途方に暮れる。
背後から、左右から、前方からも化け物が迫っている。
どいつもこいつも道など知らぬとばかりに障害となる物を蹴散らしながらの移動。異様に大きい足音と、障害物となっている物が壊される破壊の音。それらが青年の思考をより狭めていく。
どうすればいい?
その思考に囚われ、肝心の体の動きは全く無くなっていた。
「そこの貴方。何故こんなところに?一体何がしたいのですか?自殺ですか?」
「は?」
落ち着いた声音。
何処か冷たささえ感じる程に落ち着いたその声は、いつの間にか青年の少し離れた隣に姿を現した少女が発していた。
「だ、誰?」
「それはこちらのセリフです。
ここは『特別危険地帯』です。貴方、男性?…何故この場に居るのですか?それに、その恰好…」
『特別危険地帯』。
その名称に首を傾げ、更に少女からの問いかけに内心で首を傾げながら自分の体へと視線を落とした青年だったが、三度首を傾げる事になった。
「いや、別にどこも変じゃ…」
青年の格好はジャージ姿。
どこにでも居るであろうありふれたジャージを着ただけのものだ。色々とあってそれなりに汚れてはいるが、変、とは言えない。色も黒で奇抜なものでもない。
「まあいいです。自殺志願者ではない、という事でいいですか?」
「ち、違います!」
「それは良かった。こんなご時世で、男性が自殺など世界の損失でしかありませんからね。詳しい話は後ほど。どこかに隠れていてください。それから大声は上げない様お願いします」
「え?いやちょっ!?」
青年が声を上げたが、それは遅かった。
遅すぎた。
どこか軍服の装いを彷彿とさせるデザイン。パンツスタイルの少女は遥か遠く。深紅と金の服が化け物が居る方向の一つに突撃していた。
「あ~~~~もう!マジで意味が分からん!」
少女の注意はどこへやら。青年は声を僅かに荒げつつ、身を隠すべく周囲を見るが、どこもかしこも壊れてしまった家しかない。それでもどうにか身を屈めれば入れそうな瓦礫の隙間を発見し、急いでそこへと向かい、身を隠す。
今の青年には少女の心配など頭には浮かばない。
ただただ自身が助かりたい思いと、その方法だけに思考が傾いていた。
時折聞こえてくる爆発した様な音。そして咆哮。
このまま隠れていれば助かるのか?
移動した方が良いのではないだろうか?
しかし、先程の少女は隠れろと言った。言う事を聞いておいた方が助かるかもしれない。
ぐるぐると回る思考は何一つ有益なものはなく、ただただ疑問を、不安を羅列するだけ。そんな無為な時間は15分続く。青年にとっては長い長い地獄の時間。知る術は無いが、15分と言われても信じられないくらいに長く感じた時間は前触れなく終わりを告げた。
「無事ですか?」
「ヒッ!?」
「…男性に怯えられるのは流石の私でもショックです。私、怖いですか?」
青年が隠れる瓦礫の隙間を覗き込んできたのは先程の少女。
未だ大人とは言えない幼さを感じさせる低い身長と童顔。そんな少女に怯える20歳の男性。
中々に情けない姿である。
「え?…え?…ば、化け物は?」
「全て対処しました。残念ながら2体逃げられてしまいましたが、少しの間はこの場は安全です」
「あ、ありがとう、ございます?」
「いえ、これも仕事ですので」
「…仕事?」
驚異の報告に疑問の感謝を伝えた青年だったが、その返答に対しての「仕事」と言う言葉に最早何個目かもわからない疑問を抱いた。
「取り合えず移動しましょう。街へ戻ります。付いて来てください」
「え、あ、ちょ」
さっさっと動き出した少女を追いかけるべく、慌てて瓦礫の隙間から這い出る青年。這い出てからは少し駆け足で先を進んでいた少女を追い掛ける。
青年からは見えはしない。
だが、整った、まるで人形の様な少女の頬が僅かに朱に染まっていた。
身長は150cm程。
顔つきは人形の様に整っているが、童顔。
黒く、艶のある濡れ羽色の髪の毛は長く、少女の腰を僅かに超えている。
改めて感じた少女の幼さと、見目の良さを思い返して、青年は落ち込む。
「(こんな小さな子、しかもめちゃくちゃ可愛い女の子に助けてもらったとか…男として終わってる…)」
青年の生きて来た今の時代を思い返せば古い考えとも言える。
今の時代は男女平等であり、男性らしく、女性らしくなどはあまり言われなくなった時代。だが、やはりどこかに残った古い考えは根強く残っている部分があり、『男は女を守る』とついつい考えてしまう。
女性の性格次第では怒り出す事もあり得る事なのだが、仕方ないとも言える。
恐怖からの解放と気分の落ち込みから体からは力が抜け、ただ淡々と足を運ぶ青年。それとは対照的に落ち着きを取り戻した少女は、少し吊り上がった眼で周囲へと眼を配り警戒をしながら静かに歩く。時折チラチラと青年へと眼を向けては頬を僅かに動かしていた。
ゆっくりと流れていく風景は変わらず、どこもかしこも瓦礫の山。たまに残っている建物も見るからに寂れていて、今にも倒壊しそうな雰囲気を出している。
青年は逃げるのに必死で見てはいるが記憶には無く、思い出そうにも思い出せないが、自身の家に似た建物も同じく寂れていた。もし、その様を見ていたら何かしらの感情を抱いていただろう。
「あ、あの、どこまで行くのかな?」
「あちらにビルが見えますか?あの周辺が街ですので、そこまで取り合えず目指します」
「…(マジか。遠っ)」
少女が指を差した先。
確かにビルが立ち並んでいるのは見えるが、眼を凝らして見えるくらいに遠くにある。その情報に思わず心で辟易とする青年だったが、足は進めなければ着くものも着かない。仕方なく心では文句を零しながら足を動かしていく。
「色々と聞きたい事はありますが、今は少しでも早く移動したいです。…男性に酷かもしれませんが、走れますか?」
「へ?あ、ああ。どれくらいかは分からないけど…」
「合わせて走りますので、疲れてきたら教えてください。無理はしなくて大丈夫です」
「りょ、了解」
軽く、息を吐き、少し深めに息を吸い込んでから足に力を入れ、地面を蹴った。
「「っ!?」」
驚きが二人を包む。
「ま、待って下さい!」
「どぉおぉお?!」
余計な力が体全体から抜け、ただただ走る事だけを自然と考え動かした。その結果。何故か異常な加速と速度を出して走り出した青年は、少女の咄嗟の停止の呼び掛けに慌てて止まろうとするも、急な停止をするための変な姿勢と体験した事のないスピードに振り回され、少し進んだ先で盛大に転んでしまうのであった。
「あいたたたた」
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。うん。大丈夫…かな?」
転んだ時に打った腰をさすりつつ、返事を返して立ち上がる。
腰をさすってはいるが、別に痛みがある訳では無い。ただ『転んで打った』から『痛い』と言う思い込みからたださすっているだけ。そんな痛まない腰に立ち上がってから気が付き、またもや首を傾げつつ普通に立つ。
「どういう、ことですか?」
「どう、と言われても…。俺も分かんない。あんなに速く動けない…はずなんだけど」
「まさか…覚醒者?」
「はい?」
本当に疑問だらけの青年。
もはや疑問が多すぎて嫌気が差し始め…。
「(もういいや。また化け物が出て来ても嫌だし。もう全部あとあと)」
「少し事情が変わりますが、目的地は変わりませんね。もう少しゆっくりでいいので走って行きましょう。覚醒者であるなら思っているより早く帰れそうです」
「了解」
疑問、考える事を放棄した青年は少女が僅かに考える仕草をした後に口にしたこれからの行動予定を素直に頷いて了承。先程よりも注意をしつつ足に力を入れ、走り始める。
今度は上手く調整が出来、青年にとっては驚きの速度で。アスリートにとっては日常の速度で走る事に成功した。
「もう少し速くてもかまいませんか?」
「え~っと、これくらい?」
「十分ですね。もう少し速くても構いませんが、この速度であればそう時間はかからず街に帰還できるでしょう。このまま行きます。もし辛くなり始めたら早めに声を上げて下さい」
「了解」
アスリートレベルの速さに難なく付いてきた少女は、これまた難なく口を開き、問題なく会話を始める。そしてそれは何故か青年にも可能で、更に速度も上げる。ギリギリ短距離走のトップアスリートたちが全力で出せるかどうかのスピードにまで上げ、それを二人は難なく維持。更に会話も可能な状態であった。
息切れもなく、その事と体の軽さに嬉しく思い、高揚した気分のままに青年は走り。そんな青年も警戒しながら並走する少女。
二人は暫く、凡そ30分と少しの間走り続けた。
「…やっぱり壁…」
辿り着いた『街』。
全容は見えはしないが、街と言われた先には『壁』が囲っていた。少し前から見え始めた壁。それはやはり近づいて見てみても壁で、その壁は左右を見れば僅かに彼らが今居る方向に湾曲している事が伺えた。
「なんで、壁?」
「お兄さん。こっちです」
「あ、はい」
高く高くそびえる壁。頑丈そうなコンクリート製の壁を見上げていた青年は少女に声を掛けられ、視線を戻す。少女が誘導する先へと息切れどころか、汗一つかかないままで付いて行くのだった。
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