第7話

第7話


「じゃあ開けるよ」

俊はそう言いながら躊躇いなく封筒を開いた。


中から出てきた一枚の紙。

その紙には鳩山が喉から手が出る程欲しかった二文字があった。


合格


鳩山はその二文字を見た時、本気で何かの間違いだと思った。運営の送り先ミスか、はたまた採点ミスか、どちらにせよ俊の合格は何かの間違いだと踏んでいた。


それは両親も同じだったようで、合格の二文字を見た両親は喜びよりも先に動揺が来ていたようだった。


「合格…してるのか?」

いかにも半信半疑といったような感じで鳩山の父が呟いた。


続けて

「俊、お前はちゃんと解けた実感があったのか?実感が無ければこの合格は何かの間違いということになるが…」


と、目線を合格通知から俊に移しながら言った。


「ちゃんと解けたよ、毎日ちゃんと勉強してたじゃないか」

さも当たり前かのように俊が言った。


「で、でも!勉強していたといっても毎日30分程度だったじゃないか!なんならしてない日もあった、合格なんて有り得ないよ」


抗議したのは鳩山だった。


「確かにそうだ。もう一度聞くが俊、本当に解けたのか?」


鳩山の父が低い声で問い詰めるように聞いた。


「うん、本当に解けたよ」


俊は真剣な眼差しを鳩山の父に向けて答えた。


「俊お前は天才だ…!」


鳩山の父は俊を強く抱きしめた。

その顔は喜びに満ち、目に少し潤みがあった。


鳩山はそんな父の姿を見たのは初めてだった。


鳩山の父は、鳩山が部活で賞をとった時も、定期テストの順位の自己ベストを更新した時も鳩山にこんな一面は見せなかった。


見せなかった、というよりは鳩山が引き出せなかったのだ。


鳩山は自身の無力さと俊に対する傲慢を痛感した。そしてそれと同時に気が付いた。


いつからか抱いていた物足りなさの正体に。


それは畏怖だ。

俊にはあって鳩山には無いもの。

それが畏怖。


皆、俊にはある種の畏怖を抱いているのだ。


父も母も、そして学校の教師や生徒に至るまで、様々な人が俊に畏怖を抱いている。


俊の底知れぬ才能に、皆恐れおののいている。そしてそれは鳩山も例外では無かった。


鳩山は畏怖される存在になりたかったのだ。


どれだけ優秀だと周りから言われようが、鳩山は優秀の範疇を出なかった。


ーどれだけ頑張ろうと、自分は俊のような一目置かれた存在にはなれないー


鳩山はその事実に気付いた。

気付いてしまった。


瞬間、久しく忘れていた劣等感が鳩山を支配した。


湧き上がってくる激情、無意識に手に力が入る。鳩山は途端に俊が憎くて仕方なくなった。


強く奥歯を噛み締め、父に抱きしめられている俊に目を落とす。


白い肌に通った鼻筋、アーモンド型の二重目に血色の良い薄い唇。


兄の鳩山から見ても美少年な俊は、父の腕の中で幸せそうな顔をしている。


鳩山の欲しいものを全て持ち、神の寵愛を一身に受ける俊は鳩山のコンプレックスそのものだった。


「お兄ちゃんどうしたの?」


俊が鳩山の異変に気付いた。


「いや、なんでもないよ。俊、合格おめでとう」


鳩山は取り繕うようにそう言った。


「ありがとうお兄ちゃん」


そう言うと、俊は鳩山に笑いかけた。


「じゃあ今日は盛大にお祝いしないとね、ほらみんな食事の準備して!」


ずっと黙っていた母がそう催促すると、俊と鳩山の父は台所へと向かった。


その背中を見ながら、鳩山の母が鳩山に声をかけた。


「大丈夫よ」

一言、それだけだった。


鳩山の母はふわりと鳩山の頭を撫でると、台所に向かってしまった。


鳩山は母の優しさが嬉しかったが、同時に痛くもあった。


身体の底から湧き上がる暗い感情を押し殺し、鳩山も台所へと向かった。


この日、鳩山はこの世の不条理を知った。



俊の合格から三ヶ月程経ち、桜の花びら舞う季節に俊は神戸にある下宿先へと旅立った。


鳩山は中学三年になり、水泳部の部長になっていた。後輩達から慕われ、部活の顧問からの信頼も厚い。


今まで通りの学校生活だ。

しかし、鳩山の心中は穏やかではなかった。


何をしていても鳩山の頭の中に浮かぶのは俊の姿だった。


三ヶ月前のあの日から、鳩山の世界は大きく色褪せてしまった。


どうしようもない劣等感をかき消すように、鳩山は部活にのめり込んだ。


鳩山はこの二年間で地区大会優勝、県大会ベスト8に上り詰めるほどの実力者になっていた。


勉学も見た目も俊に敵わない中、運動だけが鳩山の唯一のアイディンティティだった。


学校の部活では身体作りを徹底し、週に四回は都内にある温水プールで泳いでいた。


泳いでいる間だけは全てを忘れることが出来た。だから鳩山は水泳が好きだった。




そんな鳩山が俊の水泳部入りを知ったのは梅雨も明けた初夏のことだった。

























 

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