第6話

第6話

中学受験をすると決めた鳩山はその日から猛勉強を始めた。塾にも通い、毎日帰宅後は勉強をし、土日も勉強に費やした。


勿論その間も林達からのイジメには遭っていたが、鳩山は抵抗しなかった。抵抗したら林達が躍起になって、余計悪化すると田中の時で学んだからだった。


しかし、いくら心持ちを強く持とうと、イジメは鳩山にとっても辛いことだった。

何度も何度も両親に相談することを考えた。


しかしその度に脳内にチラつく俊の姿があった。ただでさえ情けない兄なのに、イジメられてるとなったら余計に情けない兄になってしまう。その懸念が鳩山を踏み留まらせていた。


イジメによる疲労は鳩山の精神を少しずつ蝕んではいたが、鳩山は耐えていた。


ー中学受験に成功して必ずこの地獄から抜け出してやるー


この想いが心の支えと、勉強のモチベーションになっていたからだ。


勉強を続ける自分に意味を見出し、鳩山は勉強に身を投じ続けた。


毎日続く勉強とイジメの日々を耐え、鳩山は遂に灘中学受験の日を迎えた。


小学六年生の1月9日


緊張と希望に胸を膨らませた鳩山は家を出た。


「いってきます」

声変わりに差し掛かった掠れた声で鳩山は母に別れの挨拶をし、路地を歩く。


いつも通ってるはずの道、しかしその日はなんだかいつもと違って見えた。

世界の全てが希望に満ち溢れていた。


鳩山は家の方を振り返り、玄関先でこちらを見ている母に大きく手を振り、再び歩き出した。


受験は思ったより、あっさりと終わった。

特にミスをすることもなく、自身の持つ力を十割発揮出来た鳩山は、合格を確信していた。


受験日から二日後、鳩山家に合否を知らせる封筒が届いた。


ドクンドクンと大きな音を立てる心臓を落ち着かせ、鳩山は母と共に封筒の中身を見た。


そこには不合格の三文字があった。

鳩山は言葉を失った。


ミスはしなかった。最大限のパフォーマンスで挑んだにも関わらず落ちたのだ。


鳩山が圧倒的な敗北感に打ちひしがれていると、母が慰めの言葉を掛けた。


「和夫は良く頑張ったわ。今回のことは残念だけど、何もこれで人生が決まる訳じゃないわ。大学受験が一番大事だから、大学受験頑張りましょうね」


そう言いながら鳩山の頭を撫でてくれた。


「ありがとう母さん、大学受験では失敗しないようにこれからも頑張るね」


鳩山は泣かなかった、母の前で弱い所を見せたくなかった。


「じゃあ僕はもう寝るから、おやすみ」


鳩山はそう言い残し、自室へと戻った。


部屋の電気を消し、ベッドに横になる。

そして目を瞑る。


その瞬間襲いかかる不安と噛み締めるような悔しさ。


いつも家族の前では気丈に振る舞う鳩山も、その日ばかりは枕を濡らさずにはいられなかった。


鳩山は滑り止めで受けていた渋谷幕張中学に進学することに決めた。

灘中学と比べたら劣るが、全国でも有数の進学校だ。


それに何よりも鳩山にとって、この小学校での生活を脱することが出来るのが一番嬉しかった。


小学校を卒業し、心機一転して渋谷幕張中学に入学した鳩山はそこでの生活に驚くことになる。


そこでの生活はあまりにも楽しかったのだ。

素養のあるクラスメイトに大学教授並みの知識を持った教師陣。


鳩山が追い求めたものがそこにはあった。

イジメのイの字もないようなその生活に鳩山は歓喜した。


鳩山は入学してすぐに水泳部に入った。

前々から中学に入ったら水泳部に入ると決めていたのだ。

というのも、鳩山は人より泳ぎが上手かったからだ。小学校の時から、スイミングスクールに通っていた訳でもないのに人より速く泳げた。


鳩山はいつの日か母に言われた「得意なことを頑張る」を実践したのだ。


その甲斐もあって、鳩山は一年ながらリレーのメンバーに抜擢された。


勉強もすこぶる順調で、定期テストでは毎回20位以内に入っていた。


順風満帆とはまさにこの事だった。

良い友達に囲まれ、文武両道。

鳩山は教師からも親からも褒められる優等生だった。


しかし鳩山は何処か物足りなさを感じていた。

喉に魚の骨が刺さっているのに中々とれない。そんなもどかしさだ。


鳩山が中学二年のある日、朝食を家族で食べていると、俊が口を開いた。


「お母さん、僕も中学受験する。あとピアノは辞める。」

何気ない口調でそう言った俊の顔は真剣そのものだ。


一方、鳩山の母の顔は驚き一色だった。

それもそのはずだ。鳩山の母は俊をプロピアニストにするつもりだったのだ。


俊の才能は凄まじいもので、出たコンクール全てを総なめにしてきた。天才少年ピアニストとしてテレビの取材が来たりもするほど、世間的にも注目されている逸材だった。


そんな俊がピアノを辞めると言ったのだ。

才能をドブに捨てると言ったのだ。

これには鳩山もかなり動揺した。


「馬鹿なこと言わないで!」

バン!と机を大きく叩いて鳩山の母は立ち上がった。


「ピアノを辞めるですって?絶対そんなことは許しません。俊は世界一のピアニストになれる才能を持ってるわ。辞めるなんて言わないで頂戴!」


そう言った鳩山の母には、ピアノ指導の時に見せるヒステリックな一面が垣間見えた。


「辞めるって言ったら辞めるんだよ。僕は人に注目されるのが嫌いなんだ。何処に行ってもピアノピアノってもてはやされてもう疲れたんだ。クラスのみんなも僕とは普通に接してくれない。なぜなら僕が凄いから。そんなのはもう嫌なんだ、僕は普通になりたい。」


俊は悲しげに語るとスープを一口飲んだ。


「二人とも僕が一度決めたら頑固なの知ってるでしょ?とりあえずピアノは辞めて、明日から受験勉強するから」


そう言って話を終えると、俊はそそくさと準備をして出ていってしまった。


部屋の中には泣いている母と呆然としている鳩山だけが残された。

この時鳩山は何故か心がザワついていた。

そしてこのザワつきはなんなのか、しばらくして分かることになる。


ピアノを辞めたその日から、俊は全然勉強をしなかった。


鳩山が毎日帰宅後5時間は勉強していたのに対して、俊は毎日30分程度。

誰がどう見ても落ちるのは明らかだった。


そして迎えた受験当日、俊はなんと灘中学しか受けなかった。滑り止めは無しだ。


鳩山は俊のこの挑戦に安堵した。

なぜなら確実に落ちるからだ。

俊に幼い頃から劣等感を抱いていた鳩山は、俊より上に立てることが嬉しくて堪らなかった。


俊が受験を終えて二日後、合否を知らせる封筒が届いた。その日は父も休みだった為、家族全員でその封筒を見ることにした。





















 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る