第4話

第4話

その日は午後の授業に家庭科があった。


「四人班にして分からないところは教えあいながら取り組んでください」

担任がそう指示すると皆一斉に机の向きを変え四人班体制にした。


鳩山の隣の席の人は休んでいた為、鳩山の班は三人だった。その中に田中も居た。


鳩山が作業に移ろうと裁縫道具を準備していると、担任が教壇から林に声を掛けた。

「林くんは今日だけ鳩山達の班に入りなさい」


丁度その時期、学年内でインフルエンザが流行っていた。学級閉鎖になるクラスもあり、その猛威の影響は鳩山のクラスにも及んでいた。当時鳩山のクラスでは四人がインフルエンザで休んでおり、一人は鳩山の班、残り三人は林の班だったのだ。丁度数が合った鳩山達は同じ班にされてしまった。


「うーい」

気怠そうに林が返事をする。

のそのそと歩いて鳩山達の班まで来た林は田中を見た途端表情が明るくなった。


それはまるで新品の玩具を買い与えられた子供の様だった。


鳩山の向かいの席に座った林は意気揚々と裁縫道具を漁り始めた。そうして林が取りだしたのはハサミだった。


鳩山はこの時点で嫌な予感がした、そしてその予感は的中することになる。


「おい田中 そっち向けよ」

林は教壇の向かいの壁を指さした。


「え、な、なんで、、?」

田中は怯えたような表情で聞いた。


「いいから向けって!」


強い口調でそう言われた田中は不安の表情を隠しきれないまま指示に従った。


林に背を向けるように体制を変えた田中の肩は小刻みに震えている。


じゃきん


その音と同時に田中の髪の毛が床に落ちる。


「え、、?え、、?」

田中は目に涙を浮かべながら林のほうを見た。


「大丈夫だってー!俺髪切るの上手いんだぜ~?」

林は薄ら笑みを浮かべながらそう言うと、もう一度田中の後頭部にハサミを近付けた。


その時だった。


「やめろよ!」

声をあげたのは鳩山だった。

鳩山の突然の大声に静まり返る教室。

静寂の漂う教室で皆の視線は鳩山に向けられていた。


「ハァ、、ハァ」

増える鼓動数に荒い息遣い。

鳩山はここまでの大声を出して人に注意するのは初めてだった。


「何があったの?!」

担任が小走りで鳩山達の元に駆け寄る。


「は、林が田中の髪を切ったんです!」

興奮気味に鳩山が説明した。


担任は床に目を落とし、次に林の方を見た。

林は尚も薄ら笑みを浮かべている。


「林くん、わざと髪の毛を切ったの?」


担任の顔には少しの動揺の色が見える。


「間違えて髪の毛切っちゃったんだよ、ちょっと手が滑って笑」


林はそう言うと、別の班にいる取り巻き達に目配せをした。


クスクスと小さな笑いが聞こえる。


「人間誰しも間違いはあるってー、 な?わざとじゃないんだから田中も許してくれるよな??」


田中の肩に手を置き、そう言った林の手に力が入っているのを鳩山は見逃さなかった。


「う、うん」

田中は弱々しく返事をすると、下を向いたまま耳を赤くした。


「わざとじゃないっていうならしょうがないわね、田中くんも許してくれてるみたいだし次からは気をつけなさいよ。」


それだけ言って立ち去ろうとする担任に鳩山は声を掛けた。


「先生!林はわざと髪の毛を切りました!僕は見たんです!林の言うことを信じるんですか?!」


鳩山に詰められた担任はため息をついて鳩山にこう言った。


「いい?鳩山くん、この話は終わったの。当事者間での和解は済んでるんだからあなたが口を出す権利はないわ。わかったら席に戻りなさい。」


「でもっ」


「いいから戻りなさい!」


担任は尚も食い下がろうとする鳩山にそう怒鳴りつけると、教壇へと戻り作業再開の指示を出した。


鳩山はこの不条理に震えた、面白可笑しく生きている林の横暴は許され、誰にも迷惑を掛けていない田中だけが嫌な思いをし、それを我慢しなければならない。


そしてその不条理を目の前に何も出来なかった自分の無力さを呪った。


鳩山は何故担任が林の味方をするのか、不思議で仕方なかった。


鳩山は担任が林の田中に対するイジメに気付いていると確信していた。だからこそ、なぜ注意しないのかが分からなかった。


しかし担任が林に注意しないのには理由があった。


それは一学期が始まってすぐのこと。

林は休み時間に取り巻き三人と鬼ごっこをしていた。


教室や廊下を走り回りはしゃいでいた林だったが、走っている途中に足を絡ませ転倒してしまった。その時おでこを切り、かなりの血が出た。休み時間ということもあり、職員室に戻っていた担任がこの事態を知ったのは次の時間だった。


担任はその日、林に「今後廊下は走らないように」と注意をし仕事を終えた。


次の日の朝、担任がいつものように職員室で一限目の準備をしていると、教頭に声を掛けられた。


「ちょっといいかね?きみに会いたいと言う保護者の方が来てらっしゃるのだが、心当たりは?」


「特にないですけど…取り敢えずお話聞いてきますね。」


担任はそう言い残すと早足で職員玄関へと向かった。


職員玄関につくと、そこには金髪で耳にピアスをつけた背丈の高い女が立っていた。


「あんたがうちの子の担任?あたし林っていうんだけど、昨日うちの子が怪我して帰ってきたのよねー。どういう訳?説明してちょうだい」


「ええ、それは昨日電話で説明した通り、林くんが休み時間に鬼ごっこをしていた時に起こった不慮の事故でして…」


担任が赤子をあやすような声でそう説明すると、林の母親は舌打ちをして担任の肩をどついた。


「そういうこと聞いてんじゃないんだよ!!あんたが目を離したからこうなったんだろ?!不慮の事故とか言って言い逃れてんじゃねえよ!謝れよ!土下座しろ土下座!うちの子の可愛い顔に傷つけやがって、ただで済むと思うなよ!」


激昂した林の母は今にも担任に掴みかかりそうな勢いでそう言い放った。


「し、しかしながら休み時間はどの職員も職員室にいるので目を離すなというのは不可能なんです。」


「あぁん!?ふざけたことばっか言ってんじゃねえよ!」

担任の胸ぐらを掴んだ林の母は顔を近付けてそう怒鳴った。


すると遠くから、

「どうなさいましたか?!」

と言いながら教頭がやってきた。


林の母は乱暴な口調で今あったことを話した。


「申し訳ありません!私めの教育不足でございます!今後はこのようなことが無いようにしっかりと教育して参りますので、どうか気持ちを落ち着かせては貰えないでしょうか!」

深々と頭を下げて教頭は謝った。


「ほら君も謝りなさい!!」


そう言われた担任は教頭のように深々と頭を下げて謝った。


その後も何度も何度も二人で謝り続けた。


五分程して、林の母親も気が晴れたのか帰ると言い始めた。


「二度とこんなことすんじゃねえぞ!あんたの行動はうちの子からちゃんと全部聞くからな!次なんかあったら今度はパパを連れてくるぞ!」


林の母親は職員玄関に響き渡るほど大きな声でそう言うと、大きな足音を立てて帰って行った。


「ああいうタイプの保護者には取り敢えず謝りなさい。きみはまだ一年目だからああいう保護者の相手をするのは初めてだろうが、変に言い返したりしてはダメだ、火に油を注ぐようなものだからね。」


「わかりました…」

担任の声色にはすっかり元気が無くなっていた。


「今後はこういうことがないように頼むよ、きみのクラスでまた問題が起きるようであれば、きみの昇進や評価にも大きく関わってくる。わかったね?」


そう釘を刺すと、教頭は職員室に戻って行った。


この一連の出来事で、担任は林に注意ができなくなってしまった。


イジメが起きたクラスの担任は管轄不足として評価を落とされる。

担任は、教師人生一年目でしくじるわけにはいかなかった。担任は林の田中に対するイジメを黙認することにしたのだ。


そして誰にも止められることのなくなった林のイジメはどんどん悪い方向へと加速していく。














 

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