第3話 身の上話とこころがわり

 僕たちの住む神界は、人の住む世界の隣にある。たとえるなら、鏡の裏側。表面には逆さの世界が映るけど、その裏側は誰にも覗けない。現実からは干渉できない、こちらの世界。世界はいくつかの縦の層を形成していて、その中でも最も現実から離れた場所に、神は居る。

 神は、選ばれた概念だ。人に認められ、人にあがめられた存在が神になり、遠いところから人を見守る。一度確立された神は、例え人が忘れてしまっても消えることはない。

 そんな神になりたいと、僕たち神霊は時折夢をみる。しかし、多くの神霊が至る前に霧散して、何処かへ立ち消えてしまう。煙すら残さないその様は、僕らにとっての死だ。死は怖い。人でなくても、生きていなくても、自分がなくなることは怖いのだ。

 そんなわけで、僕たち神霊は神を目指す。神に成るためには、人からの信仰が不可欠だ。多くの人間に、自分の存在を刻み込むこと。それが確実な方法だった。

しかし、ここ数十年、新しく神が生まれることはなかった。今日も二人、何も為せずに消えていった。

 例にもれず、僕も霧散したくなんか無かった。だから僕は、人の世界に行ってみることにした。

 だというのに、僕に協力してくれる人は一人として見つからなかった。


 目の前に浮いているオレンジ色の四足獣は、べらべらと喋っている。四足とはいえ、目の前のこいつは後ろ脚を立っているかのように伸ばし、前足を指揮者のように振っている。まるで人間だ。

 なんでこんなことに?と思い返す必要などまるでない。数時間前に出会った変態のような光球は、かわうその形をとった変態は、つい先ほどまで雨の中をふわふわと上下していたのだ。

 私の気まぐれで自宅まで連れてきたらこのありさま。何やら目を潤ませて、アラヤと名乗るこいつは演説を始めている。

 よく見れば彼の体を雨が通り過ぎていく様は見て取れただろうし、そもそも水中にいるイメージのあるかわうそが、ましてや幽霊みたいなモノが雨に打たれて風邪をひくわけなんてないのに。

 こいつのために用意したタオルのやり場に困り、私はほとんど濡れていない鞄やら髪やらを拭いてみる。


「いやぁ、話を聞いてくれることすら稀なんて、思ってもみなかったなぁ」


 どうやら話し終えたらしい。大きなため息を吐き、かわうそは頭を振った。

 短い手足に丸い頭。表情豊かに浮きながらしゃべるこいつは、動物好きから見ればかわいらしいのだろう。

 そして、残念ながら私は人並みの感性。目の前のこいつが、かわうそであることはわかるが、でもそれだけだ。種類も分からないし、知りたいとも思わない。


「うん?聞いてくれてるよね?あれ?」

「…そう見えない?」

「なんていうか、うわの空?寄木さん、あんまり表情変えないからわからないけど」


 黙ってやり過ごそうとしていた私は、急に目の前をウロチョロしだす光に目を細める。


「鬱陶しい」


 かわうそめがけて少し濡れ気味のタオルを投げる。バッ、と音を鳴らして投網のように広がるタオルは、面の中心で光をとらえて覆う。

 意外にもタオルは宙に浮くかわうそに引っ掛かり、お化けのような姿になる。手は小さいからわからないが、頭は丸いので輪郭は完全にお化けそのもの。

 おかしいでしょ、それ。

 そりゃあ、当たれ、とは思ったけど。


「あんた、幽霊じゃなかった?」

「神霊ね」

「雨当たってなかったじゃん。霊だからかは知らないけど。タオルは別なの?」

「言ったでしょ?僕はここにいるけど、モノとしてここにあるわけじゃない。なんだっけ?分子、とかそういうのは、僕にはないんだ。意思と現象が僕のすべてだよ」


 じゃあ、なんで。と聞く前に、お化けみたいな自称神霊がしゃべる。


「この前会った時、寄木さんは僕を目で見るだけでなく、痛みも感じていたよね。少なくとも、君は僕をモノとしてとらえてる。そういう体質なんじゃないかな?」

「続けてみて」

「君は、僕、というか神霊に影響を与えることが出来るんだよ。多分。君が触ろうと思ったら触れるし、君を経由していればタオルでもなんでも僕に干渉する。寄木さんは、ある意味で僕たちの存在を証明できる存在かもしれない」

「へぇ、あんたにはわかってたの?そのこと」

「まぁ、なんとなく。だから、初対面の君にいきなり頼み込んだし、悪印象を与えないためにすんなり引き下がったんだ。っていうか、そろそろタオル取ってほしいな。息苦しい気がしてきた」


 なんだか面倒なことになりそうな話だ。初対面で逃げて、正解だったかもしれない。

 そんなことを思いながら、頭をもぞもぞさせるお化けの身を引っぺがす。


「せっかくだし、なでてみてよ。僕のこと。そのあとは…投げるのは危ないし…抱えたまま雨とかに僕をさらしてみて?」


 両手をこする、というか揉み手をするようにして、ベールを剥がされたかわうそは上目遣いでそう頼んだ。

 タオルをたたみ、私はため息をつく。


「いいけど、どうやって持つの?」

「好きにしていいよ。腕の付け根で持っても、脇腹でも。多分、苦しくないし」

そう?とつぶやき、私はタオルを床になげ、かわうそに向き直る。

「私が見たことあるのは、首つかむやつとおしり抱える写真なんだけど」

「好きにしていいよ」

「じゃあ、適当に…脇腹でいい?雨にさらすならそっちのがいいでしょ。私はぬれたくないし」


 頭を縦に振るかわうそを持ち上げる、というか脇腹に手を添えてみる。すると独立して浮いていたはずの獣が突如として重力を持ったように、私の手に実感が広がる。    生き物特有の温かな体温に、獣の体毛。幼い子供のような重量感。

 へぇ、こんな感じか、と私が思ったと同時に。


「へぇ、こんなかんじか」


 私の手に収まり、ぶら下がっているかわうそは体を動かしている。


「じゃぁ、次に雨だね。まだ降ってるよね?」


 そう問われた声には答えず、私は自室の窓を開ける。家は古い日本家屋で、私の部屋は二階にある。瓦葺の屋根からは、ぼたぼたと大量の雨水が落ちている。


「ここでいい?」

「まぁ、いいけど…」


 答えを聞かぬうちに、私は滝さながらの水の膜にかわうそを突っ込む。


「ねぇ、あんたの名前、アラヤだっけ」


 かわうその体は見る見るうちに茶色から黒のようなこげ茶のような、深い色に変わりだす。


「見たところちゃんと濡れてるみたいね。アラヤの考えは大方あってるとみてよさそう。でしょ?」


 問いかけてもアラヤは言葉を返さない。

 少しずつ、私の腕も濡れていく。

 なんだか、言わなくていいことを私は喋ろうとしている。

 私らしくない、弱音みたいな、泣き言のような言葉だ。どうしてだろう。


「……」

「ってことはさ、私、そこそこ貴重な人間でしょ?私の代わり、見つかってないんだもんね」

「………」

「もし、私のことがあんたの同類とか、変なのにばれたらどうなる?」


 多分、アラヤにもわからないだろう。さっきから、こいつの言うことはそのほとんどが仮定だ。


「気が変わった。面倒なのはそのまんまだけど。私を守ってくれない?もちろん、ギブアンドテイク」

「…」

「私はあんたを神様にして、あんたは私を守る。貴重な人材を独占できる。あんたにも悪い話じゃないでしょ?」


 開けた窓、流れ落ちる水越しに、赤い傘が見える。お祖母ちゃんが買い物から帰ってきたのだろう。

 アラヤを雨から解放し、窓を閉じる。


「私はため息が多い。でも、悪気はないの。癖なんだ」


 アラヤをタオルで包み、独白する。


「お願い。あなたの手伝いをさせて?こんな私のために」

「………」


 アラヤは答えない。


「アラヤ?」

「うん…文句は…ない。巻き込んだのは僕の責任だ。僕が気付かなかったら君は知らないままで入れたはず…だからね」


 漸くアラヤがしゃべる。体をタオルにこすりつけ、水分を吸わせている。


「ただ…一個良いかな?」

「うん」

「まわり、もっとよく見たほうがいいよ。僕が何で喋らなかったかわかる?溺れかけてたからだよ」


 あー、そっか。

 気づかなかった。苦しくないって言ってたし、問題ないのかと思ってた。


「それは…ごめんね、アラヤ。気を付ける」


 まわり、か。


「お詫びに、刺身とかどう?それくらいの誠意は見せなきゃ、だし」

「なるほど。実験にもなるね。ありがとう。ごちそうになるよ」


 ふぅん、と興味深そうにしているアラヤは、すでに息を整え、水気もなくして宙に浮いている。

 何事もないように見えるアラヤだが、私は黄色い声を上げようとしたその顔を見逃さなかった。

 やはり魚は好きらしい。身も心もかわうそだ。

 とても、神のタマゴには見えない。




/////

神界

現世の隣にある、薄紫色の靄に覆われた何もない世界。いくつかの縦の層に分かれているが、層ごとに違いはあまりない。しいて言えば、そこに存在できる神霊の格が異なる程度。

最下層には八百万の神がいる、とアラヤは語る。

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かみさませんきょ @wara55

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