第2話 曇った空と心変わり

 あの後僕は、薬臭い部屋から抜け出した。木造では無さそうな、つるつるの廊下を抜け、建物からも抜け出す。外に出ると、大きな建物がいくつか散らばって建っている光景が目に飛び込んだ。人は見かけられない。この建物群のどこかに彼女…寄木ルイは消えたのだろう。

 思い返せば冷たい人間だったような気もしてくる。昔の人間は道を尋ねれば教えてくれたし、頼めば魚だってくれたというのに。まぁ、魚は投げつけられていたような…いや、思い出しても意味はない。彼女が、ルイが冷たい人間だということにしておきたいだけなんだから。

「ま、出るか。ここにいても仕方ないし。町とか、近くにあるといいんだけど」

 僕は体を上昇させる。近くで一番高い建物の上まで行くと、あたりが見渡すことが出来た。

 青い空に白い雲。天頂から少し外れた位置にある太陽に照らされた、灰色の町が見える。灰色の建物に縁どられた網目のような道には、まばらに人が見え、色とりどりの台形がその隣を高速で移動している。昔来た時とはだいぶ違うありさまで、覗いていた時にはよく見えた光景だ。

どうやら、ここは何かの施設らしい。周囲の高い建物とは雰囲気が違う。町といえるのかはわからないが、あそこなら僕を見れる人を探すことに苦労はしないだろう。なんて言ったって母数が多い。

全速力で、僕は空を飛ぶ。数秒かからず、敷地を抜け出して町の道路に到着する。

道行く人の中には、薄い板を見ている人がいて、僕が見えようと見えなかろうと関係がなそうだった。そもそも、彼らの興味は目の前にないようだった。


「苦労するかもなぁ、これ」


 僕の頭を跨ぐ人間を見上げ、弱音が漏れる。


「逃がした魚は大きい、ねぇ…」

 

 それからというもの、苦難の連続だった。当たり前のように声をかけても反応は帰らない。

僕と同じように、歩く人たちに何かを渡そうとしている人間を見かけたので、隣に並んで真似してみても効果はなかった。

 二人ほど、僕を見れる人と遭遇したけど、彼らは一様に懐から薄い板を取り出し、黒い穴を僕に向けてくる。光を放ちながら鳴る不気味な音も、黒い穴も薄い板も、何もかもが未知で、僕はそのたびに怖くて逃げだしたのだ。

 断られるのもつらかったけど、それ以上に話に繋がらないことの方がもっと辛い、ということを僕は知った。

此方を覗いた時に見かけた、肩を落として歩く若者たちもこんな気持ちだったのだろうか?


「はぁー、くじけてきたなぁ、心」


 誰かと同じようにため息をつく。彼女お決まりの癖が伝染したみたいだ。


「あ、ねぇ、そこのおねぇさん…」


 猫じゃないけど、少なくとも捨て猫の気分は味わえてる。

 さっきまで明るかった空は、心なしか曇り始めているようだった。



「はぁ…」


漏らした後に口をふさぐ。

しまった、って感じに。

傍目から見れば大層嫌な奴に見えているはずだ。仲のいい人間なんてここにはいない。そういう意味では、外面を気にしなくて良いとも言える。

 治せるうちに治しておけばいいか、と考えた矢先にまたため息。

脊髄反射かよって、自分でも思う。

変なやつさえいなければ、私はまだ保健室に居られたはずだ。全部、アラヤとかいう変なのが悪い。

突拍子もなく変な頼みごとをしたあいつだ。

重い空気になるのがたやすく想像できたから、私はあいつから逃げ出した。

おかげで、図書室にいる私は別に興味もない『司書のおすすめコーナー』とやらにあった一冊を上の空で捲っている。

ふと壁に掛けられた時計を見ると14時を過ぎていて、そろそろ3コマ目が終る頃だった。

愚痴と読書に向けられていた意識が、ふっと霧散する。

窓や地面をたたく、無数の雨の音が耳に飛び込んだ。


「傘…」


 持ってない。季節はもう夏で、ビル風すら吹かない日だって多い。そんな時期の午前が晴れ模様だったら、傘を持っていこうとは思わない…はず。普通の人は。

 ため息をつこうとして、その前に息を殺す。あくびを噛み殺す要領だ。

 こうすれば、少しは減ってくれるかもしれない。

 と、思った矢先。


「チッ」


 不平しか漏らさない口に嫌気がさした。



 4コマ目が終り、外に出ると変わらず雨は降っていた。

ザーザーと地面を叩く滝のような雨だ。濃い雨の臭いが鼻を刺激する。

しかし私には傘がある。授業が始まる前に、購買で買ったのだ。

半透明のビニール傘を差し、学校の敷地から抜け出す。

家までは歩ける距離で、きっと今日はバスが混むだろうから、徒歩だ。


「うわー、雨かよ」

「メンドー」


 そんな声が聞こえてきた。購買に傘はまだあるかもしれない。

 今日はお祖母ちゃんが食材の買い足しに出かけると言っていた。

 鍵はあるけど、せっかくだし、時間をつぶしに街に出るのもいいかもしれない。

 そんなことを思って歩く。いつの間にか町につき、商店街の近くにいた。


「ティッシュいかがですか?」


 少し古めのアーケード街だからか、広告入りのティッシュを配るお姉さんが見えた。

 ビニールの合羽に、ビニールの傘を差して雨の中を佇んでいる。


「ティッシュいかがですか?」

「ああ、ありがとうございます。どうも」


 この手のモノは、なんとも断りにくい。

 ふとティッシュに目をやると、兎のキャラクターと思しきものとか電話番号やらが印刷されている。

 私には、関係の無さそうなものだった。


「ねぇ、そこの人—」


 どうやら、もう一人いるらしい。俯いた顔を上げ…


「あ」


 ティッシュ配りのお姉さんのすぐ横に、数時間前にみた奴がいた。

 そいつは心なしか疲れたような声音で、ため息ともとれる声量で、目の前を通り過ぎる人々に声をかけていた。

捨て猫みたいに、かわうそが雨にさらされていた。

 何やってるんだか。

  

 いつの間にか私は、うなだれるそいつに近づいて、体をひっつかんでいた。









 アラヤ

 好奇心旺盛な、二ホンカワウソの霊。人間文化に疎い。神様になるため、神界から現世にやってきた。もらえるものは何でも貰う主義。

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