かみさませんきょ

第1話 ため息女と変な光球

 日本には八百万の神々がいるとされる。学問の神様やら商売の神様、いろんな分野に神が宿ると考えられてきた。長い時間を生きた樹木だとか、大きくてきれいな岩だとか、そういった自然物も神格を得て、今日に至る。一方で、元は人に仇なす存在が祀られて神を担っても来た。化学もなく、世界に信を置けなかったその昔、人は自らが持ちえぬものを神に託して、縋って、生きてきた。悠久を生きる生物も、人では作れぬ大きなものも、疫病を流行らせる念も。等しく神だった。

 何が言いたいのかというと。

 神は、人に認められて初めて存在しうるものである、ということだ。

 万物の霊長が、種の頂点が許された『考える』という特権が、神を作り出す。

 まるで選挙の様に、選ばれた事象が神に成るのだ。


 どこかの学者か、暇人か、誰かが考えたこの事は、奇跡といえるほど、ピタリと神界の在り方に嵌っていた。




 ◇

 別段、具合が悪いわけではない。しかし、私は保健室にいる。休講となった3コマ目をやり過ごすために仮病を使ったのだ。一人悠々と布団にくるまり、有孔ボードで出来た白い壁を上目遣いで観察する。白かピンクかわからないカーテンに三方を囲まれ、足を向けている方向には養護教諭と思しき人影が見える。


 小さく息を吐いてみる。なんだか頭が痛くなってきた気がする。


 幸い、ベッドで寝る理由もできたし、私以外に誰も保健室を利用する生徒もいないようだった。これで罪悪感なく背の低い枕で寝ることができるわけだ。


 寝返りを打ち、あおむけの状態から側面のカーテンに視界を移す。最近染めたばかりの、白いインナーが黒い髪に混ざって目に入る。


「寄木さん?先生、少し外すけど、大丈夫?」


 まるで子供に接するような優しい声音で、養護教諭が言った。

 名前も覚えてない彼女に、ほんの少しの複雑な感情を抱いたが、無視をする。


「はい。多分、寝ているので大丈夫です」

「そう?じゃあ、お大事にね。具合がよくなったら、連絡ボードに時間書いておいて?そしたら、帰っても大丈夫だから」


 体温と、病状と、氏名を書いた紙を思い出す。

 一週間前に新入生が利用したきり、誰も書いていない紙。

 大学生ともなると、保健室をわざわざ使う必要もないのだろう。


「はい、先生。お気遣いありがとうございます」


 返事はなく、扉を開閉する音がした。


「はぁ…」


 ため息が出る。悪い癖だ。

 頭をぐりぐりと枕にこすり、胎児の様に体を丸め、眠ることにした。


 眠れない。当たり前だ。やることがロクにない毎日を過ごしているせいで、健康な時間に寝て、健康な時間に朝を迎えているのだから。

 思わず出そうになるため息を噛み殺し、真反対に寝返りを打つ。


 まぶしかった。

 なぜか私の目の前には光球があって、ふわふわと浮いている。目の前にあるそれは、温かなオレンジ色をしていて、チクチクと目を刺している。


「痛っ」

「え?」


 声がした。まるで私の呻き声に反応したように。


「…何?」




 ◆

 人間のいる世界を覗くたび、僕は何度も感心する。いつの間にか変わっていて、変化が目まぐるしい。その中で、彼らは何かを考えて、言語化して生きている。正誤関係なく、考えて生きている様はきっと、今も昔も変わらない。


 彼らを近くで見たくて、ほんのちょっぴり神様にも憧れていた僕は、せっかくなので、といつもはいかない場所に行ってみることにした。

 薄紫の煙漂う半透明な世界…神界から、人の住む世界へ。

 薄く煙がたなびいて、僕の体は光に包まれる。光が解けて、僕は目を瞑って意識を現世に集中させる。


 目を開けて、空気の止まった、変なにおいのする空間に僕は居た。白くて、ところどころ桃色の部屋だ。壁には一つ、時計が掛けられていて、針は12時を指している。部屋の中央には丸く大きな机と、何枚かの紙が置かれている。なんだか無機質な部屋だ、と僕は思う。昼の陽光が窓から差す。


 ふと気づく。なんだか鼻が変な感じだ。

 出口を探すか、と思い周囲を見渡すと、薄桃色の垂れ幕で区切られた区画が目に付いた。出口と思しき扉は見つけたが、それ以上にその布の向こうが気になったのだ。

 僕は布の壁をすり抜け、中を覗き見る。

 そこには、僕に背を向けて横になっている黒い髪の人間がいた。白髪も少し見えるこの人間は、寝具に包まり体を丸めている。

 具合でも悪いのだろうか?

 そう思って少し近づいてみる。まさかこの人間がこちらに顔を向けるなんて、ましてや僕を見れるなんて思いもしなかったのだ。

 動くことが出来ず、僕はしげしげと人間の顔を眺めていた。どうやら女性らしかったその人間は、切れ長の目をゆっくりと開いて、声を上げた。


「痛っ」


 開いた眼を再び閉じて、彼女は僕から顔をそらす。


「え?」


 気づいたら声が出ていた。

 これまでも、僕は何度か此方に来たことがあるというのに、僕を見れる人間に出会うことはなかった。それも、痛みを感じるほどに。

 僕を含めた神霊は光球の形をとっているものの、現実に影響を与えるものではないのだ。まぶしいわけでも、においを発するわけでも、触ることが出来るわけでもな

い。


「…何?」


 僕の混乱をよそに、彼女は困惑の声を漏らす。


「見えてるの?僕の事」

「見えるどころじゃない。人の顔にぶつかるくらい近寄ってきたのはそっちでしょ?」


 声も聞こえるようだ。

 本来なら、このままどこかに隠れてしまうのが一番だというのに。

 白昼夢か何かと勘違いさせてしまえばよかったのに。


 僕は、彼女を見て、もしかして、と。

 あまりに大きな期待をしていた。


「それは…ごめん」

「まさか僕を見れる人に会うとは思ってなくって」


 彼女は怪訝そうに眉を寄せる。眼は鋭いままで、射竦められたような感覚だ。

 はぁ、と彼女はため息を漏らし、寝転がったまま頭をがしがしと掻く。


「あなた、誰?」


 初めて見るであろう、空飛ぶ光球を見てこの態度。

 豪胆というか、なんというか。


「アラヤ」

「何しに来たの?」

「人捜し、かな。助けが欲しくて」


 彼女は僕の返事にあまり興味はないようだった。早くどこかに行ってほしい、という空気をまとっている。人付き合いが上手い人間ではないらしい。どちらかというと嫌いなのではないか、とすら思う。


「へぇ、そう。出口はあっち。のどが渇いたんなら購買でも行けば?」


 彼女は表情を変えない。睨んでいるように見える彼女の目も、生来のものなのかもしれない。

 僕は体を徐々に光球ではなく、本来の…というか、生前の姿に変化させる。

 僕は出来上がった顔と首を横に振ってみせた。


「僕が神様になれるよう、協力してくれる人を探してるんだ。今のところ、君に頼んでみたいんだけど、どうかな?」


 駄目だろう、とは思うけど。生えた手を合わせ、頼んでみる。ついでに頭も下げた。


「…かわうそ?」


 彼女は僕の体を見て驚いているようで、数秒ほど固まっている。


「あ、見える?不安だったけど、よかった。誠意が見えてて…」


 等と僕がしゃべる間、彼女は頭を横に振り、寝台から飛び起きた。代の横においてあった靴を履いている。体にかぶせていた敷布を払ったため、若葉色の服に群青色の硬そうな股引のような何か、という格好の彼女が見える。

 彼女は僕に目をくれず、垂れ幕を右手で払いながら薬品臭い部屋の中央に置かれた机に歩きだす。


「どうしたの?具合、大丈夫なのかな。それに…」

「うん?あー、そうねぇ」


 宙を漂いながら僕は彼女を追いかける。

 彼女は振り向いて、切れ長の目で僕を視界に捉える。はぁ、と息をついた彼女の眼には少しの不穏な気配があるような気がして、僕は少し後退する。


「聞いてないことにしたの。宗教勧誘、お断り。大体、人の寝てるところに入り込む輩のための信頼なんてないし」


 僕から眼をそらすと、彼女は丸い机に向き直る。近くに転がっていた鉛筆を手に取り、神に何かを書き込んでいた。僕は声をかけようとしたけど、彼女の視線が脳裏にこびりついていて口が開かない。

 仕方がないので、僕は彼女が書いている紙を覗き込んだ。


「よりき、るい?っていうの?名前」


 彼女は表のような紙に時刻を書き込んでいる。いくつか名前が並んでいる中、表には二つの名前が書いてあった。一列目には穴川一三子とあり、二列目が寄木ルイ。その横には○と数字が書いてある。数字は時刻だろうか。寄木ルイ、○、12:10。


「のぞき見が趣味なの?ますます合わない。信頼はマイナスね」

「そういうわけじゃないんだ。ごめんなさい。僕、好奇心が強いっていうか、君たちの常識に疎いっていうか」

「ふぅん?」


 彼女…寄木ルイは僕に見向きもしない。鉛筆を机に置き、そのまま出口と思しき扉に歩き出す。


「寄木さん、でいい?答えだけ聞いてもいいかな?さっきのやつ」

「聞いてないってば」


 判り切っているけど、一縷の望みにかけるように僕は彼女に声をかける。

 彼女は、寄木ルイは、きっと頑固だ。気が強い。彼女が背を向けたら、しつこく追いすがりでもしない限り二度とその顔を、目を拝むことはできない。そんな気がして、それは僕の中では確たるモノとして既にある。そう思わせるような人間だった。


「……いや。面倒だし。他を当たれば?」


 事実、彼女は僕に背中だけを見せて扉を開き、部屋から消えていく。僅かな瞬間、髪の毛の先が部屋に残り、白と黒に分かれたその色が僕の網膜に焼き付いた。


「…そっか」


 僕は一人残されて、あてもなく宙に浮くことしかできなかった。

 まぁ、仕方がない。まさか初っ端から好条件にぶち当たるとは思っていなかったのだ。だから、いらない期待をして、舞い上がってしまった。

 先ずはここから出て、一週間くらいは人を探そう。僕が見えて、僕の協力してくれる人を。

 それで無理なら、一度帰る。最初からそのつもりだったから、問題はない。

 ただ一つ誤算があったとするなら、断られることの辛さ。

 少し気がめいりそうになった僕は、作ったばかりの両手で顔を二度たたく。

 そうやって自分を奮い立たせる人間を、僕は見たことがあったから。



 寄木ルイ

 目つきが鋭くて、気も強めの大学生。肩にかかるほどの黒髪で、インナーカラーは白。

 サイズの大きい服を好むが、スカートは履かない主義。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る