第6話 私のダンジョン初探索
「あちゃあ……これ、向こうで準備すれば……」
白の道具屋にある青い扉を抜けて、最初に私が転移したダンジョンの部屋に戻る。
そしてすぐに、ある失敗に気付き後悔した。
寿命十日分を捧げて買った、【灯火の魔道具】。
これを向こうで松明に着火すれば良かったのだ。
おかげで戻った途端、再び暗闇のなかに出てしまう。
とりあえず魔道具はポシェットのなかに仕舞ってあるので、鞄を開け、中に手を入れながら頭のなかでアイテムを思い出す。
「あ、ほんとに出てきた」
およそ入るはずのないサイズのモノが、こうして小さなポシェットから、ニュッと出てくるのは少し怖いけれど、慣れれば便利な商品だ。
そして水差しの取手を掴み、持っていた松明に垂らしてみる。
「うわ」
水差しの給水口からポタリと零れ落ちたのは、本当に小さな炎のしずく。
頼りなくも、ゆらゆらと燃え続けようと、一生懸命頑張っているようなその炎を見ていると、なぜか母性本能をくすぐられるような気がした。
炎のしずくはそのまま松明に向かって、重力に従い真っすぐに落ちていくと、巻いてある布にポタリと染み広がり、みるみるうちに布全体を白から赤へと変えていく。
やがてそれは大きな炎となり、辺り一面を照らし始めた。
「ふふっ、ちょっと幻想的」
煌々と輝く松明の明かりは、それまで黒だった空間をようやく、ぼんやりと見渡せるほどの視界を与えてくれた。
元世界の照明に慣れてしまった私には、少し物足りない明るさかもしれない。だけど、キャンプなどで灯したランタンの明かりだと思えば、それも苦ではなくなる。
正直言えば、怖いのは苦手だし、暗いのも不安だ。
でもこのままここで、明かりを見つめているわけにはいかない。
私はこのダンジョンで、生き延びなければいけないのだ。
「えっと、もうここから出ても良いよね? また頭がフラフラしないかなあ」
以前よりもハッキリと見えている、この部屋からの出口は、前回味わったあの嫌な感覚を思い起こさせる。
恐る恐るそこへ近付き、壁にはまった出口の枠に手をかける。
ドキドキと胸が高鳴るのは、甘い初恋の衝動ではなく、恐怖。
そして少し躊躇しながらも、目をつむって思いきり枠のなかをくぐった。
「――っ!?」
私はそれに打ち勝った。
身体は出口を抜け、新たに続く、通路へと向いている。
あの眩暈はない。私は元気だ。
「よ、良かったあ……」
安堵に胸を撫でおろす。
一瞬、あの悪魔がまぶたに浮かび、胸がドクンと音を立てたけれど、それをすぐに払拭し、私は前を向いた。
奥に行くにつれて、黒いグラデーションが続く通路は、松明を動かすたびに大きく明暗が揺れる。それほど狭くない一本道で構成された通路は、この先まだまだ長いようだ。
ダンジョンというからには、きっと途中で曲がり角や双方向の選択肢、それにゼファーの部屋に飛ばされるような、魔方陣もあったくらいだ。落とし穴なんかの罠もあるかもしれない。
「まさか、穴に落ちる瞬間に、導き手の選択肢とか出――」
そう言いかけ、あわてて口を塞ぐ。
ここはフラグを立ててはいけない場所だった。
ちょっと反省。
気を取り直し、壁に手をかけながら、少し進んでみる。
壁はひんやりとしていて、石が積み重なったレンガ風だ。ところどころ風化しかけている部分や、コケが生えているところもある。全体的に適度な湿気があるね。さっきの部屋の地面も少し湿ってたし。
「あ、そうだ」
思い出したことがあった。
ゼファーに教えてもらった、壁に炎のしずくを灯すこと。
再び【灯火の魔道具】を取り出し、壁に炎を灯してみた。
しずくは小さく燃え続け、向かいの壁や周囲二メートルくらいを照らし始める。
規模は小さいけれど、これで通った道が分かるし、しずくの数を増やして重要な場所に印をつけることも出来る。
「ふふっ、あなたが一番役に立ってるかもね。あのなかで一番安かったけど」
そう言えば、寿命を奪われたのに、体調などに変化がないな。
私がまだ若いってことも関係しているのか、何も変わったことはない。ダルさとか肌がシワシワになっちゃわないかって、少し気になってたのに、取り越し苦労だったみたい。
次に必要なときがあればって彼は言ってたけど、出来ればもう寿命で買い物はしたくないな。
「だからコートは、ありがたく衣装として使わせてもらうね。ゼファー」
私はここには居ない相手に、コートのお礼を述べた。
◇◇◇◇$◇◇◇◇$◇◇◇◇$◇◇◇◇$◇◇◇◇
あれから私はずっとこの通路を歩いている。
壁に灯した明かりの切れ間ごとに、水差しから追加しているので、けっこう時間はかかっているはず。
さらに歩みを進めるも、一向に分岐点や罠などは現れず、ただひたすら続く単調な景色に、さすがの私もうんざりだ。
「あ!」
そう感じ始めた頃、タイミングよく通路に変化が見られた。
数メートル先にポツンと立つ影がひとつ。
よく見ると、どうやらウネウネとうごめいている。
「ああ……来たか」
私にとって最も出会いたくない者がそこにいた。
ゲームをやったことのある人なら、必ず一度は倒しているモンスター、
スライムだ。
それもくりくりした瞳と、にっこり笑顔なんかじゃない。
古典ゲームにある、代表的なやつ。
どろどろとした消化液と真ん中にある赤い核。
大きさもけっこうエグいよ。あれ、壁から地面に向けて、したたり落ちてるから、二メートル以上あるんじゃない?
戦闘とか出来ればやりたくなかった。
ロールプレイングだったら、コマンドで選択するからまだマシだけど、ここは現実世界。実際に剣と魔法を駆使し、アクションバリバリで戦わなくちゃいけない。
私、アクション苦手なんだよなあ。
ボタン押すとき、一緒に身体まで動いちゃうタイプだし。
あ、そういえば、魔法ってあるのかなあ?
ゼファーに聞いとけば良かった――、
「わああっと!!」
そんなことを考えている隙を突かれ、
消火液の塊から、ビュルっと何かを飛ばされた。
とっさに避けるも、地面に落ちた消化液が飛び散り、一部がレギンスに付着した。
「きゃあ! 買ったばかりなのにっ!?」
膝の辺りに少し焦げたような跡が残り、
可愛げのないモンスターを睨みつける。
よくも私の衣装を汚したな。
少しイラっとしてしまった私。
思わずポシェットに仕舞っていた、アレに手をかける。
小さな鞄からニュッと伸びていく、スラリとした鈍器――いや、【鋳物の剣】を取り出し、憎き粘着物へと向けた。
「これで叩いて倒せるかどうかわかんないけどぉぉぉ! えいっ!!」
消火液にはインターバルがあった。
最初に飛ばしたあと、なかなか攻撃してこない隙を突いて、私も鈍器剣を相手に向かって叩きつける。
私の一撃によって、一瞬、ゼリーのような身体がブルンと揺れたのも束の間、まるでサンドバックのように天井から吊り下げられたそれは、ぐるぐると回転しながら、ただ暴れまわるだけだった。
「ダメじゃん!!」
思わず絶望の声をあげる。
鈍器では無理だと悟ったからだ。
相性が悪い、ただその一点のみ。
これはマズい。
けれども、どうしようもないなら選択肢はひとつしかない。
「あーれぇぇぇぇ!!」
と、声をあげながら、私はその場から逃げた。
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