第16話 龍来


 結果は順調なのだろう。

 少なくとも私の目はそう認識している。


「大赤鬼の魔槍!」


 赤黒く染まった槍が敵を貫く。

 その度に、赤と黒が槍を犯した。

 ラーンもかなり義手に慣れて来ている。


 槍から流れる赤い光は味方の傷を癒し、黒い輝きは槍に残留しながらその攻撃力を増していく。


 敵はオークの上位種。

 しかも上位種同士が徒党を組んだ10匹の群れ。


 あの大戦で、オーク全てを殲滅できた訳ではない。


 英雄の一撃から逃げ惑ったオーク共が、前哨基地周辺の生態系を変え魔物系亜人種、『魔人』と総称される存在の勢力が一気に活気づいた。


 ゴブリン、オーク、オーガ、コボルト、ワーウルフ。

 そして私達人間。


 今はそれぞれがそれぞれのコロニーを作り、睨み合っている状態だ。


「姉さん、オークたちが詠唱してる!」


「えぇ、見えてるわ。

 あれはアナスタシアの障壁で防ぎ切る」


「その後はどうするんだい?」


「貴方とシンを主体に責める。

 私とアナスタシアが後ろから削るから」


「了解しました」


 新たな仲間も増えた。

 赤い宝剣を握る剣士。

 シン・ドレットノート。


 元々は貴族だったらしいけれど、不祥事を起こして王家より貴族位を剥奪されたらしい。

 オークとの大戦で、アリバと少し話していたのを憶えている。


 彼の持つ魔道具であり宝剣【焼龍の直剣】は火龍の牙で造られた代物であり、魔力を流す事で斬撃に炎を纏わせ、ある程度飛ばす事もできる。


 基地で測定された武術ランクは『S』。

 その剣を扱う技術は他を圧倒する物だ。


「聖印結界!」


 周囲に味方が集まるのを確認し、アナスタシアがスキルを使う。

 そう「スキル」だ。


 アナスタシアは目覚めた。

 【聖印】の神操術に。


 司令官曰く、大きな戦の後には神操術に覚醒する者が多いらしい。


 それでの基地に神操術使いが居ないのは、覚醒者は王都へ帰って仕事を見つける事ができるからだ。


 態々こんな危険地帯で働く必要もない金額を手に入れる事ができるのだから、殆どの者はここを去る選択肢を選ぶだろう。


 だが、帰る事ができるだけで全員が帰る訳ではない。


 ラーンもアナスタシアも。私も。

 ここでやる事がある。

 帰らなかった私達の方が特殊なのだ。


「防げたよ姉さん!」


「よくやったわ」


 円形に展開された神々しい光の壁が、オークの上位種が放つ火炎や風の魔法を防ぎきる。


 こちらは神操術。

 相手はただの魔法。

 魔力効率的に考えても負ける要素は無い。


「ラーン、シン。

 行きなさい!」


「あぁ!」


「行きます!」


 前衛二人が前に出る。

 炎と血で赤く染まった武器を掲げ応戦するその姿は、正しく英雄と言って不足の無い光景だ。


 私も彼等を囲うオークへ向けて矢を射る。

 命中精度は悪くない。

 矢は確かに狙った場所へ突き刺さる。


 だが、隣では雷が走っていた。


「天竜の咆哮は瞬光に姿を代え敵を穿つ」


【天竜の咆哮は瞬光に姿を代え敵を穿つ】


 声と文字。

 空へ描く魔法の詠唱はスキルの一つ。

 【聖文魔法せいもんまほう】の力。


 その文字は魔法詠唱と同じ役割を担っており、描き切る事で魔法は確実に発動する。


「ライトニング」


【ライトニング】


 同時に放たれる二本の雷光。

 それは二匹のオークの頭を吹き飛ばす。

 内の一匹は、私が矢を刺したオークへ向けられた物だった。


 私の矢は、弱点に当たらなければオークを一撃で倒せない。

 対してアナスタシアの魔法は、何処へ当たろうがオークを一撃で戦闘不能にする火力がある。


 炎の巻かれオークが燃ゆり逝く。

 赤い槍がオークの体を貫き、断ち切り、打ち砕く。


 オークの上位種が10匹。

 最早その程度では、この戦力チームは止まらない。


 そして同時に、嫌でも理解できる。

 私の力だけが、この中で何歩も劣っている事が。


「モルジアナ、良かったわよ」


「うん、完璧だったね!」


 そう言って二人は私に微笑んだ。

 内肘を抑えながら、私も笑みを浮かべ「そうね」と返事をする。


 シンは何も言わず素材の回収を始めていた。


 褒められたい訳じゃ無い。

 気を使って欲しい訳じゃない。


 自覚している。

 理解している。


 私だけが……弱いままだ。


 ――今なら分かるわ。


 とっくの昔に死んだ、一人の男の顔を思い出した。


 目を瞑るだけで、彼の顔と最後の言葉は容易に思い出せる。


 貴方もこんな気持ちだったの?

 アリバ……


 ごめんなさい。

 私は貴方に頼まれたのに。

 何も出来ていない。




 ◆




 その日の狩りを終え、基地へ帰還する。


「換金は任せてもいいかしら?」


「勿論構わないよ」


「悪いわね」


 そう言って、彼等とは別の方向に体を向けた私の腕をアナスタシアが掴んだ。

 耳元で妹は私に言う。


「……私達はずっと一緒だよ姉さん」


 私も小さく言葉を返す。


「……分かってるわ」


 そう言うと、私の腕を掴んでいたアナスタシアの力が弱まり解放された。


 私は皆とは違う方向へ歩いて行く。



「あの人、居なくてもいいですよね?

 後ろで指示してるだけだし、特別な技能も無い訳ですし。

 元だけど同じ貴族として、それに助けられた身として、俺もアリバさんの亡骸を探す事に賛同して一緒に居させて貰ってます。

 でもあの人はその時、絶対に邪魔になる。

 情とかあるのは分かりますけど、どうにかしないといつか足元を掬われますよ」


 小声でそう話すシンは、私に声が聞こえていないと思っている。

 実際、エルフの耳でなければ聞こえる筈の無い声量と距離だ。


 アナスタシアの怒った声と、ラーンが二人を窘めるような声が続いて聞こえる。


 その声に反応を示さず、私はそのまま歩いていく。


 この前哨基地では、貢献度とお金を使えば大抵の物が手に入る。


 例えば殆どの人が「寮の個室」を使っているが、基地への貢献度があれば自室以外の別荘に住む事なども可能だ。


 私が向かうのはある人物の持つ別荘。


 彼は英雄と共に凱旋し、けれど王都へは戻らずこの大陸に残ったのだ。


 ドーラット家三男。

 アリバの兄。

 【曇天】の神操術使い。


 カイシム・ルクサス・ドーラット。


「よぉ、モルジアナ」


 掘っ立て小屋ではあるが、それでも他の建物も似たような物だ。

 この基地では個人でそれを持つというのはかなり難しい事だ。

 それでもこの男に難は無い。


 英雄の息子には。


 淫靡な香りが充満するその部屋に居たのは、カイシムだけではなかった。

 彼が座るベットには裸に近い恰好の女が何人も横になっている。


 人間。獣人。私と同じエルフ。

 様々な種族の混在した女達が、半裸のカイシムの体を撫でる様に触れている。


「ちょっとこいつに話があんだ。

 悪ぃが席を外してくれ、お前等」


「えぇ~しょうがないにゃ~」


「またあとで遊んでくださいねぇ~」


 猫撫で声を出しながら、女達は乱雑に床に散らばる自分達の衣服を回収して私の横を通り抜け部屋の外へ出て行く。


 最後まで部屋に居た年上のエルフの女が、私にだけ聴こえる声で言う。


「カイシム様に気に入られてるなんて、勘違いするんじゃ無いわよ」


「さっさと出て行きなさいよ、アバズレ女」


「死ねクソガキ」


 そう言って部屋の扉が雑に閉められた。

 それを見終えカイシムは私へ話始める。


「にしても、全くここは最高だぜ。

 俺より強い奴なんざ何処にも居ねぇ。

 貢献度も金も俺ならすぐ稼げるし、こうして自分の家も女も持てる。

 誰も、俺の事を……」


 そこまで言って、彼は自分の口を手で覆い言葉を止めた。


「……まぁ、そんな事は良い。

 それで答えは決まったのか?」


「えぇ、決めたわ」


「そりゃ良かった。

 俺はお前のその目が気に入ってる。

 最初見た時はただ面の良いエルフだとしか思わなかった。

 だが、お前の目はどんどん俺の好みになってった。

 俺と同じ嫉妬の眼だ」


「貴方が自分よりも弱い相手にストレスをぶつけるのは、それが理由?」


 横柄で横暴で。

 悪い貴族という物を体現した様な男だ。

 気に入らない事、気に入らない物を力ずくでどうにかしようとする。


 彼がここへ残ってから、彼に関連する問題は幾つも増えている。

 喧嘩もしょっちゅう。

 女性兵士に言い寄って指令にお灸をすえられる事もしょっちゅうだ。


「別に……

 お前等だってその方がいいだろ?

 なんで戦うんだ。雑魚の癖に。

 なに頑張ってんだよ。弱い癖に。

 俺の方が強いんだから、俺が全部やってやるよ。

 だから、お前等はお前等にしかできない事をすればいいじゃねぇか。

 俺を楽しませろ、そうすりゃ俺が全部守ってやる」


「それが貴方の考え方?」


「あぁ、だから辞めたんだ。

 兄貴たちと張り合うのは。

 俺じゃ勝てねぇって分かっちまったから。

 お前もそうしろよ、楽だぜこっちは」


 失意の表情は、しかし直ぐに消え失せる。

 彼の抱える苦しみ等、私が知る由も無い。


 私にできるのは、私の選択をする事だ。


「なぁ」


 ベッドから腰を上げて。

 カイシムは私へ嘯いた。


「お前も俺と同じだろ。

 ラーンもお前の妹も覚醒した。

 シンは強くなるぜ。

 奴の家が潰れる前から俺は知ってんだ。

 あの炎剣は、並みの神操術に匹敵する。

 お前は確実に置いて行かれる。

 都合よくお前も覚醒するなんて幸運は、訪れねぇ」


 カイシムが私に近づく。

 下着とズボンしか着衣していない彼の、鍛えられた体が目前に迫って来た。

 背負う弓と矢筒がかつんと壁に当たる。


「俺に仕えろよ。

 お前は賢いし、俺の金で商売でもしとけ。

 お前はただ俺を楽しませてればいい。

 それとも俺の顔は好みじゃねぇか?」


 紫色の瞳が私を射抜く。

 ジッと、余裕に満ちた表情で。


「どちらかと言えば好みよ。

 アリバに似てるから」


「なんだ、あいつに惚れてたのかよ」


「多分……ね。

 彼は素晴らしい人間だったわ。

 神操術を持たない身で、大猪鬼帝オークロードを打倒したのだから。

 あの大猪鬼帝オークロードは普通の固体じゃ無かった。

 背に紋章を持つ神操術使いだったのに」


 アリバもずっと劣等感を抱えていた。

 それでも彼の心が、騎士道とかノブレスオブリージュなんて呼ばれるその力が、彼に奇跡を起こさせた。


 正直な話、この男の話は甘美だ。

 ここに居た女たちの気持ちも分かる。

 楽にお金が手に入るのなら。

 死の危険なんて感じなくて済むのなら。


 己の体程度、差し出したって構わない。

 そう思う者は少なくは無いだろう。


 それに、カイシムが抱く私への評価は殆ど本当の話だ。

 私は悩んでいる。

 ラーンやアナスタシアやシンの隣に居るのが、私で良いかと。


 でもこれは私の独断等で辞められない。

 この役目は、アリバに頼まれた物だから。


 私には、彼等の隣に立てる人間になる以外の選択を選ぶ気は無い。


 それに、弱いままで居る気も無い。

 可能性は無数に存在する。

 100試して1成功すればいい。

 アリバと同じ様に、全てを為せば何かは達する。


 神操術が無くとも、宝剣の様な特別な魔道具が無くても、私には私形のやり方がある。


 幾つか可能性は見つけてあるし、修練も欠かしているつもりはない。

 嫉妬も劣等感もあれど、諦める気はさらさらない。


 諦めず、成功した例を知っているから。


「アリバを、私は今でも尊敬している」


「それでもあいつは死んだろうが。

 それが現実だ。

 幾ら奇跡が起ころうが、死ねばなんも残んねぇ」


「私も、基地の皆の命もアリバのお陰で残っているわ。

 貴方こそ、力があっても何に挑む訳でも無いのなら、そんな物は誰が持っていても変わらない無意味な力じゃない」


 そう言った瞬間、壁際に私の身体は押されカイシムの腕が壁を打つ。


「お前、態々それを言いにここまで来たのかよ」


 視線が鋭く、私を睨む。

 けれど引く事は無い。

 あの時、アリバの微笑みを受け入れた辛さに比べれば、大した事の無い威圧感だ。


「私たちはこれから大渓谷の調査を本格的に始めるわ。

 日を跨いでの遠征も多くなる。

 その間にこの基地で面倒を起こされるのは困るの。

 貴方の様な問題児に、そう……

 弱い癖に色々されると邪魔なのよ」


「……テメェ」


 今にも暴発しそうな怒りを冷却するように彼は大きく息を吐いた。


「はぁ…………まぁ、そうだわな。

 俺の力は司令官ユキノより上だ。

 だが、ラーンとユキノに協力されると流石に分が悪い。

 だからラーンが居ない間にこの基地を転覆されるんじゃねぇのかってビビってる訳だ」


 これはそれ以前の問題だ。

 ここは魔境と呼ばれるイビア大陸だ。

 仲間内で争っている余裕なんてない。


 なまじ力があるからか、この男にはその自覚がない。

 だから態々私はここへ来たのだ。

 神操術使いでも何でもなく、何故かこの男に多少気に掛けられている私が。


「貴方がアリバなら、それも可能だったかもしれないわね。

 でも生憎、ここでの貴方の評価は最低よ。

 貴族で力もあるから、誰も口に出さないだけだって事に気がついた方がいいわ。

 そんな貴方が乗っ取れる訳無いじゃない」


「あぁそうかい、お前の事は結構気に入ってたんだけどな……」


「私が最初から貴方が嫌いだわ」


 アリバを貶める言葉を吐いた時から。

 それでもこうしてやって来たのは、貴方が無関心を貫けないほど面倒だから。


「ッチ……

 ここは俺が買い取った家だ。

 ここには俺の知らねぇ奴は来ねぇ。

 テメェ、男の部屋に一人で乗り込んで来て普通に帰れるとでも思ってんのか?」


 伸びた腕が私の首を掴み、壁に体が押し付けられる。


 圧倒的な身体能力の差。

 努力では覆らない力の差。

 でも別に、そんな力が無くたって対抗手段は存在する。


 まだ操作が甘くて、実戦で使った事はないのだけれど……


 魔力操作の応用。

 自身に宿る魔力の流れを操作し放出する。

 それは、ただ自分の力を無駄にしている訳じゃない。


「なんかしようってか?

 そりゃ無駄な足掻きって奴だ」


 魔力がある場所には精霊が集まる。

 集まった精霊に自身の魔力を食わせる事で、一時的にその精霊を眷属化する。


 その技術体系の名は……


「精霊魔ほ……」


「なんだよ一体っ!」


 カイシムが叫ぶと同時に、私の身体がベッドの方へ投げ飛ばされる。


「ぐっ……」


 掛かる不可に耐えながら目を開けた、その瞬間。


 カイシム毎、私の目の前にあった光景が根こそぎ黒い巨大な何かに吹き飛ばされた。


 屋根も壁も室内だった景色が、一瞬で屋外に転化する。


「何が……」


 残ったのはベッドがあった一角のみ。


 情報を知るべく辺りを見渡す。

 そして一瞬で私は理解する。


「グググォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 全身を黒い鱗鎧を纏う巨大な龍が吠える。

 翼の生えた騎士の様な二足歩行生物。

 けれどその巨大な尻尾や顔の造形は、どう見ても龍のそれだ。


 ワイバーンでは無く、ドラゴン。


 何故、前哨基地内にこんな物が居る?

 いや違う。これだけじゃない。

 周辺に大量の飛竜が降り立っている。


 基地内が混沌と化している。

 至る所で悲鳴が上がっている。

 基地が龍に襲撃されている……


 不幸中の幸いというか、ドラゴンと呼べる種は目の前の黒い一匹だけしか見えない。

 残りは少なくとも見える範囲にはワイバーンしかいない。


 瓦礫と化した家から外に走りながら、周囲の状況確認し続ける。


 カイシムは瓦礫と一緒に吹き飛ばされた。

 転がっている姿が見える。

 意識はありそうだが、かなりダメージも大きそうね。


 別室に居たであろう女たちが逃げている。

 その中には毒舌を吐いて来たエルフも居た。


「貴方、カイシムも連れて行きなさい!」


「えっ……」


 エルフは、短くそう言ってカイシムと私に二度視線を交互させた。


「あぁ……あぁぁぁ……!!」


 半狂的に声を荒げ、彼女はカイシムも私も無視して走って行った。

 それは他の女たちも変わらない。

 真面に思考が動いている人は居なそうだ。


「要らねぇよ……」


 息を切らしながら、血の滴る横腹を抑えてカイシムが立ち上がる。

 周囲に散らばった家具の中から背広を羽織り、愛用のシミターを腰へ刺した。


「クラウド」


 抜き放たれたシミターに白い靄が集まる。


「スラッシュ!」


 振り抜いた刀身より、雲の様な白い靄が放たれる。

 緩やかな動きではあるが、刀身より離脱した雲は龍へ迫り。


「グォォォ!」


 その腕の薙ぎ払いで掻き消された。


「ッチ……剣速が出ねぇ」


 龍は攻撃して来たカイシムをマークした。

 振り上げた腕をカイシムへ向けて叩きつけようと。


「闇精霊よ、彼を隠しなさい」


 さっき眷属化させた闇精霊たち。

 精霊とは魔力の微生物だ。

 空気中に存在するそれは、魔力を食わせてくれる宿主と共生する性質を持つ。


 それを利用し、精霊に命令する事で魔法に似た現象を引き起こす。

 それが、精霊魔法という技術だ。


 闇という現象を司る彼等に命じ、カイシムの体を黒い霧に包ませる。


 振り下ろされた龍の腕は霧を打つ。

 が、紙一重で命中しなかった。


 通常魔法と精霊魔法の違いは効果時間だ。

 魔法は発動してしまえばそれで終わり。


 しかし精霊魔法は一度起動すれば数分間は眷属化が維持され、その間は与えた魔力量に比例する量の精霊の力を自由に行使できる。


「助かった」


「死なれると、寝覚めが悪くなると思っただけよ」


 カイシムの隣まで何とか移動し、私自身も黒霧の中に入る。

 中からは相手の動きも見える。

 狙いの定まらない拳や尻尾なら、回避する事は可能だろう。


「お前が何を思おうが、何を説教しようが。

 俺は俺を間違ってるとは思わねぇ……

 弱ぇ奴は何もするな、強い奴に任せとけって考えは変わらねぇ」


 手持ちの包帯で彼の腹部を止血処置していると、彼は私をジッと見てそう言った。


「今はそんな話をしている場合じゃないと思うのだけれど」


「だから!

 ここで一番強ぇのは俺なんだから!

 俺がこいつを倒す!」


 包帯を巻き終えた彼は立ち上がる。

 その姿に一瞬、私はアリバを幻視した。


「貴方……」


 けれど……

 それでも……


 相手が悪過ぎた。


 龍とは天災である。

 それは誰もが知る常識だ。


 それに対した人にできる事は、それが過ぎ去るまで怯えながら祈る事だけ。


「グォォォォォオオオオオオオオオオオ!」


 咆哮と共に、龍の体が捻られる。

 黒い尾が、私の作った霧を横断せんと薙ぎ払われる。


「クソがぁぁあああ!

 大雲の巨盾クラウドシールドッッ!」


 私を庇う様に迫る尾へ向けて雲を展開するが、龍の一撃は圧倒的な質量と魔力を保有している。


 容易く霧も雲も払われて、私とカイシムは宙を舞った。


「あぁ……どうして……」


 飛竜の移動速度はオークの比ではない。

 監視も斥候も気が付いた頃にはもう遅かったのだろう。

 けれど、それにしたって。


 どうしてこの大陸では、ここまでの不運が普通の顔をして歩いているのか。


 微睡む視界の中で、完全に意識を失って隣に倒れるカイシムと、ゆっくりと近づいて来る龍の姿が見えた。


 私は最後の力を振り絞り空に手を伸ばす。


「精霊よ、その目を惑わせて」


 黒い靄が龍の顔にへばりつく。

 暴れる龍の拳と蹴りが大地を崩す。

 けれど、奇跡的に5発ほどの攻撃を回避する事ができた。


 だけど、それで終わりだ。


 黒霧が晴れる。

 精霊魔法の効果時間は終わった。

 そして私の意識も沈んでゆく。



「よく耐えたなモルジアナ。

 目に付くワイバーンを全部倒して来てたから、少し時間が掛かっちまった。

 だがここからは――俺に任せろ」



 現実か幻かも分からない。

 朦朧とする意識の中で、よく知っている声が聞こえた様な、そんな気がした。

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