第9話 H2R1K4G5M1


 青い大空がいつもより広大に思えたのは、上空に視界を塞ぐものが何一つ存在しないためだろう。


 しかしこの絶景も、目の前に豚面の巨漢が居るとなると効果半減というか無邪気に楽しむ事はできそうもない。


【貴様に誇りは無いのか?

 一騎打ちに乗ってやったにも関わらずこのような卑怯な手段を使うとは……】


「生憎、貴族はもうすぐ辞める予定だ」


【ペテン師めが、今ここで殺してくれる!】


 天空から落下しながらでも、オークの放つ重低音は俺の耳に入って来る。

 俺の声も向こうに聴こえているらしく、その怒りが言葉として伝わって来た。


 魔剣は既に砕け散った。

 銃に入れる弾丸魔石は空。

 俺にもうこいつと相対する術はない。


 だが、それで何も問題はない。

 ここは大渓谷の上空数百メートル。

 落下すればこいつもただでは済むまい。

 即死する可能性も十分ある。


 仮に生き残ったとしても、大渓谷を上り群れに戻るには不眠不休で全力疾走したとしても3日はかかる。


 俺は十中八九ここで死ぬ。

 だが、前哨基地の連中は勝つ。

 こいつが群れに戻るより親父が来る方が早い。


 俺に叩きつけようと鉈を振りかぶる大猪鬼帝オークロード


 空中でどうやってそんな姿勢制御をしてるのか。

 凡人の俺には分からない。

 けれど俺には、一つの喜びがあった。


 一度も勝利できなかった神操術使いを相手に、相打ちとは言え勝利したのだ。


 目標に俺は届いた。

 これはきっとハッピーエンドって奴なんだろう。


 仲間も勝利も、欲する全てを手に入れた。


 俺は満ぞ……


「はっ、死にたくねぇなぁ……」


 鉈が振り下ろされんとする刹那、俺の呟きと同時に。



 大猪鬼帝オークロードの体が左右にズレる。



【よもや、既にこんな場所まで迫っていたとはな……

 無念……】



 大猪鬼帝オークロードの体が細切れに切断されていく。

 本当に一瞬でバラバラにされていく。

 数百、数千の断片に分かたれた大猪鬼帝オークロードに再生は働かない。


「せっかく、生かしておいてあげたのに」


 女だ。

 黒と赤が混在するゴスロリ調のドレスで身を着飾った、黒髪の女。

 いや、少女と言った方が正しい外見。


 悪意も善意も感じられない。

 不敵な微笑みを浮かべた少女。

 されど、今の一幕をコレがやった事は紛れもない事実。


「妾を討とうなんて無謀なコトを望んだから、貴方は死んだのよ。子豚ちゃん」


 武器等一切携帯していない様にも見える。

 どのような方法で、大猪鬼帝オークロードを切断したのか一切不明。

 それでもかの王よりも圧倒的な強さを持つ事は間違いない。


「何者だ……?」


 豚が消え去り少女と共に落下しながら、俺は問いかける。


 少女は微笑みをこちらに向けて言った。


「ナイアセラム。それが妾の名。

 人の身で貴方はコレに打ち勝った。

 称賛するわ。けれどまだ足りない。

 もっと強く育ち、もっと発展しなさい。

 空を睨みながら、再び空を翔けるその時を妾はずっと待っているのだから」


 俺の頬に手を触れて、少女は耳元で言った。


「人よ、期待しているわ。

 あぁそれと、ディストヴィアによろしく」


「ディストヴィアだと……どういう……」


 俺の話を聞く気は無いらしく、少女の背に黒翼が出現する。

 それは鳥の物とも龍の物とも違う。

 何か、ツルツルとした表面を持つ植物の葉の様な羽だった。


 それを複数展開し、空中に身を留める。

 一瞬でその姿は遠退いて行った。


 別に助けてくれる訳じゃ無いらしい。

 期待されても数十秒後には落下死だ。

 ナイアセラム、どういう存在から知らないがこの大陸の『本土』に居る何かなのだろう。


 オークはあれから逃げていた。

 口ぶりからそう察することが出来る。


「まぁしかし、はぁ……

 考えろ、可能性を」


 大猪鬼帝オークロードは死んだ。

 ナイアセラムも敵という訳じゃない様だ。

 ならば、俺にはまだ一縷の望みはあるのではないか。


 既に落下は渓谷に入った。

 剣があれば側面に突き刺す様な事もできるが……

 いや、それができても腕が折れてそのまま落ちるのがオチだ。


「何か、何かないか……?」


 可能性を模索し、周りを見渡す。

 両面共に断崖絶壁。

 というか、着地場所があっても圧死だ。

 この落下の衝撃をどうにかするには……


 その時。


 キラリ、と何かの光の反射が俺の目に写った。


「こいつは……大猪鬼帝オークロードの魔石か……」


 体は細切れにされていたが、魔石だけは通常の形状で残ってる。

 魔石は結構頑丈だからな。


「あぁ、そうか。そうすれば……確かに。

 見えたぞ、可能性!」


 魔石に手を伸ばす。

 落下速度を考えれば最下に到達するまで残り10秒も無い。

 急いで手を動かす。

 かかる重力と空気抵抗が邪魔くせぇ。


 だが、やって見せる。


「届け!」


 魔石を掴む!

 電気拳銃「インドラ」に装填。


 大地まで残り3秒。


 だが、ギリギリまで引きつけろ。

 真下の大地へ銃口を向けて、引き金を――


「神秘の光よ!」


 ――引く。


 インドラの銃身から、今まで見た全弾中最高火力の一撃が放たれる。

 白氷龍の魔石をセットした時以上の威力。

 大地を穿ったその光線は、俺にかかる重力を相殺させていく。


 光線の射出時間は約3秒。

 常に下を向け続ける為にバランスを制御するのが案外難しい。


 だが、失敗イコール死だ。

 絶対耐えてやる。


「癒しの陽光となり」


 射出時間終了。

 既に重力は消え、俺の体が逆に空へと打ち昇る。


 空中で体が三回転し、俺の体は地面に叩きつけられた。


「我が……体に、再起の……灯火を……」


 ボロボロだ。

 体も衣服も。

 全身が痛ぇ。


 早めに詠唱を始めていて良かった。


「ヒー……リング……」


 それでも全快とは程遠い。

 何とか体を起こせる程度。


 痛みは全く引かず、骨も何本か折れてる。

 魔法も消耗品も武器も使い尽くした。


 生き残ったとは言え、こんな谷の下で生き延びれる保証はない。


「それでも、もう一度……」


 俺には残して来た仲間が居る。

 死んでも会いに行かなくちゃいけない。


 そう決心した矢先、声が聞こえて来た。


 岩陰に隠れ様子を伺う。

 敵か味方かも分からない。


 大渓谷のその下。

 魔境と思われていたその場所で。

 それは楽し気に談笑していた。


「あのアニメ見た? ちょっとエロい奴」


「俺には推しが居るからそういうのは見ないの」


「最近買ったゲームが面白くてさぁ」


 それは俺たちの使う言語とは異なる。

 奴等は古代語で会話していた。


 対象は三名。

 かなり小柄。身長はゴブリン程だ。

 しかし、人相は人間の老人に近い。


 古代語という事は分かるが、使っている単語には所々分からない箇所がある。


 彼等は俺に全く気が付いた様子もない。

 気楽そうな雰囲気で歩いていく。

 俺はそれを追ってみる事にした。


「やっと昼休憩だな」


「7時開始8時終わりって労働環境終わってるだろ」


「癒しが欲しい、ってか彼女ほし~」


 呑気。そんな単語が似合う雰囲気。

 魔大陸とは違う場所なのではと錯覚しそうだ。

 何者なんだ、こいつら……


 そのまま追っていくと、巨大な金属の門の様な建造物が建てられた場所があった。


 岩を削り造られた広めの空間に、金属の門が孤立している。


 門とは元来、場所を割く役割を負う。

 けれどこの門は前後が一切別れていない。

 本当に門だけが存在している。


「H2R1K4G5M1」


 男の一人が意味不明な言葉を呟く。

 暗号か?

 しかし、なんでこの状況でそんな言葉を。


 そう言って、男は門を潜った。

 その瞬間、男の姿が掻き消えた。


「H2R1K4G5M1」


 同じように別の男も呟いて、門を通り消える。


「H2R1K4G5M1」


 最後の男も消失した。


 今のは何らかの魔法詠唱だったのか?

 だとすれば、あの門は魔剣の様な魔法の代行装置?


「ここで動かなくても、餓死するだけ……」


 鬼が出ても蛇が出ても、死ぬよりマシだ。


「エイチツーアールワンケーフォージーファイブエムワン」


 さっきの奴等と同じように唱え、俺も恐る恐る門を潜った。



 ――生態認証結果……該当者無し。


 ――侵入者検知。


 ――拘束用空間への転送を開始。




 ◆




「崩天六花!」


 何度目かも分からない神操術スキルを発動する。

 向ける先はオークの群れ。

 放つたびに群れに穴が開く。

 だが、その穴も圧倒的な物量に直ぐに塞がれていく。


 いつまでこれが続く……

 いつまで戦い続ければいい。


 戦場の全ての兵士がきっと同じ苦しみを背負っている。


 回答は一つ。

 大英雄が姿を現すまで。

 飛行船が到着するまで。


「それまでは、私が希望になろう」


 ユキノ・マクスウェルは孤独に呟く。

 そうしてまた、魔力を沸かす。

 そうしてまた、スキルを発そうと天へ手を伸ばした。


「なんだ……?」


 けれど、手を伸ばし切る前に気が付く。

 オークの不可解な動き。

 部隊からの逃亡者まで出している。


 オークの指揮系統は元から褒められる練度では無かった。

 けれど、この動きはそれにしてもおかしい。

 命令権が崩壊しているとしか思えない。


 神操術によって浮遊し、天から戦場を見渡すユキノにはオークたちの動きは鮮明に見えた。


「オークの指揮系統に打撃を与える何かが起こった?」


 その様な作戦を講じた憶えは無い。

 けれど、その様な作戦を講じていた人物を知っている。


「アリバ君……君なのか……?」


 その問いに答えられる人物はここに居ない。

 だが、戦況が楽になったのは事実。


「だとしたらこの好機、逃す訳には行かない」


 通信用の魔道具を取り出し、操作していく。

 この魔道具に魔力を流す事で、流した魔力分だけ対応する魔道具を光らせる。

 光りの強弱を利用し、簡易的なモールス信号通信を可能とする。


『押し返せ』


 兵士たちの動きが攻勢に移る。

 耐えながら削り、少しずつ下がって耐える。

 それが本来の作戦だった。


 しかし、今このタイミングで上位種が集まる敵の前線部隊を削る事ができれば二日という制限時間を余裕を持って耐えられる。


 ユキノはそう判断した。


「混戦に崩天六花を撃つ訳には行かない。

 私も本体に合流して、小技で削るか」


 飛行の神操術を解除し、大地へ戻ろうとしたユキノの視界にかなり前方でオークに囲まれている仲間の姿を発見した。


「あれは……」


 それを見たユキノはその地点へ向け加速する。

 片腕で槍を振るう兵士。

 弓と杖を持ったエルフの姉妹。

 それは間違いなくアリバの仲間達。


「司令官……!?」


 モルジアナの驚きの声を一時無視し、ユキノは大地に手を触れる。


氷柱結昇ひょうちゅうけっしょう


 大地が凍てつき、氷が広がる。

 周囲を囲うオークの足元から大量の氷の柱が飛び出し、オークを打ち抜いた。


「僕のとは威力の桁が違う……」


 彼等は3人しかいない。

 その事実にユキノは即座に気が付く。


「アリバ君はどうしたの?」


 その問いに顔色を最も変えたのはラーンだ。

 青ざめ、吐き気を催している様なその姿。

 それを見れば、いやでも察っしてしまう。


「アリバとは大猪鬼帝オークロードと戦闘時に別れました。

 アリバの作戦が上手く行っていれば、大猪鬼帝オークロードと彼は差し違えている筈です」


「彼の生存確率は?」


 モルジアナは視線を流して答える。

 その答えは冷静で、嘘はない。

 だからこそ非情に思える言葉だった。


「可能性は無いかと……」


「そう、分かったわ……

 私が上空から援護する。 

 全速力で仮設基地まで戻りなさい」


「分かりました」




 基地へは30分程度で到着した。

 それからラーンとアナスタシアは医務室へ。

 モルジアナは本体と合流して弓で戦った。


 直ぐに遊撃部隊には撤退要請が出される。

 余裕があるのなら無駄に死亡率の高い作戦を続ける必要は無いというユキノの判断だ。


 しかし、遊撃部隊は凡そ半数が死亡。

 本体も多くの人命を失った。


 それでも2日。

 英雄の到着まで、オークの前哨基地到達を凌ぎ切った。



 耐え切ったのだ。



 大英雄にして大将軍。

 王国最強と呼ばれる神操術使い。


 バルドザード・シャール・ルクサス・ドーラット。

 及び、その息子3名がイビア大陸に現着。


 オークとの戦争は、オーク狩りに様変わりしていく。

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