第4話 ストーカー

 そんな晴香だったが、AVから移籍しての一年後に、このようなユニットに参加できるというのは、果たして彼女にとっていいことなのだろうか?

 実際に、芸名を変えたわけでもないし、

「元AV女優」

 という触れ込みも一切ない。

 社長からも、

「自分から、元AV女優だということは言わないようにね」

 と言われた。

 最初はあれだけ、

「元Av女優というのを武器に売り込むような話をしていたはずなのに」

 とビックリしたが、

「なるほど、こういう計画があったのか」

 と思わせた。

 しかし、まさかここで、臨時とはいえ、アイドルユニットを組むようになるとは思ってもいなかった。どこかのスポンサーのキャラクターとして売り出すということであったが、そういうアイドルは今までにも結構いたりした。

 だから、今さら珍しいことではないが、自分の年齢を考えると、

「何がどうなっているんだか?」

 と思わせるというものだった。

 ただ、そのおかげで、名前が売れたのは事実だった。

 それまでまったくと言って知名度がなかったものが、いくら地方営業のようなことであっても、覚えてくれる人がいるかも知れないと思っただけで、嬉しくなってくる。

 このユニットは、あくまでもキャラクターとしてのアイドルなので、子供やその母親がターゲットだった。晴香の売り込みには、

「私は二十三歳の……」

 と年齢を明かしての宣伝であった。半分はバラエティアイドルのようなもので、時々、着ぐるみを着て、子供たちを喜ばせるというキャラクターなので、アイドルというよりも、まるで、正義の戦士とでもいうような感じであった。

 そんな中で、それまで一人で浮いていた晴香を助けてくれる存在だったのが、みのりだったのだ。

 みのりも最年少ということで、孤独だった。他の女の子たちもさすがに中学生くらいの女の子が一人だと相手をしにくい。もう一人同年代がいれば、グループでの会話にもなるというものだが、それもしょうがなかった。

 ただ、みのりが選ばれたのは、決して悲観的なことではなく、事務所の一押しがみのりだったということだ。さすがにまだ中学生のみのりには、そこまで分かるわけもなく、孤独がこみあげてくるが、まさかマネージャーもみのりがそんな繊細だとは思っていなかった。

「この子は事務所の期待を一身に受けているということを、自分でもわかっているはずだ」

 と勝手に思い込んでいた。

 ただ、思い込んでいるというだけで、実際にみのりの方を見ようとは思わなかった。

 このマネージャーは、実は自分も元アイドル出身で、身体を壊して、途中卒業という憂き目を負っていた。

 だから、アイドルの気持ちは分かると思うのだが、分かりすぎるだけに、妥協は許さなかった。

「あんたたちには、私が味わった苦しみを分かるわけはないわ」

 という思いであり、アイドルとして活躍を期待されている女の子たちを、心の底で嫉妬していたのである。

「私は、アイドルなんてどうでもいいんだ。生活のためにマネージャーをしているだけで、どうせなら、私と同じ目に遭えばいい」

 と思い続けていた。

 みのりも同じような目で見られ、この辛さは、ひょっとすると、マネージャーの時よりも、きついのではないだろうか。

 マネージャーの時は、自分のマネージャーも事務所も全面的に彼女をバックアップしていた。だからこそ、卒業後も、

「マネージャーとして残ってくれないか? 挫折を味わった君なら、きっと彼女たちの気持ちが分かってくれるだろうからね」

 と言って声をかけてもらうことができたのだ。

 そのマネージャーの無言の圧が、みのりを苦しめている。

 みのりも社長から、

「マネージャーの彼女は一番君たちのことを分かってくれている人だから、安心してなんでも相談すればいい」

 と言ってくれていたので、当初は安心していたが、まさかここまでとは思っていなかった。

 しかも社長が自分のためにわざわざつけてくれたマネージャーである。本当のことを社長にいえば、社長の好意を無にしてしまうことになる。

 この思いが、みのりにはつらかった。

 これこそ、

「ジレンマ」

 というのだろうか。

 まさか中学生の自分が味わうことになるなど思ってもいなかったが、

「それだけ芸能界というのは甘いところではない」

 ということであり、契約をしている以上、仕事なので、えり好みもできないということだ。

 それでも、社長は優しい人で、

「まるでお父さんのようだ」

 という思いがあったので、社長を裏切るような行為は絶対にできなかった。

 みのりは、父親に小さい頃に先立たれ、父親というのを知らなかった。

 母親だけで育てられたことで、

「お母さんにも楽をさせてあげないと」

 と思い、芸能界に入ったのだ。

 その時雄スカウトは、まだ子供だったみのりに、不屈の精神のようなものを感じた。それがスカウトのきっかけだったのだ。

 みのりは、晴香に負けず劣らずの負けん気はあったが、そのせいもあってか、被害妄想的なところがあった。晴香もみのりのことを、みのりも晴香のことを、

「同じなんだ」

 と思っていた。

 その感覚が二人を結び付けたといっても過言ではないが、最近ではみのりはあることで悩んでいた。

 負けん気の強さからなのか、弱いところを近しい人には見せたくないという思いからなのか、晴香には言わなかったが、最初こそ、

「あまり詮索してはいけない」

 という気を遣っていたが、みのりと一緒にいるうちに、放っておくことができない気がしてきたので、

「どうかしたの? 何か気になることでもあったの?」

 と聞いてみた。

 さすがに、最初はモジモジとして、何も言い返すことができなかったみのりだったが、次第にその目が何かを訴えているようで、それに応じて優しく聞いてみると、みのりも観念したのか、話し始めた。

「私ね。最近誰かにつけられているか、それとも、狙われているんじゃないかって思うことがあるの。最初はふとした時に感じるくらいだったんだけど、すぐに気になる感覚が強くなってきて、よく振り返るようになったのね」

 と言われて、晴香はハッとした。

――そういえば、彼女、時々後ろを気にすることがあったような気がするわ――

 ということを思い出したからだ。

 まだ、若く、しかも思春期であれば、まわりの男性が気になるのも分かる。特にアイドルなどというと、ファンという不特定多数の人を相手にするわけで、いつどこで、反感を買っていて、逆恨みされているか分からない商売でもある。

 思春期の精神状態で、そんな妄想を抱いてしまうと、精神的に苦痛であることは分かり切ったことである。

 バスや電車の中で、満員の中でこそ、人の視線を感じた。あるいは、誰もいないところを歩いていると視線を感じた。

 中途半端に人がいるところでは感じないのだ。

「ひょっとすると、錯覚なのかも知れない」

 と、みのりは感じていた。

 最初はすぐに、悪い方に考えるみのりだったが、すぐに、

「気のせいだわ」

 と自らが否定してしまうところがあった。

 それだけ臆病なのだろうが、自覚しているところであった。

 そのうちに冷静さを取り戻し、

「まさかと思うけど、あれはマネージャーかも知れない」

 と思った。

 もし、これがマネージャーの仕業だとすれば、みのりはそれを人に言ってはいけない気がした。

 マネージャーが罪に問われるようなことがあれば、社長に迷惑をかけると思ったからで、それはしてはいけないことだと思っていた。

 だから、最初、晴香に相談したが、

「この間のストーカーというのは、私の勘違いだったみたい」

 と言って、すぐに否定した。

「そう? それだったらいいんだけど」

 と言って少しいぶかしく感じたが、

――みのりがそういうのであれば――

 ということで、それ以上詮索しないようにした。

 そのせいもあってか、却って恐怖が募ってくることになった。

 なぜなら、

「こうなってしまったら、何かあっても、誰にも相談できない環境を作ってしまった」

 ということになるからだ。

「私は大丈夫」

 ということを言っておいて、後になってから、

「実は……」

 というのは、ルール違反ではないだろうか。

 それを思うと、みのりは、もう社長はおろか、晴香にも相談できないと思うと、ジレンマは最高潮に達し、一時期体調を崩してしまった。

「まわりの人を裏切りたくない」

 という思いは、自分の存在意義に近いものがあり、もし何かあって、事実が明るみに出ると、その時点で裏切っていたことも明るみに出るのではないかと思い、それがジレンマとなってしまった。

 体調を崩したことも、

「言い訳にならないほど、無様ないいわけ」

 しか思い浮かばず、人によっては、

「アイドルとしての自覚がまったくない」

 と思われているに違いないと感じたのだ。

 実際に、他のメンバーのスケジュールを何とか合わせてきたのだから、他のアイドルのマネージャーにも申し訳ない。

 ただ、今回のストーカーに関しては、マネージャーはまったく関係はなかった。むしろ、みのりが体調を崩したことで、その後始末に奔走していたのだ。みのりが彼女を疑うというのは筋違いであった。

 元々アイドル五人が集結して、イベントが開かれるはずだった三日前、熱を出してしまって、寝込んでいたみのりは、イベントでファンに向かって微笑みがら踊るというパフォーマンスを演じている想像をしていたのだ。

 その時ストーカーが、目出し棒をかぶって乱入してきた。大混乱のイベント会場であったが、そこにマネージャーが果敢に飛び出して、取り押さえようとする。

「女だてらに、すごい力」

 と思って見ていると、彼女が相手の鳥打帽をはがした。

 するとそこに出てきた顔は、マネージャーだった。

「もう一人のマネージャー?」

 と思うと、共学で身体が動かなくなったみのりだが、次の瞬間、

「これは夢なんだわ」

 とハッキリと感じた。

 そう思った瞬間、すでに夢から覚めていて、後は、目が覚めるのを待っているだけだったのだ。

 真っ暗な部屋に光が差し込んでいるようで、

「夢というのが、ここまでハッキリしているものだったとは思ってもみなかった」

 と感じたのだった。

 なるほど、怖い夢というのは、インパクトがあるだけに、覚えているものである。そして、最後に差し込んできたかのように見えた光こそが、

「夢の世界と現実の世界を結び、そしていったん抜けてしまうと元に戻れないという結界のようなものなのかも知れない」

 と感じたものだった。

 この夢は、正夢なのだろうか?

 ただ、正夢と言っても、

「これから起こることを予言している夢」

 という意味ではなく、

「この夢が真実を映し出しているものではないか」

 というものであった。

 つまりは、

「普段、分かっていないふりをしているが、自分の中で認めたくないことを、間違いだと勝手に思い込み、現実を捻じ曲げようとしているのだ」

 とすれば、その自分の中にある本心が、夢となって見せたのではないかと思うのだ。

 この夢は、明らかに自分を付け狙っているストーカーが誰であるかということを暗示するものであった。

 いや、正確に言えば、

「自分が犯人である」

 と思っている相手が実は違ったのだということを自分に認めさせようとしてみた夢だった。

 怖いわけではないのに、ここまでハッキリと覚えているというのは、自分の中で、何かわだかまりのある夢であるという自覚があったからだろう。

 みのりは、あのストーカーをマネージャーだと思っていた。しかも、それは思い込みではないかということも意識していたのだろう。

 なぜそんなことを感じたのかということが、この夢で分かったような気がする。要するにみのりは、

「自分の中で納得させることで、怖さから逃げ出したかったのだ」

 ということである。

 犯人が誰であるか分かっている方が、どれだけ気が楽であるか。いくらでも、事前に手の打ちようがあるというものである。

 今のところ、危険が差し迫っているわけではないので、そこまで切羽詰まっていないが、危ないと思えば、事前に警察に捜査をお願いすることもできる。ただ、警察は基本的に、何かが起こってからでないと、動いてはくれないという、その存在価値すら疑いたくなるほどの、

「税金泥棒」

 であるが、事前に手が打てるというのもいい。

 最悪、事務所の社長に報告することもできる。彼女の社会的立場を抹殺することだって可能だ。

 この場合も一歩間違えれば、逆恨みがさらにエスカレートしないとも限らない。そういう意味でも、今は動くべきではないだろう。

 ただ、相手が分かっていると、それだけでだいぶ安心である、いつどこから狙われるか分からないことほど恐ろしいものはない。

 それはまるで、三大恐怖症と呼ばれる。

「暗所、閉所、高所恐怖症」

 と似たところがあるだろう。

 実際に危険が差し迫っているわけではないが、恐ろしさで手足がすくむという状態になってしまう。

 そんな時、恐怖がどのように自分に迫ってくるかということを考えると、

「これは自分だけが感じていることではなく、皆頭の中にあるものだ」

 と思ってしまい、ある意味、集団意識によって、精神的に救われることもあるのだと考えさせられてしまうのだった。

 ストーカーというのも、同じで、

「今のところ、安心だけど、いつ何が起こるか分からない」

 という感覚が見えない敵を想像させ、恐怖を募らせる。

 夢というのは、その恐怖を和らげる緩和剤のようなもので、夢という形で、自分が思っている恐怖をいかに納得しながら、和らげてくれるかというのが、潜在意識というものなのだろう。

 ただ、これはあくまでも願望という夢である。正夢だという根拠はない。ただ、みのりの中で、

「犯人はマネージャーではないんじゃないか?」

 と考えると、却って怖く感じられ、夢では助けてもらえたけど、実際には自分が危険な目に遭っていたのではないかと思うのだった。

 昔は確かにストーカーという言葉もなく、誰かに付け狙われていたとしても、罪になることもなかった。

 犯罪にしても、電車の中の様々な犯罪も同じ頃に言われるようになった。

 以前は車内放送などでは、

「スリや痴漢の被害に遭われたり、発見された方は、駅員にお知らせください」

 と言っていたのだが、それに、今では、

「盗撮」

 という言葉も入ってくる。

 これは、今から二十年くらい前から急速に普及し始めた、携帯電話の影響であろう。誰もが電車の中で携帯を見ていたのだ、満員電車の中では、皆が携帯電話を見ているのだから、スカートの下から狙ったとしても、分からない。ただ、携帯電話では、シャッター音が必ず鳴るようになっているので、盗撮はできないようになっている。

 中には、百貨店やホームに続くエスカレーターや階段で、カバンに携帯を忍ばせているやつらもいる。カバンの中に入っていると、なかなか盗撮も難しい。定期的な犯罪として、例えば、市役所などで、市の職員が女子トイレに盗撮カメラを設置していたなどという事件もよく聞く。

 考えてみれば、携帯電話が普及した頃、盗撮をしていた連中は、ある意味、やりたい放題だったであろう。

 シャッター音もなかっただろうし、カバンの中に忍ばせておけば、気づかれることもない。警察も狙われた女性も、まさか盗撮などされるなど思ってもいないはずだからである。最初に捕まった時は。文字通り、

「前代未聞の事件」

 だったことだろう。

 そのような事件がどんどん増えてきて、社会問題になって、やっと、

「法整備が必要」

 ということで、やっとこの話が国会で議題になる。

 議題になってから、どれくらいで法律が施行されるのかは分からないが、法律ができたとしても、すぐに効果が出るとは思えない。

 当然、見つかれば逮捕ということになるだろうが、それによって、いきなり裁判ということにもなりにくい。裁判になっても、初めての事例なので、判例などもない。裁判官としても、実にやりにくいことであっただろう。

 しかし、社会問題であり、そういう問題が明らかになってきたことで早急な法整備がされたのだから、ある程度、

「見せしめ」

 という形の判決が出たのではないかと思う。

 そうでなければ、世間は黙っていないだろう。

 しかも、当時は、男女雇用均等法が騒がれていて、ちょうど同じ頃に、変更になった名称もいくつかあった。

「女性だけの職業でもないのに、あたかも女性の職業だという形の言われ方をするもの」

 というものが対象だった。

 例えば、

「看護婦が看護士」

「婦警が、女性警察官」

「スチュワーデスが、キャビンアテンダント」

 などである。

 スチュワーデスなどは、パソコンでスチュアまで入れると、候補に挙がる文字は、

スチュアート関係くらいであり、スチュワーデスというと、昭和のドラマにあった、

「スチュワーデス物語」

 というのが出てくるくらいであった。

 そんな時代だったので、余計に盗撮などは、厳しかったに違いない。

 その分、今の時代は至るところに防犯カメラが設置してあるというのも、当時の盗撮禁止を法制化したことを思えば、おかしな気がする。

 ただ、あの頃から結構、いろいろな問題も持ち上がっていた、今度はネットの普及によって起こったことだが、サイバー詐欺などが増えたことから、

「個人情報保護」

「プライバシーの保護」

 という見地の法律ができてきたのだった。

 つまりは、文明の利器を作り上げると、それに伴って起こる犯罪も、どんどん出てくる。

 解決しては、また出てくるという、

「モグラ叩き」

 のような状態は、コンピュータウイルスにも言えるであろう。

 実際のコンピュータではないウイルスだって、一定期間で、自分たちが生き残るために、

「変異を繰り返す」

 という。

 コンピュータウイルスは人が作ったというだけで、それを駆除するソフトが開発されると、今度は、犯罪者側でも、もっと強力なウイルスを開発し、それをまた駆除するものを開発する。

 そんないたちごっこを繰り返しているのは、まるで、

「冷戦時代の、核の抑止力」

 のようではないか。

 相手が強力な武器を開発すれば、こちらもさらに強力な武器を開発する。つまりは、こちらが打つと相手も打ってくるわけだから、結果は共倒れでしかない。どちらも滅亡を意味し、それこそ、一撃必殺の、

「神風特攻隊」

 の考え方と同じではないか。

 ただ、相手が絶対に打ってこないという保証はないのだ、外交のやり方によって核のボタンが押されてしまうという恐れもあった。何しろ、すべては一人の人間の意思に任されているわけだからである。

「広告の後輩、この一戦にあり」

 とはよく言ったもので、それだけの覚悟を持って戦争というのはやるものなのだろう。

 ボタンを一度押すだけで、全世界で、人が生きることのできない環境になってしまうわけだから、戦争というもの、外交というものがどういうものであるのか、考えると恐ろしい。

 自国を守るというのが目的のはずなのに、全世界が滅亡するというのは、あまりにも本末転倒ではないだろうか。

 この核の抑止力の時代を、

「血を吐きながら続けるマラソン」

 と言った特撮番組があったが、今でも名言として残っている。

 今からちょうど五十年と少し前くらいのことだ。当時は、まさに東西冷戦の時代。

 全世界が、

「全面核戦争の恐怖」

 を味わった、キューバ危機から、約五年くらいのことであろうが、あの経験があっても、それでも、アメリカもソ連も、またそれ以外の先進国も核開発をやめなかった。

 さすがにその頃は、全世界の人たちにも、放射能汚染による世界の破滅というのも分かっていたはずだ。即死するだけではなく。みんなが死んでいくシナリオは、幾段階にも存在するのだった。

 それから時代は三十年くらい経って、携帯電話、パソコンなどのような便利なものが運用され、その時に犯罪も一緒に増殖するような時代が来て、核戦争や生物兵器戦争などよりも、

「現代は、サイバーテロの時代だ」

 と言われるようになってきた。

 まったく違っているように思われるが、

「いたちごっこ」

 という発想に、

「血を吐きながら続けるマラソン」

 という発想はセットで考えなければいけないものであり、それはどうしても、

「冷戦時代の核の抑止力」

 を思い起こさせるのだ。

 時代は、共産主義はほぼ崩壊し、あれだけあった共産主義国も終わっていった。今では、

中国やベトナム、キューバなどの限られた国だけではないか。

 明らかな共産主義というと、この三国くらいだろうが、他にもあったかも知れないが、これだけ減ったのを思うと、

「コンピュータウイルスの時代も、そのうち終焉されるだろう」

 と言えるのではないだろうか。

「時代は繰り返す」

 と言われるが、まさにその通りなのだろう。

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