第9話 大団円
松前は、どうしても、コウモリという動物の存在を無視できないでいた。
一番気になるのは、
「目が見えないのに、超音波を出すことで、自分がちゃんt動いているということを分かっている」
ということである。
コウモリをまるで障害者の代表のように考えればどうだろうか?
「目が見えない分、、他の部分が違う動物と比べて、飛躍的に優れているという感覚は、コウモリの特徴である。目が見えないという弱点を補うために、超音波を出し、その反射で自分の位置を確認できる」
という画期的なことである、
コウモリのような動物であったり、爬虫類などの動物のように、障害があったり、下等動物という印象のあるものは、再生能力が強かったりする。
そういう意味で、昔から魔女が何かの薬を煎じているという絵を見たことが何度もあったが、それは、魔法の薬を編み出しているという、魔女にいわゆる、
「薬品工場」
で作られているものに煎じられているものとして、ヤモリやヘビ、トカゲなどの爬虫類であったり、コウモリのような動物を魔女のクスリとして作っていたりする。
不老長寿のクスリだという話もあり、爬虫類とすれば、例えば、トカゲのように、
「尻尾をちょん切っても、また生えてくる」
というような、下等動物であるがゆえに、その能力は人間が羨ましく思うほど、大したものである。
さらにコウモリを使うというのも、きっと人間にはない、超音波を使うということから考えられたことではないだろうか。
そもそも、人知れずに生活をしている魔女なので、暗い洞窟の中にいるコウモリを、いつも見ているという感覚もあってのことなのかも知れない。
超能力という意味で、昔からコウモリの研究も行われていた。潜水艦のソナーなどもその原理を利用したものであろう。
さらに超音波の反射と、ドップラー効果を利用した、速度を図る意味で今では当たり喘のように使われているスピードガンなども、コウモリの生態を利用したものである。
大学の研究室の実験では、かなりの恐ろしいことも行われていた。もちろん、すべてが動物実験なのだが、電気ショックを使ったもの、毒ガスの威力であったり、内臓の耐久性を知るために、気圧コントロールができる部屋を用意し、気圧を下げ続けることで、動物がどうなっていくかという実験であったり、さらには、絶対零度の場所に身体の一部を埋め込んで、表に出したところでその一部をハンマーで叩いてみるなどと言った実験だ。
科学的なことを理解している人は、この実験でどのような結末が待っているかということ。
そして、それがどれほど気持ち悪い結末を迎えることになるかということを分かっているのかということ。
さらには、このことが実際に、昔人間が人間に行っていたと言われている実験であるということ。
最後の一つは、証拠が残っているわけではないので、何とも言えないが、生き証人がいたという話もあり、その人の証言で、映画になったこともあった。
研究員である覚悟を持った時のことである。
この映画の存在を覚悟を持つ前から知っていたが、あまりにも恐ろしいことであるので、実際に怖くてみることはできなかった。
しかし、自分が研究者として、目的那人類の反映という、少しオーバーで漠然としているので、ほとんど大義名分でしかないが、それでも、
「研究するということは、覚悟が絶対に必要なことである」
という思いから、この映画を視聴しようと思ったのだった。
レンタルビデオやでもなかなか置いているところは少なく、何とか探し当てて、その映画を見てみた。
「こんな恐ろしいことがこの世にあってもいいのか?」
というほどの内容で、驚愕したのも、無理もないことだった。
この映画の加害者は、日本軍の兵士で、被害者は、中国人や朝鮮人、ロシア人などと言った
「捕虜」
であった。
本来なら、ハーグ陸戦協定などで、禁止されている捕虜の虐待に当たるのだろう。虐待という言葉で表現するには、少し違うような気がするくらいであった。
この部隊の存在を知っている人は知っているのだろうが、通称、
「七三一部隊」
という。
基本的には関東軍が、外国で兵役についている将兵が、水の合わない外国で、身体に合う水の提供であったり、外国の病気、当時で言えば、マラリアやコレラ、さらには脚気に罹らないようにしたり、罹った時の治療を行うのが、主たる目的なのだろうが、実際にやっていたことは、
「生物兵器や、化学兵器の開発」
であり、それを名目として、もう一つの重要な目的は、
「捕虜を使っての人体実験」
だったのだ。
先ほどの実験に関しては、事実として伝わっていて、すべて人体実験が行われたこととして、映画が製作されている。
ナチスドイツのアウシュビッツなどという「ホロコースト」という事件があったが、あちらは、一種の、
「一つの民族の撃滅」
という目的があった。
これはこれで罪が大きいのだろうが、日本軍は、生物、化学兵器を開発するためであり、さらにその人体実験を行ったという意味で、果たしてホロコーストとどっちが重い罪になるというのだろうか?
しかも、ナチスドイツと違って、ハルビンにあった研究所は、敗戦が決まった時に、
「すべての証拠を隠滅せよ」
という絶対命令が出たのだった。
研究所の中にあった、無数のホルマリン漬けの臓器であったり、膨大な研究資料、さらには、捕虜の始末。
「一人たりとも生かしておいてはいけない」
という至上命令があったのだ。
だがら、日本がポツダム宣言を受諾した時に入ってきた占領軍には、部隊の存在は、跡形もなく消えていた。
だが、問題はこれだけではない。
占領軍である当時のアメリカ政府は、部隊の上層部と、
「研究資料の提供と、研究員の身柄を引き渡せば、極東軍事裁判で罪には問わない」
という密約を交わし、この部隊にいた連中が裁かれることはなかった。
むしろ、彼らは日本で薬品会社を立ち上げ、その発展に寄与したという事実もあるくらいで、その時の人体実験が功を奏したと言えるのではないだろうか。
時は戦時中で、占領地の虐殺などが横行していた時代。善悪の感覚もマヒしていたことだろう。それだけ今の日本人から考えれば、想像を絶するような、とんでもない時代だったに違いない。
松前は基本的に外人が嫌いだった。
特にいまだに戦時中のことをネチネチと言っている連中であったり、ここ十数年くらいで発展してきた東南アジアの若い連中の横柄な態度を見ていると、腹立たしかった。しかも、そんな連中を受け入れることで、経済を活性化させようなどという政府にも腹が立っていた。
「日本の治安を何だと思っているんだ」
とばかりである。
何が腹が立つかといって、
「外人を雇えば、国から補助金が下りる」
というものだ。
日本人にも失業者がいるというのに、外人どもを雇っていて、今では都会のコンビニ、ファストフードやファミレスなど、片言しか通じない連中ばかりがいるではないか。
ここ最近では、世界的なパンデミックのおかげで、外人どもの姿をあまり見なくなったのはよかったと思う。旅行者と名乗る連中にロクな連中がいないと思えるからだった。
まあ、そんな偏見を差し引いても、関東軍のあの部隊のやったことはひどいものだ。戦時中ということであっても、許されないことだろう。だが、問題はそこではない。
「人間という動物は、どこまで冷酷になれるか?」
ということであり、他の動物でも、確かに共食いなどということもあったりする。
それは知能が低いことで、意識していないことなのだろうと解釈できる。生きるための本能だと思えば、許容できることである。
しかし、人間は自分たちの私利私欲んために、どのような残虐なことでもする。
そもそも、
「南京大虐殺」
という事件をあの国は、
「日本軍の行った大虐殺事件」
として堂々と発表し、何十万という市民が犠牲になったと言われている。
最近では三十万と言っているが、実際に南京に住んでいた中国人が三十万もいたのかどうか怪しいという話もある、
元々は、南京の前に、北京付近の通州というところで、日本人が、言葉に出せないようなひどいやり方で虐殺されたことがあった。人数としては、数百人だったので、この話を知っている人は今では少なくなっていた。
しかし、当時、シナ事変が起こった時、
「シナ人を懲らしめる」
という声明が出されたのは、この通州事件があってのことだった。元々シナ事変の発端と言われた盧溝橋事件は、すぐに講和が結ばれていた。にも拘わらず、
「郎坊事件」
であったり、
「公安門事件」
であったりと、中国軍が発砲するという挑発をしてきたことで、次第に関係が悪化し、最期には通州事件という、日本人居留民のほとんどを虐殺するという暴挙に出たのだ。生存者は十数人という激烈な状態であった。
つまり、
「シナ事変を起こしたのは、中国側である」
と言っても過言ではない。
しかも、南京大虐殺についても、確かに虐殺事件はあったのだろうが、こんなにとんでもない人数ではない。中国側は、人数で勝負しないと、先に仕掛けた通州事件のことを持ち出されると、何も言えなくなるからである。
そして、この南京大虐殺という問題を大きくしたのは、何と日本の某新聞社だというではないか、
「反日で有名な……」
といえば、ピンとくるかも知れないが、新聞を売りたいということで、こともあろうに、日本のために戦ってくれた兵隊さんを、つるし上げるようなマネをするという意味で、この新聞社、そして、この記事を書いた人間の罪は大きい。人間として果たして許してもいいのか? という問題に発展しかねない勢いである。
このような恐ろしいことが、実際に行われていた日本であるが、何も日本だけに限ったことではない、ナチスドイツもそうであるが、イギリスなどは、何とも中途半端ではないだろうか。
「紳士の国」
と言われているようだが、前述のアヘン戦争もそうであったが、戦争に勝つために利用した民族に対しての、
「二枚舌外交」
が何を引き起こしたというのだろう。
有名なところでは、
「パレスチナ問題」
ではないだろうか。
ユダヤ人に対して、
「ユダヤ人の国を作ってやる」
として、ナチスドイツの迫害を逆手にとって、利用するだけ利用して、パレスチナに国家を建設することになると、そこには、先住民のアラブ民族が国家を持っていたわけだから、ユダヤ人は、彼らからすれば、
「侵略者」
ということになる。
新たな火種を作ってしまったイギリスであったが、もう一つの超大国と言ってもいいフランスも、似たようなものだった。
さすがに、イギリスほどではなかったが、元々東南アジアのインドシナというのは、フランスの植民地であった。
フランスがナチスに降伏し、フランスに親ナチスの政権ができたことで、ドイツと同盟を結んでいる日本は、親ナチス政府の許可を得て、北部仏印に進駐し、さらに南部仏印に進駐するということをしたことによって、インドシナは日本の支配下に入った。
しかし、これは、あくまでも戦争目的としての、
「大東亜共栄圏の確立」
ということであったのだ。
日本が敗戦したことによって、かつての応酬からの植民地であった国は、それまでの宗主国に対して反旗を翻した。
当然インドシナの国々は、戻ってきたフランスに抵抗していたが、パルチザンのゲリラによる抵抗で、インドシナを諦め、国連にその仕置きを丸投げする形になった。
それが、ソ連よりの共産化という問題が絡んできたことで、アメリカが介入してきたのだ。
その結果起こったのが、
「ベトナム戦争」
である。
フランスも変な欲を出さなければ、国家的に赤っ恥を掻くことも、その後に起こった戦争の引き金を引くこともなかったのだ。
それが、戦前から戦後に続く歴史である。これらの大きな出来事に比べれば、日本だけが叩かれているのは、あまりにも理不尽で、それこそ、
「勝者の理論」
と言われた、極東国際軍事裁判と同じ理屈ではないだろうか。
その時々で、罪を犯した人がいての事件であろうが、ここまで問題が大きくなるのは、国家ぐるみのことがあったり、勝者によって、自分たちが悪くないということを、敗者の責任として負わされるという、実に理不尽な解決だったからであろう、
第一次世界大戦の時、敗者のドイツにすべてを押しつけ、賠償金や、領土を戦勝国によって分割されてしまい、国土や経済が荒廃したことが、第二次世界大戦を引き起こした一番n理由だということを分かってのことだったのだろうか。
結果として、冷戦が勃発し、朝鮮、ベトナム、そして、アフガンへと続く、
「終わりなき、地域戦争、あるいは、代理戦争」
を引き起こすことになったのではないか。
これが歴史であり、本当であれば、皆が共有するべき事実ではないのだろうか。
だが、日本という国は、そもそも勤勉な人たちが集まっている国なので、復興も著しい速度で行われた。
もっとも、国土的な条件や、まわりの国との関係において、運は良かったこともあり、戦後三十年ほどで、世界最先端の先進国になったのだった。
日本製は、丈夫で性能がいい」
と言われて、よく売れた。
そのせいもあってか、他の先進国との間に貿易摩擦が起こったりと問題もあったが、日本という国は、再生能力という意味でいけば、最高の国なのかも知れない。
「一度、地獄を見てしまうと、どのように振る舞えばいいのかなどということは、おのずと分かってくる。それが、本能と結びついて、
「加工に掛けては、日本人に肩を並べる国はない」
と呼ばれるほどになった。
ただのマネではいけない。少しでも加工しなければいけないだろう。どこかの国のように、すぐにマネをして、著作権などあってないような存在にしてしまうのは、理不尽極まりないと言えよう。
日本製の製品が、丈夫で長持ちする、性能のいいものであると、実際には儲からない。
日本人の中にはそのあたりのことを分かっていて、悪いと思っているのかどうか分からないが、実際にもつ機関を故意に短くしているものもあった。
電化製品、医薬品、食料に至るまで、購入サイクルを少しでも短くさせようと、精密機械に拍車をかけていることもある。
実際には、出来上がったものは、最高級に優秀なもので、あるだろうが、精密機械などは、緻密すぎて、すぐに壊れてしまうという致命的な問題もあった。
しかし、
「精密機械なのだから、丁寧に扱わないと、すぐに壊れてしまう」
という但し書きがあれば、すぐに壊れても誰も不思議には思わない。
そのため、わざと精密機械ばかりを製造し、サイクルを短くして、どんどん購入させようという作戦もあったことだろう。
しかし、生産のスピードも早ければ、廃棄も早い。
そうなると、精密機械を使った製品がゴミとして、廃棄されることになるが、焼却できるわけでもなく、金属が錆びたり、プラスチックが腐敗して、公害を引き起こし、今問題になっている、
「地球温暖化」
「イオン層の破壊」
と言った問題から、異常気象を引き起こす原因になってしまうのだ。
そういう意味の解決策として、コウモリを研究していた。コウモリには、悪いイメージのものもあれば、同じ理由からいいイメージの解釈もある。
「悪いイメージの開発の裏には、いいイメージがあるはずだ」
という発想が考えられるようになると、コウモリというものの存在が人間という存在とシンクロしてきて、いずれは、魔女が作ろうとした、
「不老不死のクスリ」
などを彷彿させるものができあがるかも知れにあ。
それが、
「命の再生」
というものであったらどうだろう?
一度死んでも、ある条件が整えば、生まれ変われるというものだ。
同じ肉体に戻れるかどうか分からないが、薬の効果によって、別人として生まれ変われるかも知れない。
だが、これは、
「死」
というものを考えた時には、再生がいいことのように思うのだが。問題は、
「死んでしまった人間が生き返る」
という考え方に立ってみれば、
「同じ肉体に戻らなければ意味はない」
と言えるのではないだろうか。
しかし、人によっては、
「他人として生きていくうちに、いずれ、その人の意識が自分と結びつき、記憶なども、繋がってくるのは、遺伝子の力なのかも知れない。つまりは、遺伝子の活性化が、生き返るということを再生するという意識に変えるのだろう。遺伝子によって意識が他人になったとしても、自分であることに変わりはない。あなたの近くにも、急に別人のように思えるようになった人がいるのではないか? まわりから、生まれ変わったと言われているその人は、本当に生き返ったんだろうな」
と言えるのではないだろうか。
不老不死をテーマにしたつもりのクスリの開発だったが、それは次第に再生能力を目指すようになった。
そもそも、不老不死などという薬は、矛盾している。作ったとしても、一般に販売するわけにはいかない。それをやってしまうと、他の薬が売れなくなり、本末転倒な形になる。それによって、他の薬を開発しているところは、廃業してしまい、この薬だけが生き残る。
するとこの薬がいずれ効かなくなると、すでに他の薬はこの世に存在しない。そうなってしまっては、もうどうすることもできない。
そう感じた松前は、この開発から手を引いた。彼が子の簡単なことにやっと気づいたからだ。
「これって、治験のおかげなのかな?」
と考えたが、深く考えることはしないようにしようと思った。
下手に考えて、自分がコウモリのようになってしまっても困る。コウモリは一つのことに、善悪両方の発想を持っているのだった。それでも、最期には暗く湿った場所に、ずっと人知れずに暮らすしかない。それは今の開発を諦めた開発者としての自分がいる。
中心人物である松前が辞めてしまうと、他の連中もどんどん辞めていく。
最初こそ、
「松前は何度ここに至って逃げ出したりしたんだ?」
と他の研究員が言い出しただけではなく、赤松も、そう感じていた。
しかし、何も言わない松前を見ていると、そこに覚悟が感じられ、彼が辞めることに理解を示した赤松だった。
赤松が松前を家に招いたのはそんな時で、松前も覚悟を持続している中での訪問だった。
松前は、しっかりと覚悟をしていた。
彼にとっての覚悟とは一体何なのだろうか?
すでに治験も辞めてしまい、結局、不老不死とは、
「まるで不治の病の延命措置以上のことができるわけではない」
という結論に至り、そのことを他言無用という、治験者としては理不尽であったが。やり切った気持ちになっていた松前にとっては、それでもよかった。
それが覚悟となったわけだが、松前にとってのその覚悟こそ、この薬の最大の特徴である、
「再生能力」
だったのかも知れない。
「ゆいさんを僕にください」
と言った覚悟の表情、これは、松前にとっての最高の覚悟であった。
その表情を見て、
「よし、分かった。もう何もいうことはない」
と言って、二人を祝福した赤松の顔にも、松前と同じ覚悟が見えていた。
そう、赤松も同じように治験をしていたのだった……。
( 完 )
覚悟の証明 森本 晃次 @kakku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます