最終話


 目が覚めてそこに天女が居れば、羽衣を奪う事で天女が自分の妻になる。そんな逸話だっただろうか? よく覚えていない。


「おはよう。いつもこんな時間まで寝てるの?」

「ああ、もう七五三の季節か」

「母様のお下がり。というか、代々の蛇巫女は白大蛇様と結ばれる日にこれを着て祝うんだって」


 ヴィゼルのからかいを無視して花が答える。一見しただけで婚礼用と分かる豪華な白無垢の全体を、大きな蛇が何重にもとぐろを巻いて描かれていた。あちこちで煌めいているのは本物の蛇神の鱗だろう。


「大きさがお前にぴったりだな。深雪家は代々幼児体形なのか?」

「蛇巫女は白大蛇様の力で寿命が百五十年くらいになるんだって。だから私は今十三歳くらいの体でも不思議じゃないわけ」

「不思議の概念がおかしくなりそうだが、人の事言えねぇか」

「そうだよ。世の中は広いんだから」


 二人して笑い合う。願わくばずっとこんなやり取りを続けていたいと思う。

 だが、現実はそうもいかない。花は居住まいを正し、笑みを消し、真正面から俺に言った。


「自分で決めました。自分の"向かうべき道"を」

「ほう、言ってみな」


 その目を見れば聞かなくても分かる。もうこれから先、彼女は自分の運命を呪ったり、境遇を嘆いてその場で立ち止まって泣く様な事はしないだろう。


「私は白大蛇神の巫女。先祖が興し、母が愛したこの地を、白大蛇神様と支え、支えられて生きていきます」

「……それで良いんだな?」

「はい」

「ご立派だと思います。花様」


 羽衣は奪えなかった。それで良かったと心から思えた。


「本当に、ありがとうございました。ツヴィーゼル エコー ブラインド様、そしてミューリも」

「花様も、お元気で」

「それじゃ駄目だ」 

「え?」「マスター?」


 お辞儀をしようとしていた花は、顔を上げて俺の方を見る。

 そしてこれが、俺からの最後のアドバイスだ。


「こういう時見送る側はな、笑って見送るもんなんだよ。去っていく奴が後ろ髪を引かれないように、一つの未練も残さないように、な」


 そう言って花の目尻に溜まった涙を指で拭いてやる。すると花は、それこそ元気一杯の、満開の桜のように


「はい! ありがとうございました!」


 今度こそ笑顔で、花は深々と頭を下げる。


 最高の報酬だ。


 ここでもう一度花の顔を見てしまっては、きっと去るタイミングを見失ってしまうだろう。だから俺は黙って"背を向け"、歩き出した。


「ヴィゼル! 貴方はどうなの!? 貴方は今どこに"向かっている"の!?」


 背中から聞こえてきた叫びに返す言葉が無かった俺は、振り返らずにただ黙って右手を挙げた。の挨拶として。



***



 昔、戦争に勝利した王国は祝事として城の奴隷全員を自由にした。


「もうお前達は自由だ。どこへ行って何をしても良い。自分の人生を自分で決めて生きるが良い」


 奴隷達が各々散っていく中、一人だけがその場に残った。

 その元奴隷は王、王の子、孫、ひ孫に至るまで従者として仕え、一族と国を影で支え続けた。

 亡くなった際は当時の王の命令で、密かに王家と一緒の墓に埋葬された。

 どの歴史書を調べても、その元奴隷の名前は残っていない。



***



「……寂しくなりますね」

「はっ! お前にそんな感情があったとはな」

「私はマスターが思っているよりは感情豊かです。これまでは不要と判断して表に出さなかっただけです」

「そうかい……」

「不快であれば止めますが?」

「……いや、そのままで良い。少なくとも次の町に行くまでは、な」

「畏まりました。ではまず女性の上品な口説き方から解説しますが…」

「いや、やっぱお前黙ってろ」



***



 数年後、風の噂で聞いた話。


 どこぞの山奥に白大蛇神を信仰している村があるらしい。

 ところが、そこの巫女は逆に、常に黒い装束を身に纏っているそうだ。

 その為、いつしか彼女は人々から


『白蛇の黒巫女』


と呼ばれるようになったんだとか。









〜〜黒い矛盾と、導かれた白い蛇〜〜


 〜〜    終幕    〜〜



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