2-1

 目を覚ますと、既に太陽は沈んでいた。月明かりも届かないような鬱蒼した森の中で、少し離れた場所にある焚き火の灯りだけが唯一の光源となっている。そこから新鮮な肉の焼ける良い匂いがした。

 その傍らには、こちらに背を向けた男が地面に胡座をかいていて、何かを食べているようだ。そこで初めて男の右腕が無い事に気付いた。

 後は丸めた背中越しでも分かる大きく鍛え上げられた体格と、薄い黄土色で細身ながらも角張った身体と、火の灯りを鮮やかに反射する金色の短髪は、昔話に聞いた遠い異国砂漠の民を思わせた。

 こちらが何かを言うより早く、男に寄り添うように置いてあった黒くて丸い石がもぞりと動き出し……いや、違う、あれは、猫?


「おう、起きたか」


 男がちらとこちらを見て言う。男の目の色はやや燻んだ青で、紺青と言えば近い。

 そこでやっと今がどういう状況か、何故こうなってしまったのかを思い出した。


「肉、食うか? 狼肉だけど」


 どうやら食べていたのは先程狩った狼の肉らしい。断ろうかと口を開いた所で、胃が丸一日何も入ってこないと不満を訴える。

 そこで黒猫があらかじめ焼いてあった肉の塊を咥えてこっちに持って来てくれた。丸い目だけが白くて、スラリとして小顔で毛がとても短くて可愛い小猫だ。


「ありがとう」


 肉切れを受け取る。ん? でも待って、さっきまで猫なんて居た?


「お加減はどうですか?」

「ひゃあ!」


 肉切れを落としてしまった。いやそれより猫が喋った? いや、そうだ、こいつだ! こいつが狼を殺したんだった!


「ば、化け物!? 化け猫!?」

「……」


 化け猫? は私の動揺に反応せず、そのまま主人?の元へ戻っていった。代わりに男が答える。


「化け物か、まあ"方向性"は合ってるな。でも俺の故郷ソムリエじゃそこまで珍しくも無いんだぜ。世の中は広い。お前が世間知らずなだけさ」

「……そう、なの?」 


 悔しいけど世間知らずという点に関して否定できない。なにせ私は生まれてからずっと私の故郷ヤマナシから出た事が無いんだから。でも、だからと言っていきなりおとぎ話にしか無いと思っていたモノが目の前に現れて、常識を超えた事を次々にされては動揺するのは当たり前でしょうに。恐る恐る聞いてみる。


「…襲われない?」

「俺の命令には逆らわないから大丈夫だ。ミューリ…そういや名前まだ聞いてないな」

「あ…深雪ミユキ ハナ

「ハナ? ミユキ?」

「ハナで良いわよ」

「ミューリ、ハナが傷つかないようにしろ。命令だ」

「畏まりました。マスター」

「ます…たあ?」

「こっちの言葉だと主人って意味だ」

「ああ…」


 確かにあのミューリ(とかいう化け物)は主人に従順らしい、でも逆に言えばあの男が命令すれば私が次の獲物になるって意味でもあるんだよね……。


「しかし、実に山歩きに"向い"てない格好だな」

「え?」


 男が背中越しに横目でこちらを見て口元を歪ませる。そこで改めて自分の格好を見れば、まあ酷かった。一張羅の着物は泥まみれで所々穴まで開いていて、下駄の鼻緒は切れ、腰帯はどこかに行ってしまい、遊女でもしないような、あられもない格好をしていた事にやっと気づいた。


「ぎゃー!!」


 無意味ながらも体を隠そうと足掻く様を見て、ついに吹き出し始める男。照れ隠しもあってつい声を荒げてしまう。


「ちょっと、もっと早く言いなさいよ! っていうか、寝てる間に私に変な事してないでしょうね!?」

「はあ? するかよ、お前みたいなガキ」


 ピキッ


 そこで化け猫ミューリがすかさず口を挟んできた。


「ご安心下さい。マスターは下衆ではありますが、少女性愛者ではありません」


 ビキビキッ


「今までで手を出した女性の中で一番若いのが十六歳だったと記憶しています。貴女は完全に対象外かと」

「…前々から思ってたけど、お前俺の事嫌いだろ」


 プッチーン!!


「私は……」

「あん?」

「こ・と・し・で・じゅうななだあああああーーーー!!!」


 気づけば手元にあった木の枝を思いっきり男の顔面目掛けて投げつけていた。


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