黒い矛盾と、導かれた白い蛇

レイノール斉藤

白狐を信仰する村 ヤマナシ

 慣れない獣道を、整った床面を歩く為だけに作られた木靴で直走ひたはしった為、早くも息が上がっていた。

 実際は数百メートルの距離だが、普段走り回る事も無い娘には果てしなく長く、負担が大きかった。


「な、あぁっ!」


 そこに追い討ちを掛けるように、既にぼろ切れと化した腰帯が小木の枝に引っ掛かり、少女の逃走を阻む。

 そうなる事が最初から分かっていたかの様に、付かず離れず後を追って来ていた五匹の狼は、万が一にも獲物を逃さぬ様に周囲を囲むように近づいてきた。


「うぅ……」


 どうしてこうなったのか、私が何をしたというのか。娘の問いに答える者は居ない。

 世の中というのは突然理不尽になり、運命には情も慈悲も無いという事を、まだよわい十七の身には経験から知る術がこれまで無かった。

 そして今、それを身を以て体験し、そのまま次に生かす機会も与えられないかの状況の中で、彼女は更にもう一つ学ぶ事になる。


 幸運もまた唐突に脈絡無く降る事があるのだと。


「ギャッ!」

「!?」


 今まさに娘に襲い掛かろうとしていた正面の狼が、突然短い悲鳴と共に地面と頭を擦り付ける。

 いや、違う、上から何か黒い線が落ちて来たのだ。少なくとも彼女にはそう見えた。そして、よく見ると狼の頭を押さえ込んで……いや、貫いている!?

 娘も、他の狼も、何が起きたのか理解できず、その場で立ち尽くす中、突然の苦痛と拘束から逃れる為だけに吠え暴れる狼が一瞬全身を大きく仰け反らせた後地面に伏し、そのまま動かなくなった。


「な……に? これ」


 そうなってから初めて彼女は黒い線の根元を辿る為、徐々に上を向く。黒い線は少しずつ太くなっていて、傍の大木の枝に向かって続いていた。そしてその先、いや、に目を向けた所で、黒い線はまるで意志を持っているかの様にスッと上に戻っていき、次はそこから黒い禿鷲ハゲワシが翼を広げ、目の前に降り立ち、人の言葉を発した。


「分かるだろ? 風"向き"が変わったんだ。今回はお前らが狩られる方な。こっちは一匹で良いから、消えな」


 禿鷲の言葉が通じているのか、それとも本能的に命を狩る状況から狩られる状況になった事を察したのか、残りの狼は警戒の唸り声を上げながらその場を離れていった。


「…………」


 そうして、狼の食糧になる運命を免れた事を察するまで数十秒、目の前に居るのが禿鷲などではなく、黒い羽織りを身に付けている男だと分かるまで十数秒、今の状況が分からないと自覚するまで更に数秒を要し、次に発した言葉は、


「何……なんなの? あなた一体何者!? 今のは何!?」


 男はそこで初めて彼女の方を向き、わざとらしく周囲を見回し自分に向けられた言葉だと確認すると、得意気に鼻を鳴らしながら言った。


「俺に聞いてんのか? 俺は魔法使いだよ」


「マホウ……って何?」


 聞き慣れない単語が出てきた事で益々警戒心を強めたのを見てとった男は、罰が悪そうに頭を掻きながら、


「あぁ、もうこの辺じゃ通じねぇか。ん〜、そもそも『何』っていう単語が質問"向き"じゃないな。漠然とし過ぎてる。だからまぁ、一番面倒な部分から説明するか。ミューリ、戻れ」

「しかしマスター……」

「お前の意見は聞いてない。戻れ、二度言わせるな」


 男が唐突に独り言を始めたかと思うと、同じ辺りから別の声が聞こえてきた。どこからと探す間も無く、羽織っていた黒い外套がひとりでに動き出す。


「ひっ!」


 先程の狼の事を思い出し、反射的に後ずさり、その拍子に靴紐が切れて尻餅をついてしまう。だがその間も視線は動く外套に釘付けだった。それ程目にした光景が信じられないものだったからだ。

 先程まで外套だった物が形を変え、長さを変え、質感まで変化させて、数秒で六十センチ程の人形に変わり、男の左腕に座っていた。


「これは、ある程度自由に形や硬さを弄れる。能力名は【矛であり、盾でもあるキラーパラドックス】。言っとくが俺が考えたわけじゃねぇぞ。こんなセンスねぇの」

「……」

「ついでに名前を言うなら【ミュゼド ヴァン ブラッククイーン】。長いからミューリで良い」

「……」

「で、その持ち主のナイスガイが俺こと【ツヴィーゼル エコー ブラインド】だ! ヴィゼルで良いぜ」

「……」

「で? お嬢ちゃんの名前は?」

「……」

「おーい。結果的とはいえ助けたんだから挨拶ぐらいしろよ。名前は?」


 ヴィゼルとミューリは、木にもたれかかって俯いている娘に近づいて更に問いかけるものの、反応は無い。


「……」

「マスター。彼女は気絶しているのでは?」

「……"向い"てねぇな、色々と」

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