第8話 相対性理論とタイムパラドックス

 そして、そんな太郎に対して乙姫様は、

「玉手箱なるお土産」

 を持たせたのに気付いた太郎はそれを開けてしまったことで、急に年を取り、おじいさんになってしまったというのであるが、ここにも不思議な感覚に捉われる人も少なくないのではないだろうか?

 もし、この玉手箱が、太郎を正常な世界に戻すために使われたものだとするならば、白骨化するくらいであってしかるべきではないか。

 知っている人間が誰もいない未来の世界で、しかも、老人になってその場に放置されることになるというのは、あまりにもひどい話ではないか。

 いっそのこと、殺してあげた方が、お慈悲というものではないかと思えてくる。このような生殺しのような仕打ちは、果たして何を意味するというのか?

 だが、実際には、この話には先があるのだった。

 明治政府の意向で、この話は、浦島太郎が玉手箱を開けて、おじいさんになるというところで終わっているかのように思われたが、実際は違った。

 考えてみれば、カメを助けた浦島太郎が、どうして、このような報われない最後を迎えなければならないのか。他の昔話とは、明らかに主旨が違っているではないか。

 明治政府はそこに、

「見るなのタブー」

 を織り交ぜたのだ。

「見るなのタブー」

 とは、見てはいけないであったり、開けてはいけないというものを開けてしまうことをいう。

 浦島太郎は、乙姫様から玉手箱を貰った時に。

「決して開けてはいけない」

 と、釘を刺されていきながら、見てしあったのだ。

 きっと途方に暮れて、判断力も低下し、無意識のことだったのかも知れない。ただ、そうなると、他の昔話とは明らかに違うものである。

 他の昔話においては、

「見るなのタブー」

 として、

「見てはいけないと言われるものを見る時のパターンは、そのほとんどが、好奇心に負けることで、見てしまうことがほとんどである」

 というものだった。

 そして、心理学的に、

「人間というのは、見てはいけないと釘を刺されたものに対しては、どんどん見たいという欲求に駆られてしまい、最後にはその欲求に負けてしまう」

 というのが、一般的な考えであろう。

 しかし、宗教的には、

「信仰心が厚ければ、そんな欲求に負けるはずはない」

 という教えがそこには含まれていて、おとぎ話というのは、子供に対しての戒めというだけではなく、宗教不況のプロパガンダとして利用されたという考えも出てくるというものである。

 それを思えば、浦島太郎の話を、おじいさんになったところで終わらせるというのもありではないかと思われるのだった。

 そんな浦島太郎の話にとって、

「本当は先があった」

 というのだが、それは、乙姫様がカメになってやってきて、鶴になった太郎と結婚し。幸せに暮らしたというハッピーエンドである。

 しかし、ここにも若干の違和感があるのだが、気が付いた人もいるであろう。

「乙姫様が太郎を慕って地上に来て、二人は結婚するのであれば、何も太郎が、おじいさんになる必要などあるのだろうか?」

 という思いである。

 それを考えると、別の発想が生まれてくる。

「浦島太郎の話というのは、本当は最初から二つあったのではないか?」

 という疑念である。

 そもそも、昔話というのは、類似の話が全国各地に点在していて、それらを総合的に見て、

「おとぎ草子」

 として、編纂したものなのであろう。

 この場合の疑問というのは、やはり、

「せっかく、太郎の元にやってきて結婚するのであれば、わざわざ玉手箱を持たせたりして、おじいさんにする必要があったのか?」

 ということである。

 乙姫様は美しいままなのに、老人になった太郎を慕うというのはどういうことであろうか?

 性欲などを考えると、老人に若い娘が抱かれるというのは、異常性癖でもなければ、考えられないことだ。

 となると、本当の浦島太郎の話は、二つあり、一つは、今伝わっている話がその一つであり、実際の話とされているものには、

「玉手箱は存在していない」

 と考えればどうであろう?

 途方に暮れた太郎の元に、乙姫様がやってきて、乙姫様と永遠に幸せに暮らしたという考えであるが、だが、限りある命の太郎に、永遠という言葉は当て嵌まるのか? とも考えられた。

 そこで、

「玉手箱は存在し、あの煙はおじいさんになるための煙ではなく。鶴になるための煙だった」

 という考えである。

 つまり、玉手箱を開けたことで、太郎は鶴になり、乙姫がそれを見て、自分も地表に行って、二人で幸せに暮らしたということであるが、これで本当にしっくりくるのだろうか?

 そもそも、乙姫様というのは、竜宮城の女王様のようなもので、いくら一人の人間を好きになったからと言って。簡単に竜宮城を出て地表に来れるものだろうか?

 竜宮城を見捨てたことになるのではないか?

 そう考えると、この話もしっくりとこない。

 では、乙姫にも何らかのバツが与えられたと考えるとどうだろう?

 そこで出てくるのが、本来言われている玉手箱の効力である。

 乙姫が地上にくるために受けた制裁は、

「おばあさんになることだった」

 ということであれば、浦島太郎がおじいさんになった理由も分かるというものだ。

 しかし、最初から乙姫様は、自分がおばあさんにさせられるということを分かっていなければ、玉手箱を渡すという話は偶然で片づけていいものなのかと思い。この話もどこか胡散臭い気がする。

 ただ、前述の、

「この話は、そもそも二つあった」

 と考えるのが、妥当かも知れない。

 伝わっているのとは違うハッピーエンドの話には、本当は玉手箱が出てきたわけではなく、実際に伝わっている話と一緒になり、もう一つの言い伝えになっているのではないかという考えである。

 そういう意味で、明治政府が、浦島太郎がおじいさんになるという話を採用したことの訳が、ハッキリと分かるのではないかと思えたのだ。

 きっと、この浦島太郎という話は、

「どう解釈しても、何かタブーを犯してしまったことで、その報いを受けなければいけないという話に、どうしてもなってしまう」

 ということではないかと思えるのだった。

 竜宮城から出た乙姫が、地表に着いた時点で、時の流れに逆らえず、おばあさんになるという発想は、実際に本人は分かっていたのだろう。

 ただ、ひょっとすると、乙姫様は、

「浦島太郎に渡した玉手箱の本当の効力を、何も知らなかったのかも知れない」

 とも考えられる。

 ただのお土産のつもりだったのかも知れないが、ただ、彼女も地表と竜宮城の違いと知っていたと考える方が妥当であろうと思われる。

 乙姫様も、ひょっとすると、そんな効果のことを知らなかったのかも知れない。

 考えられることとして、考えられているように、

「乙姫様が竜宮城の支配者である」

 という考えが果たして正しいのかということである。

 もし、彼女が竜宮城の支配者であったとすれば、その地位を捨ててまで、好きになったとはいえ、見ず知らずのしかも、地表の男を慕って、地表に出てくるだろか?

 それまでの昼夜名誉、権力を捨ててまで地方に来るというのは、竜宮城が小倉区浄土に思えた浦島太郎からすればありえないことではないだろうか。

 それを考えると、

「乙姫様は竜宮城の支配者なのでも何でもなく、ただのスポークスマンのような存在で、お飾りの代表者だったのではないか?」

 ということである。

 それであるならば、浦島太郎を追って竜宮城を抜け出しても別に不思議はない。竜宮城としても、

「乙姫の代わりなど、いくらでもいる」

 という程度に考えていたとすれば、乙姫の権力や立場など、最初からなかったようなものだ。

 ただの傀儡であったとするならば、玉手箱の正体を知らなかったとしても無理はない。

 上の人から、

「玉手箱を渡して。開けてはいけないと釘を刺しさえすれば、それでいい」

 ということだったのかも知れない。

 乙姫は、浦島太郎がその玉手箱を開けて、おじいさんになったのを知って、自分のしたことを後悔し、自分が浦島太郎を好きだったことに気づいた。

 だから、浦島太郎への懺悔の気持ちと、好きになった気持ちから、カメになって竜宮城の門番を騙し、陸に上がったと考えてもいいだろう。

 つまりは、竜宮城は、極楽浄土などではなく、人間を欺くための何かを目的とした基地だったと言えるかも知れない。

 それが地球を侵略する前線基地だったのかも知れない。それが海底人によるものか、それとも宇宙人によるものかは分からない。

 海底人だとすると、彼らは、ひょっとすると人間よりも前から地球にいた祖先なのかも知れない。

 そう思うと、彼らが不思議な力を使ったとしても不思議はない。人類などに比べてはるかに文明が発達した世界の人種だとすれば、その後、地表に何もしなかったのも分かるかもしれない。

 ひょっとすると、やつらは、地表などよりも、もっと住みやすいところを宇宙に求めたとも考えられる。今頃は他の星で、人類の想像もつかないような文明を持っているかも知れない。

 そして、

「もう人類なんて、眼中にないわ」

 というくらいに、文明的にも置いて行かれたと考えるのが妥当ではないだろうか。

 だから、それ以降、海底から地表に対して何もないのだ。それを思うと、不幸中の幸いだったと言えるのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、浦島太郎の話を、自分と同じように考えた人が明治政府にもいたということだろう。

「玉手箱を開けて、おじいさんになってしまった」

 という中途半端な大団円にしてしまったのも、そのあたりに理由があるのではないだろうか。

 つまりは、乙姫様が竜宮城から地表に来たという事実だけで、勘が鋭い人は、

「乙姫様は、竜宮城の支配者ではなかった」

 と考えるであろう。

 そうなると、竜宮城が見せかけの世界であり、極楽浄土に見せたのには、何か思惑があったと思われると、明治政府には都合が悪いのかも知れない。

「竜宮城が、今の明治政府と同じレベルだと思われると、教育上も、今後臣民を収めていくうえでも、実に都合が悪い」

 ということになるのだろう。

 竜宮所には、どのような考えがあったのか、そもそも、この話を書いた人は、竜宮城というものを、最初から、

「侵略のための前線基地」

 という思惑で書いたはいいが、これが政府批判に繋がらないように、おとぎ話としてオブラートに包んだのかも知れない。

 それは、まるでノストラダムスが自分の予言を詩の中に隠したのと同じ感覚ではなかったか。

 それを思うと、浦島太郎に限らず、おとぎ話と言われているものは、皆何かを隠すために書かれたものだという憶測に繋がっていくことだろう。

 乙姫様がカメになったというのも、竜宮城を抜け出したということで探されて見つけられるのを恐れたからなのかも知れない。

 そして、浦島太郎も鶴にしてしまい、二人は永遠に幸せに暮らしたというしめくくりだが、これも曖昧だ。

 そもそも人間として、

「長生きすればそれでいいのだろうか?」

 という発想が生まれてくる。

 何と言っても、誰も知っている人のいない七百年後にいきなり放り出された時の気持ちとすれば、これほど不安なことはないだろう。

 自分だけがまったく別の世界からやってきて、昔の話をしても、誰が信じてくれるというのか。

 ひょっとすると、七百年後には、タイムマシンのようなものができていて、過去から浦島太郎が来るということもすべて予言されていることであるということもまったく書いていない。

 どんな世界になっているか分からないから書いていないのだろうが、もしこの話を書いたのが、竜宮城の人間。つまりは、極度に文明が発達した人類であるとするならば、未来も分かっていて当然ではないだろうか。

 世界の七不思議と言われる、ナスカの地上絵であったり、ピラミッドなどは宇宙人が自分の存在を仲間に知らせるために作ったのだと言われているが、浦島太郎の話は、どういういきさつから生まれたのか。

 本当のフィクションとして、描かれているのであれば、ここまで伏線回収ができるというのは、実に素晴らしい。

 今であれば、芥川賞者だと言えるのだろうが、どこまでこの話を信頼していいものなのか、あまりにもうまく出来すぎていると、逆に恐ろしく感じられたりする。

 果たして何が真実なのかと思うが、少なくとも、相対性理論であったり、タイムマシン的な発想。さらに、侵略という裏の場面を示しているとするならば、このタイトルである、

「浦島太郎の裏島というのも、言葉の裏という意味の裏を掛けているのではないか?」

 とも言えるのではないだろうか。

 浦島太郎の話を考えていると、前に見たビデオの話を思い出した。

 あのビデオは、タイムスリップで過去に飛んだ人物がいて、彼は一人で飛んだわけではない。確か軍隊の中の一人だったようだ。

 過去に飛んだのには何か理由があるのではないかと感じ、その理由を探した。

 他の人たちは自分の置かれている立場をいまだに分かりかねているにも関わらずにである。

 もちろん、普通の人はそうであろう。

「一体、何がどうなっているんだ? 夢なら早く覚めてくれ」

 と思っているに違いない。

 彼は、SF的なことに興味があり、時代としてはまだSF小説などがなかった時代だったが、彼なりに想像していてのことだった。

 主人公は、昔に行った理由をそれなりに自分で解釈し、まわりに説明をした。

 すぐには分かってもらえなかったようだが、歴史を知っている人は今の時代よりもたくさんいたので、理解させることにはさほど困難を要しなかったのだ。

「じゃあ、俺たちはそのために、こんなところにいるということかい?」

 と言って、何となくであるが分かってくれていた。

 そもそも自分たちは軍隊の一員なので、国民を守るのが責務である。いくら自分たちの時代の国民ではないとはいえ、同じ日本人が困っているのを黙って見ていられないのが、軍人魂だったのだ。

「よし、分かった。貴様の言う通りに動こうではないか」

 と言って、主人公が作戦を立案し、いざ結構という時になって、事態が急変したのだ。

 それまでの天気が急変し、嵐がやってくるようだった。それを見た主人公は。

「これは、こちらの世界に来た時に感じたあの天候にソックリではないか」

 と思い、このまま進めばその嵐に突っ込んで、また前の時代に戻れるかも知れないと思ったのだ。

 だが、果たしてそうだろうか?

「今度はまた違う時代に飛び出すかも知れない」

 と思った。

 彼は、その危惧を誰にも言わなかったが、実はその嵐が見えていたのは、彼だけであり、他の人には嵐が分からなかった。

 あら足が近づいてきて、皆嵐に巻き込まれて舞い上がっていった。

 しかし、主人公は嵐に巻き込まれることなく、まるで自分のまわりにバリアが張り巡らされているかのように、まわりの嵐の影響を受けることなく、まわりを他人事のように見ていた。

 他人事と言っても想像を絶することであるのに変わりはなく、恐ろしいその光景をただ見ているしかなかった。助けることもできずに、時間が経つのをただやり過ごしているというだけである、

 そのうちに、嵐は収まった。その場所はすさまじい嵐が過ぎ去った後が悲惨であったに違いない。

 だが、その場所はまるで何もなかったかのように静まり返っていた。嵐が過ぎ去ったという悲惨な光景はどこにも見られない。

「夢を見ていたのだろうか?」

 と感じたが、次の瞬間、

「そもそも、ここにいること自体が夢なんだけどな」

 と感じた。

 そして、軍隊全体が消えていて、自分だけがなぜかここに取り残されたのだ。

 主人公は思った。

「もう一度タイムスリップが起こったんだ。そして、彼らは元の世界に戻れたんだ」

 と思ったのだ。

 三十年という時が経っているので、主人公はそれから三十年経てば、また彼らに遭えるのえはないかと思うようになった。

 そして、何とかこの時代で生き抜くことに決めた。

「今は、十七歳だが、三十年後の四十七歳という年齢になった時、自分はどうなるのだろうか?」

 と考えていたが、実はもう一つ大きな問題があることに、その時からは気付いていなかった。

 普通なら分かるのかも知れないが。自分が当事者になってしまったことで、事の重大さに気づいていないのだろう。

 というのは、

「自分が今十七歳ということは、今から十三年後、自分が三十歳になった時に、何が起こるのか?」

 ということであった。

 その年は、自分の誕生年ではないか。つまりは、自分が生まれる年だということだ。

「年齢が違っているとはいえ、同じ人間が同じ次元の同じ時間に存在していてもいいのだろうか?」

 という考えであった。

 しかし、生まれることは間違いない。なぜなら生まれなければ、自分という存在は今すぐこの世から消えてしまうからである。つまり少なくとも、十三年後から、十七年間、同じ人間が同じ世界に存在しているということになるのだ。そして、自分は、自分が生まれてからタイムスリップを起こすまでの人生を一ミリも動かしてはならないという宿命を負うことになる。

 まったく関わってはいけない。関わっていなかったとしても、間接的な影響がないわけでもない。考え始めると、どうにもならないほど、頭の中で負のスパイラルを描くことになるのであった。

 さらにもう一つをいえば、

「三十年後にタイムスリップをしてこっちの世界に来ても、数日でまた向こうの世界に皆が戻ることになる。彼らに自分が関わっていいのかどうか」

 この問題も大きな問題であったのだ。

 そして、何と言っても一番大きな問題は、

「皆は元に戻れたのに、自分だけが、こっちの世に取り残されることになってしまったというのだろう?」

 というのが、問題だったのだ。

 そんなことを考えながらであるが、時間はどんどん進んでいった。

 なるべく自分にかかわりがないようにしていたので、もう一人の自分のことを敢えて考えないようにしていた。

 そして三十年が経ち、もう一人の自分を載せた軍隊が、案の定、タイムスリップに遭い、過去に戻っていった。

 この時も自分は近づきすぎるくらいに近づいたが、バリアのおかげでタイムスリップをしなかった。

「あんな風に舞い上がって、過去に行ったんだな?」

 と、その時は当事者だったので意識はなかったが、帰りのタイムスリップで見た光景がデジャブのように感じられ、まるで昨日のことのようだった。

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