第88話 アーサーの偉業
建国祭りを終えてその後処理の書類に追われているモルガンは紅茶に口をつけながら体を伸ばす。
「それにしてもアーサー皇子はなにを考えているのかしらね? 確かに食料問題は大事だけど、建国祭の持ち場を離れるなんて……さすがの私も今回は読めないわ」
今頃魔力を使い果たし、ベッドで寝ているであろう婚約者を想いため息を漏らす。今回の開国祭は皇子がそれぞれの得意分野で活躍する場であるのと同時に、外国や普段は会えない地方貴族などとも交流し、顔をつなぐ場でもある。
その点、今回は『黄金小麦』という新しいものをもたらしたロッド皇子の評価は上がっていた。それに対抗してか「ライス」を出したアーサーも良い勝負だったのだが、やはりあの場から途中退場してしまったのが痛い。
アーサーの代理人として、代わりに立っていたものの来客は彼の治癒能力を目当てに来たものも多く、残念そうな顔をして帰ってしまった。彼の顔を売るのは成功とはいいがたいだろう。
だが、不思議とモルガンには非難の色はなく、むしろ、彼を好ましく思っていた。
確かに王族としてはちょっとあれだけど……民衆のことを考えているという方向性はぶれていないものね……
自ら戦場へといったアーサーに農業などで生計を立てている地方貴族や、その度胸を武官などは評価してくれていた。
「だけど……ライスの普及……これは難関ね……」
今回の件でライスの知名度は上がり、アーサーが話をつけている商人の店では出すようになるだろうが、それ以上広めるのは難しいだろう。そもそもライスへの調理知識がないし普及するかもわからないので学ぼうとする人間は少ないと思う。
商人や民衆も最初は興味本位で口にするだろうが、定期的に食べる機会がなければ結局は少数が食べる変わり種商品という形で終わると思う。
特に貴族の協力をあまり得ることができなそうなのは厳しい。あのままアーサーが会場にいれば多少は興味を持つ貴族も増えたとは思うのだが……
「まあ、それでも……食料危機の改善案の一つとしては実用レベルにはなったわね……これで小麦が採れなくなっても少しもつでしょう」
「失礼します。モルガン様、お客様です」
「通していいわよ」
思考がまとまったタイミングでの来客にモルガンは姿勢を正す。こういう突発な来客はたいてい急ぎで厄介な場合が多いからだ。
アーサーへの治癒の依頼か、はたまたモルガンへの苦情か……などと思っていると予想外の人物がやってきた。
「事前の連絡もなしに申し訳ないね。モルガン殿」
「いえ……お気になさらず、それでいったい何の御用でしょうか、ハーヴェ様」
自分よりも格上の、しかも敵対している派閥の大貴族の登場に眉をひそめる。今回の件でアーサーが貸しは作ったはずだが、一体どうしたというのだろう。
まさか、礼を言いに来たわけではあるまい。
「ああ、アーサー様はまだ眠ってらっしゃるんだろう?」
「はい……どうやら治癒魔法を使いすぎたようです。相当大変な目にあったようですからね……ハーヴェ様はご元気なようで何よりです」
「ふ、相変わらず君はアーサー様以外には手厳しいね」
警戒心を目に宿しながら、暗にお前のせいで苦労をしたのだ。わかっているな? だから変なことを言うなよという意味を込めた言葉にハーヴェは苦笑する。
「もちろん、わかっているさ、私とてこの状況に付け込んで……などと道理に反することは考えていない。むしろ、アーサー様の力になりたいと思っているんだよ」
「ご冗談を……あなたの家はロッド様の派閥ではないですか? そんなことができるとでも……?」
「ああ、もちろん。私はロッド皇子の派閥だ。わが一族は全力であの方を推すと決めている。鞍替えはできないさ。だが……共に食糧問題に関して考えることはできる」
怪訝な顔をするモルガンにハーヴェが差し出したのは形の良いパンである。香ばしい香りにモルガンは覚えがあった。
「これは黄金小麦で作られたパンですね……建国祭でいただきましたが……」
意図が読めず怪訝な顔をするモルガンに、ハーヴェは首を横に振った。
「それが違うんだ。これはあの時の黄金小麦ではない。アーサー様とエレイン様が、治癒魔法を込めて……死の軍団を倒した後に生えてきた小麦なんだよ。まだちゃんと調べてはいないが、味は私たちが作り出した黄金小麦と同じくらい美味しい上に、冷害や虫に強いんだ」
「な……」
それは小麦の弱点だった。それらが改善されたものができ、配給量が大きく変動しないとなれば、モルガンが考えていた食糧問題は、解決に近づく。
「そして、うちの魔法使いに見てもらったところ、死の軍団が暴れた大地には不思議な魔力が宿っていることがわかった。これからもこの黄金小麦がとれるだろう」
「なるほど……死の軍団の持つ魔石が暴発し、魔力があふれた結果だと聞いていましたが……」
「ああ、これはアーサー様とエレイン様の力が大きいな。まさかと思うが、アーサー様はこれをみこしていたんだろうか?」
「さすがに……」
そこまではと言ってからモルガンは気付いた。アーサーと同じ方法で死の軍団を倒したのは、魔法王国である。そして、彼らが全力で破壊魔法を込めた地ではいまだ破壊の魔力があるため不毛の地となっていると聞く。そして、そのことを最近アーサーは学んだばかりだと聞いている。
破壊の代わりにいやしの魔力を込めれば大地はどうなるか……
彼はさっそくそれを試したのではないだろうか。
「うふふ、本当にあなたは私の予想を簡単に超えるわね」
「モルガン殿……?」
いきなり怖い顔で笑いだしたモルガンにさすがのハーヴェも少し冷や汗をかく。それだけ怖かったのである。
だが、そんな様子に気づかず彼女は満足そうに、どこか誇らしげに言った。
「おそらくそうでしょうね。そもそも冷静に考えて、一国の皇子が戦場へ……しかも、大事な建国祭の時に行く必要はありませんから」
「なるほど……死の軍団がやってくるのを察知した上に、それを利用し食糧問題の解決の一歩とするとは……敵ながら恐ろしい方だな……」
モルガンとハーヴェはともに畏怖にも近い尊敬心を抱く。そして、咳ばらいをしたハーヴェが口を開く。
「そういえば……アーサー皇子が今回建国祭で出したライスなのだが、私にも布教の手伝いをさせてはいただけないだろうか? わがグラトニー家には小麦をブリテンに流通させたノウハウがある。役に立てると思うのだが……」
「良いのですか? それはロッド様への敵対行為では……? それに小麦が売れなくなれば困るのはあなたでしょう?」
モルガンは困惑しながらも言葉を濁す。ハーヴェは王都の近くに小麦畑を持つ食料を支配する貴族だと言ってもいい。それなのに、なぜ、わざわざ敵対するであろうライスを……と思っていると彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
「本来ライスの布教の邪魔になるであろう『黄金小麦』を必死に守ってくださったアーサー様を見てね、思ったのだよ。ああ、このお方は派閥など関係なく、真にブリテンの食料状態を考えてくださっているのだと……それに、あの人は私たちが作った『黄金小麦』を美味しいと言ってくださったのだ。新しい食材があるというのに、派閥や権力争いで色眼鏡でみていた自分が恥ずかしくなったのさ」
「なるほど……」
そう語るハーヴェの目に見慣れた色があった。それはマリアンヌや、ケイなど様々な人が宿すアーサーへの尊敬だ。アーサーはただ美味しいものをたべたかっただけなのだが、アーサー病にかかっているかれらはそうとは思わない。
そして、それを見てモルガンは彼を信じていいなと思った。
「わかりました。ちょうどどう流通させるかについて悩んでいたところです。お力を貸してください」
モルガンとハーヴェの間に次々と取り決めが決まっていく。そして、話がひとくぎりつくと彼はぼそりと本音を漏らす。
「これは独り言だから聞き流してほしいのだが……もしも、何のしがらみもなくアーサー様の偉業を見たら私は躊躇なくあの人を次の王にと推しただろうね」
「私もここだけの話ですが……あの方が王になればブリテンはずっと良くなると思います。そして……私はあの方の婚約者になれたことを誇りに思います」
それは最大限の賛辞だった。だって、モルガンには絶対できなかったのだ。ほとんど食料の被害がなく五大害獣を倒すことも、食糧問題を解決することも、そして、敵対していた派閥のトップの一人に彼の元に着きたかったなんて言わせることも……
そうして、食糧問題は解決していった。アーサーの寝ている間に……
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