第6話 専属メイド

専属メイド。

 それはエッチなメイドさん……というわけではない。いやそういう風に扱う貴族もいるが、アーサーの場合はもちろんそんなことを考えていない。

 一般的には身分の高い貴族がもっとも信用するメイドに任命し、身の回りのすべてを任せて、場合によっては代理として自分の名前すらも使う事すら許しているメイドの頂点のような存在である。



 とはいえすべてのメイドにチャンスがあるわけではなく、たいていは派閥の強化のためだったり、子供の頃からの付き合いのある信頼と力のある貴族出身のメイドがなるものであり、間違っても平民の、しかも新人メイドであるケイがなるようなものではないのだ。

 だからこそ、ケイは突然の出世に困惑していた。彼の言う救ってくれたという話に身に覚えがない上に、給金の額も昨日までの5倍以上に増えたのだ。嬉しさよりも困惑の方が上回るに決まっていた。



 アーサー様が噂とは違いお優しい方ということはわかっていましたけど……なぜ私を専属メイドに……?



 そんな彼女の様子に気づいていないアーサーは良い事をしたとばかりに満足そうに笑顔を浮かべた後に、古ぼけた本を読んで、何やら考え事をしているようだ。ケイも読ませてもらったが、見たことのない言語で書かれており、わからないと言うと彼は残念そうな顔をしていた。



「アーサー様、お茶の準備ができました」



 少し緊張しながら彼に声をかける。ケイはメイドとして特別優秀なわけではない。そりゃあ平民出身とはいえ、城のメイドに選ばれるのだからそれなりの技術はあるが彼女よりも美味しく紅茶を淹れることのできる人間は何人もいる。



「ありがとう。いただくよ」



 だから……まずいと言われないかと少しびくびくとしながらもアーサーが紅茶を口にするのを見つめていた。



「いつもと随分と違うな……」

「ああ、申し訳ありません。茶葉は同じはずなのですが、マリアンヌさんとは淹れる技術に差がありまして……急いで淹れなおしを……」


 

 慌てて謝る彼女に対してアーサーは驚いたように目を見開いて……そして、穏やかにほほ笑んだ。



「いや、いつもの味も好きだが、ケイが淹れてくれたのも俺は好きだよ。そうか……そうだよな。みんな違うに決まっているんだよな……」

「アーサー様……?」


 

 何かを感じ入るようにつぶやく彼からは返事はなかった。だけど、ケイの言葉を聞いて大事なことを考えこんでいる彼の姿はとても真剣で……メイドのことを何とも思っていないという噂とは違って映った。

 それこそ、それまでは緊張で一緒の空間にいるだけで、息が詰まりそうだったのに、親しみやすいなと思ってしまうくらいに……。

 


 

「ふー、緊張したぁ……だけど、優しかったな」



 専属メイドになって一日がようやく終わる。ケイは使用人の更衣室で今日の事を思い出していた。美味しい話には罠があると……何か無茶なことを頼まれるのではないかと少しびくびくとしていたが、仕事はいつもと同じ、いや、先輩メイドに何かを押し付けられたりなどがない分、むしろ楽だった気がする。



「そもそも、アーサー様は理不尽なことをするような方ではなかったですもんね……」



 付き合いはまだ短いが、思い返せば彼は世間知らずなところがあり、怒ったりすることもあった。だけど、理由を説明すれば納得してくれるし、後々それを引きづるようなこともなかった。

 反感を買ったメイドが首になることもあったが、それも彼が動いたのではなく、彼の関心を得たい貴族のしわざという噂だった。



 浮世離れしてて何を考えているかわからない方ですが、思ったよりも良い人だったのかもしれませんね。特に最近は優しくなられた気がします。



 ケイは火傷を癒してもらった手をなでながらそんなことを思いつつ、使用人室で着替えているところだった。



「ケイ……話があるんだけど大丈夫かしら」

「はい、なんでしょうか?」



 同じメイドのマリアンヌに声をかけられてケイは緊張気味に答える。同僚といっても彼女は貴族の令嬢でケイの同年代でありながら教育係をつとめておりメイド長のようなことをやっている。

 誰にでも厳しく、ケイもだいぶしぼられたものだ。そのかわり自分にも厳しいため能力は高い。彼女の淹れたお茶をのませてもらったこともあったが、本当に同じ茶葉を使っているとは思えないほどだったのを覚えている。

 そして、最近の彼女はアーサーに尽くすことにやたらと熱心だった。専属メイド狙っていたという噂が立つくらいに……

 だから、ケイが専属メイドに決まった後、他のメイドからマリアンヌに気をつけなさいとまで言われていたくらいである。



「ちゃんとアーサー様の御世話はできたでしょうね、失礼があったら許しませんわよ」

「はい、もちろんです!!」

「そう、お茶の淹れ方も失敗しなかったでしょうね?」



 そういわれて昼間の出来事を思い出して……一瞬言葉に詰まると、ぎろりと睨まれる。大丈夫、ちゃんとアーサー様も喜んでくださいましたし……

 そう、自分に言い聞かせる。



「はい、何の問題もありませんでした!!」

「そう……ならいいけれど……ところで、あなたまさか、このまま自室で寝るつもりじゃないでしょうね?」

「え? そのつもりですが……」

「はぁぁぁぁ……」



 ケイの言葉にマリアンヌは大げさなまでにため息をつく。何かやってしまっただろうか? と考えているとマリアンヌが仕方ないとばかりに言った。



「あのね、あなたみたいな平民が専属メイドに選ばれたのよ。その意味くらいわかるでしょう? 夜もお相手もするに決まっているでしょう」

「ええーー、だって、そんなことをしなくてもいいってアーサー様は言ってましたよ!!」



 そう言う事を望まれているのかと思いびくびくしながら聞いたが、彼は驚いてを目を見開いた後に「傍にいてくれるだけでいいんだ」と言ってくれたのだ。

 それをマリアンヌに説明すると彼女は再び大きくため息をついた。



「そんなの社交辞令に決まっているでしょう。専属メイドなんだから言葉の裏くらい読まなくではだめですわ。あの人は私たちのような凡人とは違う選ばれた人間なんです。でも……それが重荷になっているのかもしれませんわね。だから、あなたのような何も知らない平民を専属メイドに選んだのかもしれませんわ」



 マリアンヌはどこか寂しそうに憂いに満ちた顔でアーサーの部屋のある方を見つめた。もちろん、アーサーはそんなことは一切考えていない上に、特別扱いされていることすら気づいていないのだが、彼女にそんなことはわからない。



「確か治癒の能力ですよね。私も少し前に癒していただきました」

「本当ですの!! 本来でしたら、あの方の治癒を受けるには、かなりの高額の寄付をつまなければなりませんのよ!! まさかあなたも特別なんじゃ……あ、もしかして……」



 マリアンヌは驚愕の声を漏らす。そして、ケイの顔を見つめて、何かを思い出したかのように頷いた。



「そう言えば……アーサー様のお母さまは平民出身だったという噂を聞いたことがあります。もしかしたら、あなたに母親の姿をみているのかもしれませんね」

「私にお母さんをですか……?」



 マリアンヌの言葉を否定しようとして……彼の態度を思い出す。例えばエッチな事をしたいのかと聞くと驚かれたりとか、あまりおいしくないお茶を淹れても嬉しそうに飲んだりとか、彼の態度は不思議だった。

 恩義という言葉は自分の母を思い出させてもらったからだろうか? そう考えればアーサーの態度と言動にも納得がいく気がする。

 いや、するのだろうか……? さすがにそれはないのではないだろうか? とケイは内心で突込みをいれる。



「流石にそれはないのではないでしょうか? それにお母さんだと思われていても何をすればいいかわかりませんし……」

「そんなことありませんわ。要するにアーサー様を甘やかせばいいんですもの。それに赤ちゃんプレイとかもありますし……」

「赤ちゃんプレイ……ですか?」



 知らない言葉に思わず聞き返すと、マリアンヌも恥ずかしいのか顔を真っ赤にしながらも色々と教えてくれる。



「ふぇぇぇ……」



 その内容にケイは思わず情けない悲鳴を上げる。貴族には倒錯的な趣味の人間もいると聞いたことはあるがまさか自分の主がそうだとは思わなかったと言葉を失う。

 知らないところでアーサーの株は大暴落である。



「というわけで……いざという時のために準備していたこれをあなたにあげるから、頑張りなさいな」

「頑張るって何を頑張るんですかぁぁぁ」



 そういって彼女は紙袋をケイに渡すとそのまま自室へともどって行ってしまった。いや、だって……そういうことは好きな人とやるものじゃ……というか、恋人すらできたこともないのに、いきなりママになってしまうのだろうか?

 などと頭をぐるぐるとさせながら、マリアンヌからもらった紙袋をあける。何か布だろうか……?



「────!!」



 隠すところが全然隠れていない、俗に言う勝負下着だった。これを使って誘惑をしろという事なのだろうか? というかなんで彼女はこんなものを持っていたのだろうか?

 マリアンヌは変態なのだろうか……と思いながら、ケイは憂鬱な気持ちで身に着けるのだった。




「失礼しまーす」



 仕方なくアーサーの元にやってきたケイは何とかそういう雰囲気にならないようにしようと考えながら、扉をノックする。本当は行きたくなかったが、同室のマリアンヌにばれたら怒られるからしかたなく来たのである。

 しかし、返事はない。ただの屍のようだ。いや、屍だったら大問題である。



「寝ているのですね。これは帰るしかないですね」



 そう、安堵してつい癖で扉の鍵を確認すると、ぎーーっという音と共に開いてしまった。


 うわぁ……これってやはりこういうことですよね……


 ケイはノックをして帰らなかった自分を呪いながらアーサーの部屋に入っていく。するとそこからは何やらうめき声が聞こえてきて……一瞬びくっとしたケイだったが、ベッドに横たわっているアーサーが辛そうな表情で何か言っているのが聞こえてきた。



「アーサー様……?」

「うう……痛いよう……ごめんなさい……でも、俺はどうすればよいかわからなかったんだ。なにをすればよかったのかわからなかったんだ……」


 

 悪夢でも見ているのだろうか、辛そうに、苦しそうに誰かに謝っているアーサーがいた。その様子を見て……彼女は今は家にいる妹が昔悪夢を見た時にこんな感じだったなというのと、マリアンヌの「誰かに甘えたかったんじゃないか」という言葉を思い出した。

 気づくと、彼の手を握って子供に言い聞かせるように優しく言い聞かせる。



「大丈夫ですよ、私は許します。それに、わからなかったら誰かに聞けばいいんです。誰かに聞きにくかったら私に聞いてください。私でもわからなかったら一緒に考えましょう」



 妹が苦しそうにしていた時もこうしていたな、などと思い出しながら手を優しく包ようにして握る。



「……すぅーすぅー」



 すると彼女の言葉が通じたかのように不思議と彼のうめき声が収まっていく。そんな彼を見て彼女は考える。



 アーサー様はわたしからすれば雲の上の存在で……恵まれた環境にいて、悩みもない人だと思ったけどそれは思い違いだったかもしれない。

 彼が自分たちの事を知らなかったように、自分もまた彼のことを知らな過ぎたのではないかと?



 そう思うと、自分を専属メイドにしたことにも何か彼なりの考えがあるのだろう。流石にマリアンヌのいうように、母の代わり云々は置いておくが、誰かに甘えたかったのではないかというのは本当だったかもしれない。

 彼がケイが淹れた大して美味しくもないお茶を飲んでくれていた時の表情を思い出す。あの時彼は本当に幸せそうだったのだ。



「私にはあなたが何を考えているか、何を抱えているかわかりません。でも、何かあったら頼ってくださいね。私はあなたの専属メイドなんですから」



 自然とそんな言葉があふれ出てくる。彼が自分に何を求めているかはわからない。だけど、彼に頼られたり甘えられるのはケイにとっても悪い事ではないように思えたのだ。



「その……お母さんは無理ですけど、お姉ちゃんくらいだったらなってもいいですからね。それに私……実は弟が欲しかったんですよね」



 ちょっと誤解をしたままだけど、彼女はアーサーに心を開いたのだった。

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