第5話 アーサーと忠義のメイド

 そこは薄暗い地下牢だった。


 魔力を封じる鉄の枷をつけられて、かつては傷一つなかったアーサーの体はボロボロのまま放置され、ひんやりとした壁にその身をゆだねるように体を預けていた。

 


 ズキズキと……ズキズキと……傷が痛む。



 ごつごつとした地面は最悪で、ふかふかのベッドが恋しくもなる。だけど、そんなものはすでに彼の元にはない。そして……あんなに彼をほめたたえていた貴族たちは彼を助けることもなく逃げ出して、使用人たちも未来のない彼を見限った。

 一部の人間を除いては……



「アーサー様、またそんな怪我をしちゃって……大丈夫ですか?」

「お前は……また、来たのか……」

「もう、そんな言い方傷ついちゃいますよ」



 黒髪の少女は、見張りの兵士に頭を下げて牢屋へと入ると、すっかり汚れた傷だらけの彼の治療を始める。といっても傷口に包帯を巻くくらいの簡易的なものだ。

 自分の服が汚れるのも気にせず、一生懸命に治療してくれる彼女の時おり触れる人肌が何とも暖かくて心地よい。

 彼女が治療をしてくれるのを見つめながらアーサーは恐る恐る疑問を口にする。



「なあ、なんでお前はこんなになった俺の世話をしてくれるんだ? 俺はもう皇子じゃないんだぞ。治癒魔法だって封印されてるから誰かを癒すこともできないんだ」



 だから、俺に媚を売っても意味なんてないんだ。そういう意図を込めて少女に訴える。この言葉を伝えることで彼女がもう来てくれなくなるかもしれないという恐れがあった。だけど、彼は聞かずにはいられなかったのだ。


 正直、アーサーは彼女に特別厳しくしたこともないかわりに優しくした記憶はない。彼ら王族にとって使用人は道具のようなものにすぎなかったし、時には罵倒を吐いたことだってあったと思う。


 

 そんな人間になぜ、打算もなく尽くすことができるんだ?



 けれど少女は治療をやめなかった。



「もう……アーサー様はやっぱり覚えていないんですね。もしかして、私の名前も覚えていないんじゃないですか?」

「う……それは……」



 彼女の言う通りだった、道具の名前なんて覚える必要ないとばかりに彼女どころかメイドの名前は誰一人覚えていなかった。あの頃はそれが普通だった……というのは言い訳だろう。アーサーも今ならばわかる。本当に自分は傲慢でどうしょうもない男だったのだ。



「名前は……秘密です、ちゃーんと思い出してくださいね」

「な……?」

「ですが、あなたに感謝している理由は教えてあげます。昔……私の妹が病気だった時にあなたが癒してくれたんです。きまぐれだったっていうのはわかってますよ。だけど、薬も高くて買えなかった私にとっては本当に嬉しかったんです。そのお礼です」



 彼女の言葉を聞いても、アーサーは何一つ思い出すことができなかった。だけど、目の前の少女はそれがわかっていたとばかりに変わらぬ熱意をもって治療を終えて、今度は濡れたタオルでアーサーの体を拭いてくれる。



「俺はなんて傲慢だったんだろう……なんでお前らを知ろうとしなかったんだろう……」

「そんな泣かないでください。私は気にしてませんから……せっかくの美しい顔が歪んでしまっていますよ」



 己の愚かさを悔いて涙を流すアーサーに困ったように笑いながら、彼女は変わらず彼の体をふき続ける。バケツに入った水は冷たく、しぼったタオルを絞る彼女の手も冷えてつらいだろうにそんなものを感じさせないように……

 それはかつての記憶。アーサーが捕まってからの数少ない暖かい記憶だ。そして、彼は思ったのだ。もしも、彼女に礼をできるならばなんでもしようと……。




「アーサー様大丈夫ですか? アーサー様?」



 過去の記憶がフラッシュバックしてきたからか、いきなり頭痛がした。これはアーサーがかつて体験した出来事だ。そして、あれだけじゃない。彼女は彼の処刑にまで反対してくれたのだ。

 そう、彼女はアーサーを最期まで心配してくれた忠義のメイドなのだ。



「なあ……名前を教えてくれないか?」

「はい……私はケイといいます。ですがその……平民の出ですし、アーサー様にわざわざ名前を覚えてもらうほどの人間では……」

「ケイか……そうか……お前はケイっていうのか……」



 何やら申し訳なさそうな顔をする彼女の名前を彼は二度と忘れはしないと覚悟を決めて、心に刻む。その名を口に出すと、彼女の優しさと己の愚かさが思い出される。



 かつての俺は本当に何も知ろうとしなかったんだな……



 そして、ケイの忠義に感謝を込めて一つの提案をすることを決めた。先ほどのやりとりからゴーヨクは彼女に何か無茶な命令をしようとしていたのだろう。ならば彼女を守る必要がある。



「では、ケイには俺の専属のメイドになってもらう。ほかの人間の命令を聞く必要はない。これからは俺のメイドとして頑張ってくれ」

「はい……えええええええぇぇぇぇぇ!?」



 アーサーの突然の提案にケイは素っ頓狂な悲鳴を上げる。その表情には困惑の色しかない。



 ふふふ、叫ぶほど嬉しかったのか。良いことをするのは気持ちいいな。



 だが、人の心のわからないアーサーはそれを歓喜の声と勘違いして満足そうに微笑んで頷く。



「私が専属メイド……? しかも、王族の……?」

「ん……?」



 混乱しているケイをながめていたアーサーだったが、背後から視線を感じ振り返る、するとじーっとこちらを見てる銀髪の少女に気づき固まる。



「な……モルガン?」



 アーサーは前世の元婚約者を見つけて思わずうめき声をあげた。彼女はどこから見ていたのだろうか? 悪いことはしていないはずだ。むしろ良いことだけをしたはずである……冷や汗を流しながら自分のやったことを思い出す。



 むかつく貴族に文句を言って帳簿をもってくるように命令した。しかも、モルガンをだしにして……そして、ケイを救うためとはいえ、誰にも相談せずに専属メイドを選んだ。



 やべえ……前の人生の記憶がないと権力を乱用しているだけみたいじゃん!! はたから見たら、気に食わない貴族にいちゃもんをつけて、自分の好みでメイドを出世させたクソ皇子である。



 モルガンが最も嫌うことは貴族が好き勝手に権力を使うことである。彼女はよくノーブレスオブリージュとかほざいていた記憶がある。

 前世の知識をもとにやった正しいことなんだといったところで聞く気はないだろう。ていうかむっちゃ馬鹿にした表情で、『前世の知識があるわりには今世も愚かね」とか言ってきそうである。



 どうごまかそうと冷や汗をかいていると、モルガンがにたりと笑った気がする。



「ひぃ……」



 その笑みに思わず悲鳴が出てきた。あれはいつも嫌味を言うときの行動である。こういう時に打てる手は一つしかない。



「じゃあ、ケイよ。正式な任命と告知は後ほどおこなう。さらば」

「え……え? アーサー様? ちょっとお待ちを……」



 アーサーは困惑しているケイをおいて何かを言われる前にさっさと逃げだすのだった。実に小物である。


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