第2話 吊り橋効果

 彰浩には、年の離れた妹がいた。自分はすでに三十歳になっていたのに、妹はまだ十代である。そのあどけなさは、

「まだ処女ではないのだろうか?」

 と思わせるほどに、純粋であった。

 彰浩がモテることを、妹はことのほか喜んでいるようで、

「お兄ちゃんが、本当に羨ましいわ」

 と言って、あどけない表情で微笑んでいた。

 最初の頃は、それも嬉しかったのだが、実際には、モテているというよりも、すぐに飽きっぽいという理由から、数人の女性と自分の欲を分かち合っていただけで、そこに果たして愛情が存在したのかどうか、自分でも分からない。

 そんな毎日を過ごしていると、本当の愛情が何なのか分からなくなってしまっていて、倫理的な発想など、生まれる余地はないのではないかと思えてくるほどだった。

 どうしてこんなに年が離れているのかというと、元々、自分の父と母は、二人とも未成年(当時青年は、まだ二十歳)だった頃、いわゆる「できちゃった婚」で、なし崩し的に結婚したという、当時としては、そうも珍しくもないことだった。

 しかし、母親の方が、若くして結婚したことに対して、不満を持つようになった。

「子供さえいなければ、同い年の女の子と同じように青春を満喫できたのに」

 と思っていたようで、実際に、子育ての最終、急に苛立ってしまって、子供の彰浩につらく当たったりしていたようだ。

 次第に子供の彰浩を虐待するようになり、それを見かねた父親が養護施設に相談したところ、最終的に、母親から子供を引き離す必要があるということになり、母親と父親はそのまま離婚。最初は養護施設にいた彰浩だったが、父親に引き取られることになったのだ。

 彰浩も、その頃には救済くらいになっていた。父親もまだ若かったので、アパートの近くにあった惣菜屋さんでアルバイトをしていた女性と仲良くなった。

 最初は、若いのに、一人で子供を育てているのに同情したのだろう。時々、サービスしてくれる彼女に父親も気を許すようになった。お互いに好きになったのだろう。何と言っても、二人とも純情だったのだ。

 彰浩の母親は、明らかに酷い女だった。付き合っている頃は、一緒にいるのが楽しかった青春時代。二人とも、子供ができることなど想像もしていなかったというのは、本当に甘かったというべきであろうが、父親の純粋さゆえの甘さと違い、母親の方は、

「楽しければそれでいい」

 という、事なかれ主義だったのだ。

 そんな母親なので、子供ができたことで慌てた。そして父親に相談すると、父親もどうしていいのか分からずに、オドオドしている。

 最初から頼もしいと思っていたわけではないが、肝心な時にオドオドしている父親を見て腹立たしさと、これから以降は自分が主導権を握れるという思いがあったのだろうが、実際に結婚して子供が生まれてしまうと、自分がそれどころではなくなってしまった。自分が慌てふためいているのに、何もしない父親への不満も相まって、精神的に病んでしまったようだった。

 そういう意味では母親も気の毒であったが、やはり、父親の優柔不断さが招いた悲劇だったのかも知れない。

 だが、こういうことは、毎日のようにどこかで起こっていることだった。結局父親に引き取られた彰浩も、すでに小学生になっていて、母親のいないことが、少し気の毒だと父親自身も思っていたので、惣菜屋の女性のことが気になって仕方がなかったようだ。さすがに、その頃になると、父親も勉強したのか、前ほどオドオドとはしなくなった。ただ、純粋さは変わっていないことで、惣菜屋のお姉さんとの距離は、どんどん縮まっていったのだった。

 もちろん、八歳になる子供がいるということは分かっていた。それでも、彼女は結婚してくれると言ったのだという。そして、それから半年ほどで結婚。子供がほしいのかと思っていたが、

「確かに子供はほしいんだけど、今は彰浩ちゃんと仲良くなるのが先決だと思うの。そうじゃないと、生まれてきた子供に対して彰浩ちゃんが偏見を感じたりすると、それは私も嫌だからね」

 と言っていたという。

 最初はさすがに、彰浩も新しいお母さんと言われてもピンとこなかった。本当の母親のことは何とも思っていなかったので、別に嫌ではなかったが、それでも、いきなり知らない人を、

「お母さん」

 と言えと言われても無理があった。

 しかし、義母は別に、

「私のことを無理してお母さんと呼ばなくてもいいからね」

 と言っていた。

 しかし、父親は、

「無理してでも言わせる方がいいんじゃないか?」

 と言っていたそうだが、さすが子供の心は母親の方が分かっているようで、

「無理に言わせても反発するだけよ。あなただって、あの子くらいの年の頃があったわけでしょう?」

 と言われると、父親もそれ以上は何も言えなかった。

 彰浩が、義母に心を許せるようになるまでに、二年くらいはかかったであろうか、八歳くらいの子供が感じる二年というのは、今から思い出せばあっという間だったのだが、当時とすれば、果てしなく長かったような気がする。

「先が見えているのと、見えていないのとの差なんじゃないだろうか?」

 と、今からであれば、そう思う。

 大きな吊り橋を渡ろうとしている時、途中で後ろを振り返ると、

「まだこれだけしか来ていないのか?」

 と感じる時と、

「こんなにも来ているのに、まだまだ全然ゴールに近づいていない」

 と感じる時と、それぞれの気がした。

 その時々の精神状態にもよるのだろうが、きっと後者の方が普段の自分なのではないかと、彰浩は感じるのだった。

 それが、ゴールが見えている時と見えていない時の差なのではないかと気付いたのは、高校受験の時で、ゴールは決まっているが、今自分のレベルがどのあたりにいるのか、想像もつかなかったからだ。

 学校や塾の先生は、いろいろと指導してくれる中で、同じことを言ってくれるのであればいいが、学校の先生からは、

「今のまま続けていれば、合格できそうだ」

 と言われ、塾の先生からは、

「そんな成績では、ランクを落とさなければいけないな」

 と言われたりしたものだから、自分でも疑心暗鬼になってしまった。

 学校の先生は、おだてたりすかしたりすることで、生徒が実力を発揮できると思っている人で、塾の先生はいかにも現実的で、ニュートラルの部分を作ろうとしない人だという、二人の性格の違いから、板挟みにあった生徒の方は、後ろを向くと、学校の先生の言っていることを感じ、前を向くと、塾の先生が言っていることを感じることで、自分が今どこにいるのか分からないということを、吊り橋の上にいる自分を想像させるのだった。

 しかし、何とか高校にも合格できたことは、何がよかったのかというと、

「疑心暗鬼に陥った時は、最後は開き直って、自分の感覚に任せることだ」

 と感じたことで、自信のようなものが生まれたということがよかったのだと思うようになった。

 おかげで、大学受験も国立大学に進むことができ。金銭的な負担を親にかけることがなかったのをよかったと感じたのだった。

 だが、まだ八歳の頃というと、成績もよくなく。スポーツも苦手。いつも一人でいるような暗い少年だった。

 そんな時、新しく母親になる惣菜屋のお姉さんとよく遊んでもらったという思いはあり、寂しくなかったのは、そのおかげだと言ってもいい。

 ただ、それが母親ともなると少し事情が変わってくる。今から思えば、お姉さんのことを慕っていたという気持ちが、初恋だったのではないかと思うことで、戸惑いがなかなか消えなかった。

 頭の中で分かっているつもりだったはずだ。それなのに、どうして母親としては許すことができなかったのか分からなかったのは、初恋だと認めたくないという思いもあったからなのかも知れない。

 だが、母親になってみると、気持ちが少し変わってきた。本当は甘えたいという気持ちがあったのだが、一度は好きになった相手である。それを自分で認めたくないという気持ちは、自分と同じ気持ちを父親も持っているということであり、

「お姉さんは、お父さんを選んだんだ」

 ということであった。

 大人のお姉さんが、恋愛対象として子供を選ぶわけはないということくらい、いくら子供でも分かるというものだが、理屈では分かっても、それを受け入れることができるほど、まだ成長していない。

 だから、自分がお姉さんに近づこうとすると、どうしても父親の姿が見えてしまう。そうすると、父親は彰浩の方を見てはいるが、気持ちは父親の方を向いているということが分かり、母親に近づくことがタブーだと思うようになっていた。

 その思いが母親に対しての、わだかまりとなった、

 父親に対しては、憎しみ以外の何者でもない。確かに憎しみではあるが、自分には太刀打ちできないということが分かっている憎しみであった。

 どうすることのできない思い、悔しいからと言って、父親を殺してやろうと思ったとしても、その先に見えるのは、お姉さんの悲しそうな顔だった。

 彰浩少年はそんな顔をするお姉さんを求めているわけではない。だから、憎いからと言って父親を抹殺することは、本末転倒なのだ。そのことも分かっているつもりだったので、なるべく、お姉さんに近づかないようにしようと思っていると、お姉さんを寄せ付けない雰囲気を醸し出すことになってしまった。

 お姉さんは、そのことで悩んでいるようだった。

 彰浩が何を考えているのか分からずに、悩んでいるのか、それとも、彰浩が考えていることを分かったうえで、どうすることもできないというやり切れない思いを抱いて悩んでいるのか、どちらなのか分からなかった。

 そのどちらも感情としては、かなりきついものだとは思うが、その理由には天と地ほどのさがあるにも関わらず、苦しさの度合いは変わらないであろう。

 つまり、

「まったく気持ちが分からないから、分かれば苦しみから解放されるのではないか?」

 という思いはまったく見当違いだということになる。

「分かったら分かったで、その気持ちが、苦しみから解放してくれるわけではなく、却って、何をどうしていいのか分からないというジレンマに陥ってしまう。まるで吊り橋効果のようではないか?」

 と感じたのだと、大人になってから、彰浩は考えるようになった。

 吊り橋効果というのは、難しい言葉でいえば、「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証された感情の生起に関する学説である。

 つまり簡単にいえば、吊り橋のような緊張感を必要とする場所で、判断を必要とする質問をすると、判断を間違えてしまうような状況に陥るということである。

 一般の恋愛感情としては、

「出来事→その出来事への解釈→感情」

 という経路をたどるものだと考えられていたが、感情が認知より先に生じるのなら、間違った認知に誘導できる可能性があると考えてこの実験を行ったのだ。

「出来事→感情→その感情への解釈」

 という状況も一般的な恋愛感情を否定するわけではなく、こちらの感情もありえるとして考えた実験だったのだ。

 つまり、受験であったり、恋愛において、自分が何かに板挟みにあうようなジレンマを感じている時、吊り橋の上にいて、その先を見るのと、今まで通ってきた道を見るのとで、実際に距離とを誤認してしまうことこそ、この吊り橋理論を、人間が無意識に意識している証拠なのではないかと思うのだった。

 まだ小学生の彰浩に吊り橋理論のような難しい話は分かるわけもなかったが、母親のことを認める気になってきたのは、自分なりに、吊り橋の上でどっちに行けばいいのかということを理解したからではないだろうか。

 実際にどっちに行ったのか、後になってしまうと覚えていない。まるで夢を見ているかのように感じられることであったが、それが吊り橋理論の根拠で、そもそも、恋愛論の証明と、つり橋で行おうと思ったという根拠は、この時の彰浩が感じていたことと同じことなのかも知れない。

 そんな吊り橋効果があったからだろうか、それを感じてすぐくらいから、お姉さんに対してのわだかまりはなくなっていった。母親として受け入れることができるようになったのは、母親というものを、本当は自分が欲しいと思っていた証拠だということに気づいたからなのかも知れない。

 子供の自分がどんなに逆立ちしても、好きになってもらえるわけはないと思った時、

「これって、自分が好きになったから好かれたいと思っていることを恥ずかしいことだと考えていることへの挑戦のような気がする」

 という思いを感じたのだ。

 確かに、好きだから好かれたいという感覚は当たり前のことなのだが、実際には違っていることをその時に知ったのかも知れない。

 お姉さんが、彰浩に優しくしてくれるのは、彰浩のことを男として好きになったからではなく、あくまでも好きになった人の子供だから優しくしているということである。子供だから分からなかったのだが、子供でも、ずっと一緒にいれば、それくらいのことは分かるようになるというもので、頭で分かっていなくても、身体が感じるということを思うと、お姉さんを好きになったと思っている自分が信じられなくなるのを感じたのだ。

「お姉さんのどこが好きなのか?」

 と自問自答して、その答えを明確にできないのを、

「俺、まだ子供だから」

 といって言い訳をしているのを感じた。

 言い訳をするということは、本当に好きなのかということを自分でも理解しているからであって、それを認めたくないと思うことで、自分の中で自問自答がループしているように感じるのだった。

 お姉さんを諦めたというよりも、お姉さんをお母さんと思うことで、自分がお姉さんに抱いていた感覚が何であったのか、それを知る必要はないと言われているようで、気が楽になってきた。

 今まで、

「子供だから」

 と言って言い訳をしてきたが、母親として認めることで、変な言い方だが、相手に貸しを作ったかのように思うことで、自分への後ろめたさのようなものが消えてきたことはよかったのであろう。

 父親はそんな彰浩のことをまったく分かっていなかっただろう。

 親子というのは、どこまで行っても親子であり、友達にも兄弟にもなれないのだ。

 後からこの関係に入ってきたお姉さんは逆に絶対に親子にはなれない。母親と言っても、血の繋がりはないのだ。

 彰浩自身、親子や肉親が血の繋がりがあるということで、特別な関係だとは思っていない。

 確かに親子は特別だと思ってはいるが、その理由を血の繋がりに求めてはいけないと思うのだった。

 だから、父親は息子として見ているのであって、息子が自分の好きになった女性をどのように見ていたとしても、ライバル意識が入り込むわけはない。なぜなら、父親は、

「このお姉さんを好きになったから好かれたいと思っているわけではなく、好かれたから好きになったという関係だ」

 ということに、気付いたからだった。

 それまで気付かなったことにどうして気付くことができたのかというと、その時に彰浩が、思春期に突入したからだろう。それまでは、異性に対して、特別な思いを抱いていたとしても、それを恋心だとは思っていなかっただろう。

 思春期になって、女性に対する感情を、

「恋愛感情だ」

 とハッキリと自分でいえるようになったのが、思春期への入り口だったのだろうと感じるのだった。

 思春期に突入すると、それまで感じていたお姉さんに対しての思いが、恋愛感情ではないことに気づいた。いや、気付いたからこそ、自分が思春期に突入したと自覚できたのかも知れないが、いくつかの今までに感じたことのない感覚を感じたことで、

「今が思春期だ」

 と感じるようになったのだと分かった時、

「思春期の感情は、それまでにないくらいにループの速度が早いことを思い知らされた気がした」

 と感じたのだった。

 それを教えてくれた思春期と、お姉さんへの思いが交錯し、母親としてお姉さんを受け入れることができるようになったのだと思うのだった。

 父親とお姉さんが結婚すると、すぐに三人は家族になった。お姉さんからすれば、彰浩は義理の息子というよりも、弟ができたというような感覚だったかも知れない。その分、いきなり息子ができたという感覚になっていないことが、家族として溶け込めるようになった最大の理由であろう、

 彰浩の方も、最初から彼女のことはお姉さんだった。

 名前を、咲江といい、最初の頃から、

「咲江姉さん」

 と呼んでいたので、家族になってからも、同じ呼び方をしていた。

 さすがに最初には、父親が、

「彰浩、咲江姉さんはまずいだろう。お義母さんと呼びなさいとまではいわないが、他に何か言い方があるだろう?」

 と言われたが、

「じゃあ、どう呼べばいいのさ」

 と聞くと、さすがに父親もすぐには思いつかず黙っていると、

「いいのよ、今まで通りでいいわ。私もそれが嬉しいもの」

 とおどけた調子で言っていたので、彼もそれでいいと思ったのだが、そのおどけた様子の中に、若干の寂しさが籠っていたことを、彰浩は想像もつかなかった。

「結婚したんだから、すぐに子供ができるだろう」

 ということは覚悟していた。

 子供ではあったが、そういう自分にとって不利なことはなぜかすぐに思いついた。それは、自分がその状況に耐えられるように、最初から覚悟を持つための時間を与えることができるようにするためだろうと思っていた。それだけ自分が小心者で、それだけの時間がないと、なかなか切り抜けられないということの証明ではないだろうか?

 ただ、彰浩にとって、子供というのはどういう存在になるのかを考えてみた。

「たぶん、咲江姉さんが子供を産めば、その春化から、僕は本当に義理の息子ということになってしまうんだろうな?」

 と感じた。

 少し不思議な感じがしたのは、子供を産んだ咲江さんは義理の母親で、生まれてくる子供は義理の子供なのではない。あくまでも腹違いの兄弟ということになるのだ。大好きな咲江さんが義理の関係で、その咲江さんと超えることができなかった関係を生まれてくるであろう子供の方が、血の繋がりがあるというのも複雑な気持ちだった。

 しかも、腹違いという中途半端な関係、父親が違うが、母親は同じという関係よりも、血の繋がりは薄いような気がするのだが、関係性としては同じなのだ、このあたりの関係に対して、中学生になろうとしている彰浩は不思議な感覚を持っていた。

 そして、

「これが咲江さんの計画だったのか?」

 と思うほど、実に正確なタイミングで、咲江さんは懐妊した。

 もうその頃には、好きだった咲江さんの面影はどんどんとなくなっているような気がした。

「子供の目から見た咲江さんが好きだったんだ」

 と彰浩は感じた。

 思春期になると、

「どうして、あんなタイプが好きだったのだろう?」

 と思うほど、感覚が違ってしまった。

 後から思うと、

「やっぱり俺はそのつもりはなかったが、咲江さんを母親を慕うような気持ちで見ていたということなのだろうか?」

 と感じたのだ。

 しかも、どんどんお腹が大きくなってきて、相撲取りのような滑稽な動きをする咲江さんに、女として見ることができなくなり、

「姉というよりも、やっぱり母親何だろうな」

 という感覚に陥ったのだった。。

 だから、その頃になると、

「咲江さんに対しての想い出は、やっぱり初恋だったんだ。初恋は淡くて、実らないものだと言われているが、まさにそんな感覚なんだろうな?」

 と感じたのだった。

 そんな初恋がどんどん妄想に変わっていくように、咲江さんのお腹は大きくなっていった。

 いずれ、子供が生まれて、元の咲江さんに戻るように、自分の気持ちも、一度、破裂することになるのだろうと感じていたのだ。

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