第20話 その頃の公爵邸




 一方、その頃の公爵邸。

 俺、アベラルド・イーサンは、とある報告を受けていた。


「ジゼルが誘拐されただと……⁉」


 ジゼルの誘拐を報告してきたのは、いつも彼女を送迎している馬車の御者だった。

 曰く、ジゼルがいつもの時間に馬車に戻って来ないので、様子を見に行ったところ、何者かに連れ去られるところを目撃したらしい。

 追いかけようとしたが、彼らはすぐに馬車に乗り込んでしまって、追いつけなかったそうだ。

 俺の隣で話を聞いていたレンドールは、険しい表情で口を開いた。


「やはり最近の事件の犯人達でしょうか?」

「……状況的にその可能性はあり得る」


 ここ最近、誘拐やひったくりなどの事件が続いている。これらの事件は、元教会の関係者が起こしたもので、公爵家としても対応をしていた。

 ジゼルには、余計な心配をかけないように、情報を伏せていたが……

 こんなことになるなら、彼女にも伝えておくべきだった。


「身代金の要求などはないんですか?」


 レンドールの問いかけに首を横に振る。公爵家に身代金を要求する文書は届いていない。これでは、犯人の目的も居場所も分からず、対応のしようがない。

 しかし、もし彼女になにかあったら……と、そう考えただけでゾッとする。


「何か、誘拐犯側にトラブルでもあったのでしょうか?」

「分からない。しかし、犯人の目的が分からない以上、早急にジゼルを探し出したい。まずは目撃情報を集めて、彼女がいる可能性のある場所をしらみつぶしに確認していくぞ。協力してくれ」

「もちろんです」


 俺たちはうなずき合って、彼女の目撃情報を集めるために動き出しす。どうか無事でいて欲しい。もう彼女がいない生活なんて考えられないのだから。





 初めは、こんなに彼女に入れ込むなんて思ってもいなかった。

 領地の問題を解決するためだけの、契約上の妻。教会との関係もあったし、親しくするつもりなんて微塵もなかった。

 なのに、初めて顔を合わせた時、ボロボロの衣服を着て、痩せ細っていた彼女は、いの一番に「週に一度の晩酌」を要求してきたのだ。


 俺は困惑した。もっと他に要求することはないのか、と。


 公爵家には、金でも服でも宝石でも、何でも与えられるだけの財力がある。社交界では、散々裏で「冷徹」だの何だの言ってきたのに、その財力目当てで近づいてきた女がたくさんいたくらいだ。

 それなのに、彼女が要求してきたのは「週に一度の晩酌」のみ。


 とりあえず、その時は、彼女にまともな服と食べ物を与えるよう、リーリエに指示を出しておいた。


 そして、最初は、「晩酌」が新手の罠か何かと警戒していたが……すぐにその警戒も解けてしまった。

 すぐに、彼女はただ酒が好きなだけなんだと気づいたからだ。

 美味しそうに飲んでいる姿を見れば、毒気も抜かれる。何より、彼女の作るつまみは、いつも美味しくて、不思議と優しい気持ちになれるものばかり。

 俺は段々と、週に一度の晩酌が楽しみになっていった。


 そうして過ごしている内に、少しずつ彼女に惹かれていく部分はあったと思う。

 領民のために働く姿が尊敬できる、とか。彼女と交わす何気ない会話に心が安らぐ、とか。


 その中で、彼女に対する気持ちが大きく動いたのが、多分、教会の一件があった時だ。

 彼女は、教会に対して大きなトラウマを抱えている。それは、とある夜中に「眠れない」と言って肩を震わせていた彼女を見た時から、知っていたことだった。

なのに、彼女は大司教に脅された時、自らが大司教と対面することを選んだ。

 孤児を守るために。大司教に制裁を下すために。

 一人で大司教に立ち向かっていった彼女を見た時に、俺は彼女のことを守りたいと強く思ったのだ。いつだって明るく前向きで、辛い過去を感じさせない一生懸命な彼女だからこそ、守りたい……できることなら、一番近くで。


 いつの間にかジゼルのことが契約相手である以上の、大切な存在になっていることに気づいてしまった。

 だから、契約を更新して、わざわざ“大切な飲み友達”だと気持ちを隠して、側にいることを選んだ。

 そう思っていたのに、今、彼女は危険に晒されている。


こんなことになるくらいなら、気持ちを伝えておくべきだったのだろか? そうすれば、もっと頼ってもらえる存在になれて、今回の事件も起きなかったのだろうか。いや、しかし……





 ガタン、と馬車が揺れ、意識が現実に引き戻された。目の前には、レンドールが座っている。俺たちは、ジゼルが捕らわれていると見当をつけた場所に向かっていた。


「公爵様、もうすぐ目的地につきますが、何か心配事でも?」

「いや……、ジゼルはお腹を空かせてないだろうか気になってな」


 少し誤魔化したが、嘘ではない。飲むことと同じくらい食べることも好きな彼女のことだ。お腹を空かせて、泣いているかもしれないと心配はしていたのだ。


 そこで、俺はハッと気づく。


「というか、まさか誘拐犯に酒をねだったりしてないだろうな⁉」


 いかなる時も酒に一直線な彼女のことだ。普通、誘拐犯に酒をねだるなんてあり得ないことだと思うが、ジゼルならやりかねないとも思う。

 しかし、レンドールは冷静に首を横に振った。


「いくらジゼル様でも、そこまで馬鹿なことはしないと思います。そのあたりの危機管理能力くらいあるでしょう」

「そうだよな。いくらジゼルでも、そんな阿呆なことするわけないよな」

「はい。そこまで愚かじゃないですよ」


 俺たちはうなずき合った。


 まさか、お腹を空かせているどころか自分で料理してたし、本当に酒もねだっていたし、なんなら宴を開いているとは知らずに。

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