第12話 美味しいお酒のはずなのに






「今日もお疲れ様です」

「お疲れ様」


 グラスをぶつけて、お互いの一週間をねぎらい合う。

 結界は張り終えたが、聖女としての仕事がなくなったわけではない。結界の外に瘴気が漏れ出なくなっただけで、結界の中には瘴気が溜まっていってしまう。この一週間は、それを浄化していく作業を行っていた。


「今週は元気がなかったようだが、晩酌をして本当に大丈夫なのか?」

「はい。仕事も一段落してますし、大丈夫ですよ」


 公爵様に声をかけられて、私は笑顔を見せる。いぶかしげにしている公爵様の視線から逃れるように、私はお酒を口に含んだ。

 いつも飲むお酒は美味しいのに、今日は恐ろしいほどに味がしない。


「そういえば、王家からの調査の許可証も渡されたんですよね」

「ああ。証拠がある程度固まっていないと、王家も動けない。最後は、これまでの調査報告を提出して、ごり押しした」

「そうですか」


 もうすぐ全てが解決するはずなのだ。それなのに。

 いや、それだから大司教も焦っていて、手段を選ばなくなってきているのだろう。

  

 公爵様のグラスには、既に自白剤が入っている。あとは公爵様の様子を見て、許可証の在処を聞き出すだけだ。


「というか、晩酌中に仕事の話をするなんて珍しいな」

「え? あー‥‥‥」


 そういえば、最初に『晩酌中は仕事の話はしない』ということを決めたんだった。


 どうやって誤魔化そうか考えていると、目の前の公爵様の目がトロンとしてきていることに気づいた。顔は赤くなっていないが、そろそろ酔いが回って、自白剤も効いてきた頃なのかもしれない。


「公爵様」

「なんだ?」


 何も疑っていない表情で首を傾げる公爵様に、私は尋ねる。


「王家の許可証はどこに仕舞っているんですか?」

「許可証は、俺の執務室の‥‥‥いや、待て。なんでそんなことを聞くんだ」

「今日は、仕事の話をしたい気分なんです。‥‥‥執務室のどこにあるんですか?」


 自らの口を押さえた公爵様の手を取って、もう一度「どこですか」と聞いた。


「執務室の隠し金庫の中、にある」

「隠し金庫の鍵はどこにあるんですか?」

「鍵‥‥‥は、本棚の上から2段目に入っている本を、模した箱の中に」

「そうですか。ありがとうございます」

「待て、ジゼ、ル‥‥‥」


 公爵様は、そのまま寝てしまった。


 その姿を見て、初めて晩酌した日のことを思い出す。その時も彼は飲みすぎて、寝てしまったのだ。寝落ちしてしまう直前、『領民を助けて欲しい』と本音をこぼす彼に私は確かに約束したのだ。『助けます。大丈夫ですよ』と。


「ごめんなさい、公爵様」


 胸がじくじくと痛む。その痛みを振り払って、私はその場を後にした。






☆☆☆






 王家からの許可証は、公爵様の言った通りの場所にあった。それを持って、あらかじめ指定されていた教会へと向かう。


 教会の建物の中には、子供達が収容されている部屋を見かけた。部屋の前には屈強な男が立っており、私の力だけで助け出すのは不可能そうだった。


 他には人がおらず、夜の教会はどこまでも静かだ。


「ジゼル、来てくれたんだね。君はやっぱり優しい子だ」


 指定された場所には、既に大司教が待機していた。彼はすぐに許可証を受け取ろうとしたが、私は彼の手を払う。


「条件があります」

「なんだい?」

「ここにいる子達を解放して下さい。それから、もう二度と瘴気が発生するようなことはしないと約束して下さい」


 瘴気の原因がなくなれば、公爵家側も調査する必要がなくなるはずだ。そうすれば、公爵様の領地を助けることが出来る。

 教会孤児を人質に取られている私に取れる最善の選択が、これだった。


「教会は内部を調べられることはなく、お咎めはなし。公爵領からも瘴気が消える。お互いにとって、悪いことはないはずです」

「‥‥‥自分の立場を分かっているのかい? 私が合図をすれば、捕らえている孤児達はいつでも殺す準備は出来ているんだ。こちらが取引に応じる義理なんてないよね」

「‥‥‥」


 私が下唇を噛むと、大司教は笑って手を差し出した。


「しかし、君が教会側に戻ってきてくれたら、その取引に応じよう。解放した子供達や工場を閉鎖した分まで働いてくれるなら、考えてあげてもいい」

「そんなことするわけ‥‥‥」

「これはジゼルのための提案でもあるんだよ。君だって、領地の瘴気がなくなった後も、公爵夫人の座に収まっていられると思ってはいないだろう。教会が、君を受け入れてあげると言っているんだ」

「それは、」


 彼の言葉を、すぐには否定できなかった。


 公爵様との契約結婚は終わる可能性は、元々考えていたことだ。契約を解除されてしまえば、身寄りのない私は行き場を失う。

 自ら教会に戻って、それが公爵領のためになるなら、その選択もありなのかもしれない。


 公爵家を離れることがつらくないと言えば、嘘になる。しかし、前世の私も今世の私も、いつも働きづめだった。教会に戻ったとしても、元に日常に戻るだけ。公爵家で過ごした日々がイレギュラーだったのだ。


「分かりました。私は教会に戻ります」

「取引成立だ。ジゼルが戻ってきてくれて、私も嬉しいよ。それじゃあ、許可証をもらってもいいかな?」

「はい」


 私が許可証を大司教に渡そうとした、その時――




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