第1話 初めての晩酌
初夜は、二人で晩酌をすることになった。
「分かっているか? 酒の勢いで、既成事実などを作ろうとしたら‥‥‥」
「即刻追い出すでしょう? 分かってますって。私はせっかく出来た飲み友達を失いたくないので」
私はウキウキとお酒の準備を始めた。氷水に漬けられて、キンキンに冷えたビールをグラスに注ぐ。泡の比率が3割になるように丁寧に、ゆっくりと。
うん。黄金比。
お酒の発酵した香りが鼻腔をくすぐり、ごくりと喉が鳴る。私は公爵様にグラスを渡して、自分のグラスを掲げた。カンッとグラスのぶつかる音がする。
「乾杯!」
「‥‥‥乾杯」
未だ警戒心を露わにしている公爵様とグラスをぶつけた。
ゴクゴク。
ククとお酒を流し込む。苦味が口の中に広がり、冷えきったビールがきーんと体を締め付けた。
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛、美味しいっ」
久しぶりのお酒に、「これだよ。これこれ」「これが欲しかったんだ」と全身が叫んでいる。美味しい。
公爵様はと言うと、不思議な顔をしながら、ビールを口にしていた。いつもはワインしか嗜まないため、ビールは慣れていないらしい。
おつまみがなかったので、コックさんに頼み込み、余っている食材を分けてもらった。
用意したのは、チーズと生ハム。チーズを生ハムで包んで、串刺しにしただけの単純なおつまみだ。
生ハムとチーズが口の中で溶け合って、濃厚な味わいを出している。そのままでもいけるが、軽く塩につけても味に締まりが出て美味しい。単純だからこそお酒を引き立たせるつまみになっている。シンプル・イズ・ベストなのだ。
「聖女は寄付金を使って、豪勢な暮らしを保証されていると聞いた。こんな貧相なつまみでいいのか?」
「豪勢な暮らしなんてしたことありませんよ。それに、チーズの生ハム巻きは、最高に美味しいでしょう」
なんだ、その話。
聖女の力はめずらしい。それ故に需要が高く、常に働かなければ手が回らなかった。干からびるかと思うほど働かされて、贅沢なんてする余裕なかったのに。
「君は、何故お酒を飲もうなどと言ったんだ?」
「人生には楽しみが必要ですから。楽しみがないと、頑張って働けません」
「その楽しみが、こんなささやかな晩酌なのか」
「そうですよ。ささやかだから、日常の中の楽しみになるんです」
公爵様は、不思議そうな顔をしている。
私は彼の質問に上機嫌に答えて、空になった自分のグラスにお酒を注いだ。数杯飲むうちに、酔いもいい感じに回ってきた。
公爵様の顔も少しだけ赤くなってきているのを見て、私は聞いてみる。
「公爵様はお酒強いですか?」
「公爵当主が弱くてどうするんだ」
「おや、強気ですね。勝負でもします?」
「アホらしいな」
公爵様は、鼻で笑った。その反応からは、さぞ強いのだろうと予想できる。
「残念。酔い潰れた公爵様見たかったです」
「酔い潰れた俺を見て、何が楽しいのか分からないが。‥‥‥いいか、よく聞け」
公爵様は足を組み、不敵に笑った。
「俺が酒で潰れるなんてことは、ありえない」
30分後。
「俺らって、頑張っているっ」
「わー、いい感じに酒が回ってますねー」
私の目の前には、ぐでんぐでんに酔った公爵様の姿があった。彼の顔は真っ赤で、目はとろんとしている。美丈夫が台無しだ。
私に酔っていることを指摘された彼は、すんと真顔になった。
「酔ってらい」
「何言ってるんですか。酔ってますよ」
というか、絶対に酔わないって言ってたのに、この有様とは。
「フラグ回収が綺麗すぎてびっくりですよ」
公爵様は、私に縋ってずっと喋っている。おかしいな。この人、さっきまで私のことを睨んでいたはずなのに‥‥‥
本当に、同一人物なのだろうか?
「この辺り一帯に瘴気が増えて、穀物が育たなくなって、一時的に聖女を呼んでも、どうにもならなくて‥‥‥っ」
「よしよしよーし。公爵様は頑張ってますよ」
公爵様が領地経営の愚痴を言い始めたので、適当に慰めておく。というか、本当に同一人物か?(混乱)
「君は、本当に俺たちを助けてくれるんだろうなっ」
彼の言葉に、思わず動きを止めた。
「ここには、領民がいる。実際に生きて、生活している人がいる。なのに、手を差し伸べようとする者はいないんだ」
「‥‥‥」
「教会には、沢山お金を取られた。大事な領民の血税だ。それを君は、贅沢に使うのか?」
「使いませんよ。というか、お金は一切渡されてませんしね。多分、ほとんどのお金は大司教の懐に入ってるんじゃないですかね」
「そ、そんな‥‥‥」
私は嘘偽りなく真実を伝えた。いつまでも誤解されたままでは、嫌だしね。
「でも、君が瘴気を払ってくれれ、ば‥‥‥」
彼は、そこで力尽きたようで、ソファの上に崩れ落ちた。気持ちよさそうに寝息を立てている。
「‥‥‥助けます。大丈夫ですよ」
私がそっと囁くと、公爵様の従者が部屋に入ってきた。あとの公爵様の面倒は、従者の人が見てくれるだろう。
⭐︎⭐︎⭐︎
次の日。私と公爵様は、再び向かい合っていた。
「さて、今日から仕事を始めたい。君の主な仕事としては、瘴気の原因調査と浄化だ」
そう口にする公爵様は、「仕事の出来る人間」と形容するのが相応しい、完璧な立ち振る舞いをしていた。
どうやら、飲んだ間のことは忘れてしまうタイプらしい。昨日の酔い方をさぞ恥ずかしがるだろうと思っていたので、少し残念。
しかし、わざわざ覚えていないことを掘り返しても仕方がないので、私も仕事相手として返答をした。
「瘴気の原因調査と浄化の件、承知しました。浄化は私一人で行いましょう。原因調査については、土地勘がないので、指南していただいても?」
「元より、そのつもりだ。いくつかアテはあるのだが、それついて君の意見をー‥‥‥」
こうして話していると、ビジネスパートナーとして、とてもやりやすい。
地域を理解している公爵様と、瘴気について詳しい私の知識を合わせると、これから行うべきことも見えてきた。
「というわけで、今日はドミナス地方に行くぞ。ついて来てくれ」
「分かりました」
打ち合わせが終わり、私たちは立ち上がる。が、部屋を出ようとしたところで、先を歩いていた公爵様が動きを止めた。
どうしたんだと思っていると、しばらくして、公爵様がおもむろに口を開いた。
「君が来てくれたことは、ありがたいと思っているし、正直助かる。だが‥‥‥」
公爵様は、こちらに背を向けたまま話している。表情が見えないが、後ろからでも耳が赤くなっているのが見えた。
「昨日のことは忘れろ」
「あー‥‥‥」
酔っている間のことを、がっつり覚えているタイプだったみたいだ。
「いや、忘れてくれ。忘れてください、お願いします」
「必死ですか」
普段はあんな失敗しないのに、生ハムチーズが美味しくて、お酒が進んでしまったそうだ。
そんなことを言われれば、作った身としては、とても嬉しい。
これが誰かと一緒にお酒を飲む醍醐味なのかと、口角が上がってしまう。
「大丈夫ですよ。お酒の失敗なんて、誰にでもあるんですから、からかったりしません」
「記憶を‥‥‥」
「消しておきます」
「そんな簡単には、消えないだろう」
「どうしろと?」
私たちは軽口の応酬をしながら、目的地に向かって歩き出した。
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