聖女と公爵様の晩酌〜愛する必要はないので、飲み友達にはなりましょう〜

夢生明

プロローグ 三食「晩酌付き」の契約結婚





「まず伝えておくが、これは契約結婚だ。君と交流を深めるつもりは毛頭無い」


 そう告げられたのは、結婚のための書類にサインをしようとしている時だった。目の前に座っている男、アベラルド・イーサンは、そう伝えてきた。


 彼の海色の瞳はどこまでも冷徹で、憎々しげに私を睨みつけている。彼が周りから「冷徹公爵」と呼ばれているのも納得の恐ろしさである。


 私の名前は、ジゼル。教会孤児のため姓はない。その代わりと言ってはなんだが、私には前世の記憶があった。


 前世を思い出したのは、突然のことだった。教会の最高権力者である司教に命じられて、24時間ぶっ続けで働かされている時だったと思う。睡眠を十分に取っておらず、意識が朦朧とする中で突然気づいたのだ。


 教会ってブラック企業みたいじゃない?、と。


 一度気づいてしまえば、そこからは前世の記憶が雪崩れのように頭に押し入ってきた。


 前世の私は、しがないOL。毎日働き詰めで、上司からの叱責、突然の受注、理不尽なクレームに対応する日々。所謂、社畜というやつだ。時間外労働も、会社に寝泊まりするのも日常茶飯事で、週に1度ほどしか家に帰れない。


 その日、数日ぶりに帰れることになった私は、久しぶりの家に浮かれていた。コンビニで買ったビールとおつまみを片手に帰路を急ぐ。しかし、寝不足で足元をふらつかせており、階段を踏み外した私は、死んでしまったのだ。


 そんな最期を思い出した私は、このままブラック企業‥‥‥もといブラック教会にいたら、また働きづめで死ぬと思った。だから、教会に他の仕事を求めたのだが‥‥‥


 まさか「冷徹公爵」と呼ばれる男に売られて、結婚を命じられるとは思いもしなかった。


「あの。何故、私と結婚しようなどと思ったのですか?」

「領地で瘴気が発生しており、一時的な浄化では状況の改善が出来なかった。長期的な領地経営のために、浄化をすることの出来る聖女が必要だっただけだ。

聖女だったら誰でもよかったし、君が特別な訳ではない」

「なるほど」


 確かに、ここに向かう途中、公爵家の領地には瘴気の特徴である黒いもやが漂っていた。


 瘴気とは空気を汚染して、作物を枯らしたり、作物を育てなくさせるものだ。普通は聖女が浄化をすることで、完全に瘴気を晴らすことが出来る。しかし、公爵家の領地では一時的に瘴気が消えても、また元に戻ってしまうらしい。


 そこで、継続的に浄化を行えるように、聖女の力を持っている私が派遣されたみたいだ。


「俺は聖女の力が、君たち教会はお金が必要。便宜上、君を妻として迎えるし、生活も保証する。しかし、そこに愛など必要ない」


 彼の言葉から察するに、教会は彼に莫大な寄付金を求めたのであろう。大司教は教会孤児たちを働かせて、いつも私利私欲のためにお金を使っていたのだから。


 私には一銭たりとも支払われていないのに、「君たち教会はお金が必要」と言われると少し理不尽にも感じる。

 

「分かりました。契約結婚ですから、大丈夫です」


 元々、教会と公爵家の利害の一致から行われた結婚ならば、必要以上のことは求めたくない。しかし、私にはやりたいことがあった。せっかくなので、それも叶えてもらいたいと思う。


「一つだけ条件があります」

「なんだ? これ以上、何を望む」


 警戒をしている公爵様の前に、私は人差し指を立てた。


「夜は、一緒に飲みましょう」

「は?」

「私、飲み友達が欲しいんです」


 前世の社畜だった私にとって、唯一の楽しみが飲酒だった。仕事が一段落して家に帰ることが出来た日に、冷えた缶ビールを飲むために生きていたと言っても過言ではない。


 けれど、残念ながら、私には一緒に飲む相手などいなかった。仕事に忙殺されており、恋人はもちろん、友人と交流する時間など作れなかったのだ。


 別にそれでいいと思っていたけど、「誰かと一緒に飲みたかったなあ」と思ってしまったのだ。転生しても教会の社畜をしていたため、ずっとその機会がなかったけれど、今回の結婚は前世の願いを叶えるチャンスだと考えたのだ。


 公爵様は口元に手を当てて、難しい顔をしている。


「何か問題でもありますか?」

「問題はない。だが、もっと他に要求したいことはないのか?」

「はい。週に一度でいいので、晩酌しましょう」


 彼は、しぶしぶ頷いた。


「晩酌だけでいいなら‥‥‥」


 こうして、私と公爵様の三食「晩酌付き」の契約結婚が決定した。



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