終章

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 昼休み。俺はいつもの通り、藤棚で読書をしていた。

 電子書籍もかなり普及してきているが、紙の本は、やはりいい。この手に持った重さと、ページをめくった時の感触が、俺は好きだ。何事も、デジタルよりもアナログに限る。

「帝一様! 今日のお弁当は私、自信がありますよ! メニューはコロッケにミートボール、きんぴらごぼうですっ!」

「自信があるのはいいことだが、彩りが全体的に茶色いな」

 そう言いながら、俺は桜から手渡された弁当箱を受け取る。その中身を半分ほど食べた所で、桜が突然立ち上がり、手を振り始めた。

「大藤様じゃないですか! どうされたんですか?」

 その言葉通り、やがて大藤が俺の座っているベンチの隣へ、腰掛ける。

「……桜にはちゃんとお礼を言っていたけど、あんたには、その、ちゃんと言ってなかったから」

「……何のことだ?」

「手帳よ手帳! それ以外何があるのよ、不知火帝一っ!」

 本気で何の件なのかわからなかったのだが、大藤の言葉に、俺は小さく頷いた。

「そういえば、そんなこともあったな」

「あったな、って。あれからまだ、一週間も経ってないじゃないの……」

 大藤が呆れたようにため息を付くが、わからなかったものは仕方がない。

「旧校舎、無事、工事が終わったみたいよ」

「そうか」

「……でも、あの日ブルーシートの現れたあの血は、一体何だったのかしら? やっぱり、旧校舎で噂になっていた、幽霊?」

 大藤の言葉を聞いた桜がにこにこしながら俺に視線を送ってくるが、それを無視して口を開く。

「さぁな」

 ……だが、少なくとも噂になった旧校舎の幽霊は、お前だ。大藤。

 旧校舎の捜索に桜が最初に合流した日、大藤が桜の手にするライトを人魂と勘違いしたように、他の学生も同じく、校舎を懐中電灯を持つ大藤を幽霊だと勘違いしたのだ。

 でも、工事現場に出現した血と大藤は、無関係だ。

「いずれにせよ、手帳が見つかってよかったですね! 大藤様っ!」

 そう言って、桜が朗らかに笑う。

 俺の帰宅した後のことは、桜から聞いていた。旧校舎のグラウンドから手帳を探し出し、無事大藤の祖母に渡された、と報告を受けている。その事について色々と話もあったようだが、俺は興味がないので桜から聞いていない。

 ……俺が妥協するのは、大藤の最初の依頼通り、手帳がどこにあるのかを見つける所までだからな。

「それで、大藤。要件はそれだけか?」

「それだけか? って、何よ! もう少し、言い方ってものがあるんじゃないの?」

「あれ? 大藤様。どうしたんですか? なんだか名残惜しそうなかんじですね?」

「ばっ! ち、違うわよ桜! もう! いいわよ、帰る! 帰るわよっ!」

 そう言って大藤は、一度俺に振り向いた後、肩を怒らせながら藤棚を後にする。

 その大藤と入れ替わるようにして、今度は彩と更科が現れた。桜が露骨に顔をしかめる。

 不機嫌そうに鼻を鳴らし、彩は俺を睨みつける。

「ちょっと、今よろしいかしら?」

「申し訳ございません、青鷺様。ご覧の通り、帝一様は今お食事中でして」

「ちょっと! さっきまで別の女が居たじゃありませんのっ!」

「落ち着いてください、お嬢様。色々と台無しです」

 更科に促され、彩は先程大藤が座っていた、俺の隣に腰掛ける。その彩の後ろに、更科が表情を変えることなく控えていた。

 更に表情を歪めた桜が、彩に問いかけた。

「それで、青鷺様。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「決まっています。帝一。貴方、わたくしへの礼を言伝で済まそうといたしましたわね? そんなの、絶対許しませんわっ!」

「あ、青鷺様! その話はっ!」

 慌てふためく桜をよそに、俺は更科へ視線を送る。彼女は表情を一切変えず、小さく頷いた。

 ……なるほど。人払いが既に終わっているのであれば、話しても問題なかろう。

「ならば、改めて礼を言おう、彩。旧校舎の工事延長のため、血糊をブルーシートにぶち撒ける工作を手伝ってくれて」

「……構いませんわ。わたくし、生徒会にはツテがございますので。無論、その相手が誰なのか? というような無粋な質問は、なさらないでくださいませ」

 そう、工事現場に突然現れた血は、俺が用意したものだ。

 直接手を下したわけではないが、大藤が地下教室を探す時間が欲しいと言い出した時のために、予め準備をしていた。

 そしてそれは、この場にいる全員が、共犯者である事を意味している。

 俺の依頼を聞き受け、生徒会のツテとやらを動かした彩は、おほほほっ、と笑う。

「ですが、帝一もまだまだですわね! この程度のことで、わたくしを頼ろうとするだなんて! 精進が足りておりませんわっ!」

「お嬢様。先程から、口元が緩みっぱなしです」

「わ、わかってますわ、源! ……まぁ、瑣末事ではありますが、わたくしが帝一の依頼を聞き届けたのも事実。こちらもそれなりの見返りを要求したいものですわね。そ、そう、例えば、帝一が一日、わたくしと――」

「それなら既に、俺の方が貸しがあるだろう?」

 そう言うと、彩は目をパチクリさせて固まった。その後ろにいる更科は珍しく、ですよねぇ、というような表情を浮かべている。

「忘れたのか? 彩。俺は先に、ここでお前から修学旅行の行き先が決まらない、と相談を受けたのだ。そして、その揉め事は既に解決済み。つまり、今回の件で貸し借りがなくなった、というわけだ」

「で、でもあれは、貴方の修学旅行先を決める件でもありましたのよっ!」

「俺は、行き先はどこでも妥協できると言っていただろ? 行き先が決まらなくて困っていたのは、俺ではない」

「で、でもっ!」

「……お嬢様。行きましょう。どう考えても、帝一様のおっしゃられていることが正論です」

「ぐ、ぐぬぬぬっ!」

 唸る彩を見て、桜は嬉しそうに微笑んでいる。

 やがて彩は立ち上がると、半目になりながら、こちらの方を振り向いた。

「……いいですわ。今日のところは、そういう事にしておいて差し上げます」

「また何かございましたら、お話を聞いて頂けますと幸いです。帝一様」

「ふむ。その際はまた、お茶請けを期待するとしよう」

「承知いたしました」

「ちょっと! それは毎回わたくしのセレクトですのよっ!」

「ああ、もう! 用事が済んだら早く帰ってくださいよぉ、青鷺様ぁー」

 やいのやいのと姦しく、桜たちが騒ぎ出す。それを横目に、俺は少し肩をすくめた。

 ……最近はどうも、弁当すらゆっくり食べれなくなったな。

 ならば、その原因を排除しようかと思えば、そこまでの労力をかけようとは思わない。

 そこがきっと、俺にとっての落とし所、妥協点なのだろう。

 少し上を見上げれば、藤棚からは真夏の日差しが溢れている。もう少しで、夏休みにもなるだろう。

 俺の日常には、些細なことでの揉め事が多すぎる。

 しかし、一度満足する事を覚えれば、そこには満ち足りた世界が待っているのだ。

 だから俺は、これからも、落とし所を探して行くのだろう。

 

 今日も今日とて、不知火帝一は妥協する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おや?

 まだページを捲って、どうしたというのかね?

 物語は一応、切のいい所で終わらせてみたのだが?

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……なるほど。

 なるほど、なるほど。

 まだ、読み進めなければならない何かが残っていると、そう感じているのだね?

 いやはや、なんとも読者の諸兄諸姉らは、よほどの御慧眼をお持ちと見える。

 この程度のごまかしは通じないと、妥協できないと、あなた方はそう言うのだね?

 よろしい。では、本当の意味で、この物語を締めにいこうではないか。

 諸兄諸姉らも、感じていたはずだ。今まで俺が関わってきた揉め事、それら全てに、誰かの作為的な臭いを。

 そう、俺もそれは気になっていたのだ。物語の狂言回しにしては、物語に関わりすぎている、そいつの事が。

 そいつを俺は、放置できるだろうか?

 いや、出来ない。出来るはずがない。何故ならそいつの行動は、あまりにもマッチポンプ過ぎるからだ。

 ある時は揉め事の仲裁を依頼し、ある時は謀のために裏で動き、またある時は助言すらしていく。

 やつの行動は、一貫性がなさすぎる。ひょっとすると、こいつをこのまま放置していれば俺に対して、いや、俺の周りの人間に被害を及ぼすかもしれない。

 それを、俺は看過できない。それは俺の求める日常ではない。

 満足、出来ない。

 妥協、できない。

 そう。

 そうだとも。

 俺は最初に言ったはずだ。

 この物語は、この俺、不知火帝一が妥協に妥協を重ねる物語である、と。

 ならば、この物語は、俺が妥協し切るまで、満足し切るまで終わることがないのだ。

 

 おっと、前置きが長くなってしまったようだね。

 では、そろそろ本当の意味で、物語を締めにいこう。

 すまないが、もう少しだけ、諸君らの時間を貰い受けたい。

 

 二流上等、一流重畳。

 

 さぁ、最後の妥協の時間だ。

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