時が、一瞬止まった。

 今、帝一はなんと言った? 手帳? 埋まっている? 大藤さんの探しものは、旧校舎の教室のどこかに隠してあるのではなかったのか?

「何で、グラウンドに手帳が?」

 同じ疑問を持ったのか、大藤さんが帝一に問いかける。

 その疑問に対する帝一の答えは、簡潔明瞭だった。

「青空教室だ」

 あっ、と言ったのは、果たして誰だったのだろうか? 誰も口が聞けなくなっている状況で、ただ一人、帝一だけはいつも通りに口を開く。

「大藤の祖母が居る場所なら、校舎外でも授業が出来る。そして体育教師なら、自分の生徒と一番向き合っていたのは、その生徒全員と向き合える場所、思い出のある場所は、朝礼台の辺りだろう」

 そう言って帝一は、古戦さんを一瞥する。

「桜。大藤が穴を掘るのを手伝ってやれ。何かで包まれているだろうが、中身は年代物の手帳だ。万が一にでも傷をつけないように、細心の注意を払え」

「わっかりましたっ!」

 そう言って敬礼する古戦さんを見ようともせず、帝一は今自分が歩いてきた道を戻ろうとする。当然、彼の後ろをついてきた、大藤さん、僕ともすれ違う事になる。

 帝一は大藤さんの近くまで来ると、初めて表情を変えた。

 それは、後悔という表情だった。

「お前が気づくための時間を作ってやれなかった。すまない」

 そのまま通り過ぎる帝一の背中に、泣きそうな顔をした大藤さんが言葉をぶつける。

「何で、何であんたが謝ってんのよっ!」

「明日、死ぬかもしれないと思って生きなさい」

「え?」

「いい言葉だ。俺も孫がいたら、明日死ぬんならそいつに失せ物は探し当ててもらいたいと、そう思うかもしれん」

 帝一は、歩みを止めることなく、言葉を紡いでいく。

「でも、俺はそうさせてやる事が出来なかった。だから、死ぬ前に手帳を見つけることが、落とし所だ。ここが、時間制限を迎えてしまった愚かな俺の用意できる、唯一の妥協点だ」

 それっきり帝一は一言も発することなく、そのままグラウンドを去っていった。

「うーん、帝一様は、どうして私以外には、ああも優しいんですかねぇ」

 ぎょっとして振り返ると、いつの間にか微笑む古戦さんが傍にいた。僕は、彼女に問いかける。

「君は、手帳に何が書かれているのか、知っているのか?」

「あれ? 布引様、ご存じなかったのですか? 大藤様のお祖母様の手帳は、この学園のOB・OG方との思い出が綴られているんですよ」

「な、何?」

「ですから、思い出、タイムカプセルみたいなものだとか。大藤様のお祖母様、ここの学園の、元体育教師なんだそうです。すっごい卒業生の方からも慕われていたみたいで、なんでもその手帳を探すために旧校舎の解体工事を、OB・OG方が伸ばしに伸ばしていた、って話もあるみたいですよ」

 その言葉に、僕は絶句する。

 この雨晦明学園の卒業生たちは皆、この学園に対する思い入れが強い。そしてそんな彼らが、自分たちが解決できなかった、自分たちの慕っている教師の探しものを探し出した人物に、どんな評価を下すだろうか?

 ……帝一は、大藤さんのおばあさんの教え子、その全員の支持を得る可能性が出てきたっていうのかっ!

 ただの卒業生であれば問題ない。しかし、雨晦明学園の卒業生たちは、その多くが優秀な人材だ。

 彼らが帝一の支援者に加われば、不知火家の次期当主争いで、帝一はかなり有利になるに違いない。

 よろめいて膝から崩れ落ちそうになるのを、僕はどうにか耐えることが出来た。そんな僕に、古戦さんは尚も語りかけてくる。

「でも、大藤様のお祖母様がご存命の間に手帳が見つけられて、良かったと思いますよ」

「え? 大藤さんのおばあさんは、そんなに悪かったのかい?」

 そんな状況だとも知らず、僕は一体、大藤さんに何をしてきたんだ? ただ人を一方的に傷つけるだなんて、そんなの、僕をいじめていた奴らと同じじゃないか?

「……違う、僕は、あんな弱い者いじめしか出来ない連中とは、本家の奴とは、違うんだ」

「あー、私も帝一様以外の不知火家の本家の方は知っていますので、今の発言でなんとなーく見えてきましたよー。でも、帝一様は布引様に、酷いことをしたんですか?」

「で、でも、あいつは止めてくれなくて――」

「その時って、帝一様はおいくつだったんでしょうか?」

「い、いくつもなにも……」

 藍華様が僕を助けてくれたのが、僕が小学二年生の時。帝一は、僕より学年がひとつ下だから――

「し、小学一ね――」

 最後まで言い終える前に、古戦さんが僕の喉笛を鷲掴みにする。そしてそのまま僕を引き寄せると、満面の笑みを浮かべながら、こうつぶやいた。

「逆恨みも、大概になさってくださいね。帝一様が気にするな、とおっしゃられているので気にしないフリはいたしますが、私にも、限度というものがありますので」

 古戦さんが僕を開放すると、今度こそ僕は地面に崩れ落ちる。そんな僕には目もくれず、古戦さんは大藤さんの方へと走り出していた。

「大藤様! お待たせいたしました! さぁ、どんどん掘って、手帳を見つけちゃいましょうっ!」

「あんまり張り切りすぎて、手帳、ボロボロにしないでよね」

 そう言って歩き出した二人の背中を、僕はどうしようもない程の敗北感で、見送ることしか出来なかった。

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