ふむ、と言って、彼は僕の方を振り向いた。

 内心、緊張するが、それでも僕は平静を装う。大丈夫。僕は、何も犯罪に手を染めているわけではないのだから。

 ……僕は、本家の連中とは違うんですよ!

「どうしたんだい? 一体。昨日の工事の事で、何か用があるのかな?」

「いや、昇に用はない」

 帝一の言葉に、僅かながら苛立ちを覚える。しかし、もうすぐこいつは消えるんだと思い、僕はなんとか口を動かした。

「……じゃあ、一体何で僕の教室の前にいるんだい?」

「彩が、このクラスだと聞いたのでな」

「青鷺、さん?」

 確かに、青鷺コーポレーションの令嬢は、僕のクラスメイトだ。だが帝一は、彼女に、元許嫁に、一体何の用があるというのだろうか?

 ……しかも、解体工事の件がある、このタイミングで。

 不穏な気配を感じて黙り込む僕を気にした様子も見せず、帝一は壁から体を離した。

「そういえば、従姉は息災か?」

 その言葉に、僕の中の警戒心が強まる。

「帝一に、どれだけの従姉妹がいると思ってるんだい? 名前を言ってもらわないと、わからないよ」

「昇に聞いているんだ。藍華以外おるまい」

「……目上の人に対する礼儀がなってないんじゃないのか? 藍華様には、様をつけろよ!」

「そんなに怒るな。ただの世間話だ」

 そう言って帝一は、睨みつける僕に不用意に近づいてくる。

「彩には、俺が礼を言っていた、と伝えてくれ」

「は? 何で僕がお前の代わりに――」

 僕の言葉を聞き終えもせず、帝一はそのまま廊下を渡りきり、視界から消える。

 釈然としないまま教室に入ると、すぐに女子生徒の二人組が入ってきた。

「源さん! なんとか予鈴までに間に合いましたわっ!」

「流石でございます、お嬢様。また、明日以降、三分程早めにご起床頂けますと、より余裕を持った登校が出来るかと存じます」

 青鷺さんと、その世話係の更科さんだ。

 帝一の言うことを聞くのも癪だが、一方で何の話だったのかも興味がある。

 ……藍華様の障害になりそうな事なのであれば、早めに排除しないとね。

 僕は、席に座って更科さんと談笑する青鷺さんへ、話しかけた。

「青鷺さん。ちょっといいかな?」

「あら? 布引さんじゃありませんの。どうかいたしまして?」

「それが、さっき帝一が来て――」

「帝一がっ!」

 カタパルトから発射された飛行機の如く、青鷺さんが椅子からしゅばっ! と立ち上がり、僕の胸元を掴む。

「て、帝一が、な、ななな、なんでわたくしのクラスに?」

「落ち着いてください、お嬢様。布引様が窒息死してしまいます」

 更科さんの言葉を聞いて、青鷺さんはようやく僕を開放してくれた。ぜぇはぁと深呼吸する僕に向かって、青鷺さんはそわそわしながら口を開く。

「そ、それで、て、帝一が、どうしたというのです?」

「それが、僕にもよくわからないんだけど」

 そう言って僕は呼吸を整えてから、言葉を紡いでいく。

「ただ、一言。礼を言っていた、と伝えて欲しいと言っていたよ」

「……他には?」

「え?」

「帝一は、他にわたくしに何か言っておりませんでしたか?」

 青鷺さんのものすごい圧力に押され、僕は思わず一歩後ろに下がってしまう。

「いや、それ以外は、特に何も言ってなかったよ」

「そう、ですか……」

「お嬢様。気を確かに持ってください。帝一様が、まずお嬢様のクラスまで足を運んでくださったという事実を、今は喜びましょう」

「そ、そうですわね! これから目標に向けて、邁進あるのみですわっ!」

「あの、一体何の話だい? 伝言を預かった身としては、何のことなのか気になるんだけど」

 そう言った僕に対して、青鷺さんの代わりに更科さんが深々とお辞儀をした。

「申し訳ございません、布引様。本件、お嬢様の、非常に、プライベートな内容に関わることですので、詮索はお控え頂けますと幸いです」

「ちょ! 源! 何を言っておりますのっ!」

 更科さんの言葉に、青鷺さんは露骨に慌てふためいた。

 ……プライベートな内容、ですか。

 やはり、帝一の周りで何か動いているのは確からしい。このまま彼を野放しにするのは、危険過ぎる。帝一は、いつか必ず藍華様の敵になる存在だと改めて確信した。

 ……何か動き出すより先に、帝一を不知火家の次期当主候補からけ落とせる準備が終わっていて、本当に良かったですね。

 内心安堵のため息を漏らしながら、僕は青鷺さんたちに笑いかける。

「仕方がないよ。皆、人には話せないこともあるだろうしね」

 そう言った所で、担任の教師が教室へ入ってくる。

 僕は自分の席に戻り、早く授業が終わらないかと、口角を釣り上げた。

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