⑤
その日は、雨晦明学園の生徒会と旧校舎の解体工事について、打ち合わせを終えた後の帰りだった。もう日も暮れていたが、年明けに自分が責任者となって工事を行う現場を直接見ておこうと思い、寄り道をする事にしたのだ。
……期末試験の勉強の、息抜きも兼ねてですね。
もちろん、何をするにしても、帝一をどう当主争いから蹴落とすか? という懸念事項は、頭の片隅に居座り続けている。いるのだが、ため息をいくら付いた所で、解決策が出てくる事はなかった。
旧校舎までたどり着くと、僕はそのグラウドに立ち、建物を見上げる。立派な建築物で、改修工事を行えば、まだ使えそうな気もした。
……でも、地下教室の老朽化が激しいんですよね。
生徒会室を出た後、ゆめという生徒が、そう教えてくれたのだ。何でもOB・OGの見学ツアーにも入れる事が出来ず、改修コストも高いとの事で、旧校舎の取り壊しが決まったのだという。
僕は、再度旧校舎を仰ぎ見た。物言わぬ校舎は、これから無くなる定めだと言うのにどこか悠然としていて、貫禄を感じさせる。
と、そこで僕の視界の端に、何か動く人影があった。
……誰だ? こんな時間に。
自分も人のことを言えた義理じゃないが、普通であればこんな時間に、わざわざ旧校舎に訪れるような理由を持つ人はいないはずだ。
「何をしているんですか?」
「え? あっ!」
僕の声に驚いて振り向いたのは、サイドテールの女子生徒だった。彼女は僕の登場によほど驚いたのか、あわあわと落ち着きをなくしている。
「え、あ、な、何で? 何で、こんな所に?」
「それを、君が言うのかい?」
僕は苦笑いを浮かべると、彼女に近づいていく。
「僕の名前は、布引昇。この学園の、高等部二年だ」
「あ、じゃあ、先輩ですね。私は、大藤ほむらっていいます。高等部一年です」
自己紹介をしたおかげなのか、大藤さんは少し落ち着きを取り戻していた。僕は彼女に問いかける。
「僕は仕事の関係でここに来たんだけど、大藤さんは何の用があって旧校舎に来たんだい?」
「その、捜しものをしていて」
「探しもの?」
「はい。おばあちゃんの手帳なんですけど、この旧校舎のどこかの教室にあるみたいで。でも、どうやって校舎の中に入ろうか、悩んでいて……」
その言葉に、僕の脳は落雷を受けたような衝撃が走った。
……これは、使えるかもしれない。
脳裏を駆け巡る黒い予感を表に出さないように、僕は大藤さんへ笑いかけた。
「その様子だと、何か訳ありみたいだね。本当は内緒なんだけど、いい事を教えてあげるよ」
「え、何ですか?」
「この校舎の一階にある、元々三年四組として使われていた教室があるんだ。実は、そこの窓が一つだけ空いているんだよ」
「え! そうなんですかっ! でも、何で布引先輩はそんな事知ってるんですか?」
想像以上に驚く大藤さんに向かって、僕は頷いた。
「それから、封鎖されている地下教室には、むやみに近づかないように。老朽化が酷くて、それが原因でこの校舎も取り壊されることが決まったんだ。OB・OGの見学ツアーでも向かわない場所なんだよ」
「……なるほど、仕事って、そういう。布引先輩は、その見学ツアーを担当してるんですね! だから空いている窓も知ってたんだっ!」
その言葉に僕はただ微笑んで、大藤さんへ口を開く。
「でも、今日はもう遅い時間帯だしね。だから今日は、僕の顔を立てて、一度帰るというのはどうかな? 今日一日で、この校舎全てを探すのは無理だろうし」
「そう、ですね。わかりました、そうします。ありがとうございました、布引先輩!」
そう言って帰宅する大藤さんを見送った後、僕はすぐさま生徒会室へと戻った。ノックして生徒会室へ入ると、そこに居た三編みの少女が、こちらへ振り向いた。分厚いレンズの黒縁眼鏡が光に照らされ、鈍色に煌めく。僕は彼女に見覚えがあった。
「確か、ゆめさん、でしたよね?」
「そうです。先ほどぶりですね。いかがいたしましたか?」
その言葉に、僕は当初の目的を思い出す。
「すまないが、旧校舎の中に入る鍵を貸してもらえないかな?」
「ほう」
そう言うとゆめさんは、ぬっ、とこちらに近づいてくる。
「それは、何のために使われるのですか?」
僕は内心の動揺を悟られないように、静かに口を動かした。
「解体工事を始める前に、少し中を見ておきたいんだ。この工事の責任者としてね」
ゆめさんは、たっぷり五秒ほど僕を眼鏡越しに見続けた後、わかりました、とつぶやいた。
「夜も遅いですし、あまり長い時間の利用はしないようにしてください」
ゆめさんは鍵を保管してある金庫を開けると、その中から一つの鍵を取り出した。そしてそれを、僕に下投げで放り投げる。
放物線を描いてこちらに向かってくるそれを、僕は見事に宙でキャッチした。
「もちろん! 今日中には必ず戻すよ」
そう言って僕は、また旧校舎への道を走り始める。旧校舎の入り口にかけられていた鍵を開け、僕は校舎の中へと侵入した。
僕の足音が、誰も居ない廊下に反響する。不気味な雰囲気を醸し出す校舎の中に入ったというのに、それでも僕の心は、全く別の事で占められていた。
……あった! ここが、三年四組だった教室!
教室の表札をもう一度確認した後、乱暴に扉を開けて僕は中に入る。そして、適当な窓の扉にかけられていた鍵を、右手で外した。
……これで、大藤さんは旧校舎に忍び込むことが出来る!
ばたつく心臓が飛び出ないように胸の上を左手で抑えながら、そのまま僕は旧校舎を後にした。もちろん、生徒会室で借りた鍵をもう一度使い、旧校舎の入り口の施錠は完璧に実施している。
ただし、三年四組の教室を除いて。
生徒会室に戻り、鍵を返却すると、僕はそのまま学園を後にした。途中、コンビニで小さめの花火セットと、ライターを購入する。
その翌日――
「なぁ、皆。少しだけど、親戚から花火をもらったんだ。期末試験の気晴らしに、花火、やらないか?」
僕が自分のクラスでそう言うと、三人の同級生が賛同してくれた。本当はもう少し人数を増やしたかったのだが、仕方がない。
その内の一人が、僕に向かって質問をした。
「花火をするのはいいけどよ、どこでやるんだ?」
「確かに。火事になったらヤバいしな」
「それに、後片付けも大変だな」
「なら、旧校舎のグラウンドならどうだ?」
その言葉に、三人は顔を向き合わせる。僕は気にせず、言葉を紡いでいく。
「旧校舎のグラウンドなら、普段誰も近づかないし、旧校舎と新校舎は距離が離れているから、周りに燃えるようなものもない。片付けも学園の中なんだから、簡単だろう?」
「なるほど」
「確かに。それなら大丈夫かも」
「じゃあ、放課後にまた!」
そこで丁度チャイムが鳴り、会話は中断される。他の三人は、放課後の花火のことで頭がいっぱいなのだろうが、僕は違う。僕は、その後の事のほうが気になっていた。
放課後になり、僕たちは自分の教室を後にする。夏の太陽が地上との別れを惜しむ様にまだ顔を出していたので、一度誘った三人も一緒になって、図書館で時間をつぶすことにした。
一時間程図書館で過ごした後、僕たちは旧校舎へ足を進めていく。
……頼むから、ちゃんと居てくれよ。
そう願っている間に、旧校舎のグラウンドまでやってきていた。
早くやろうぜ、とせがまれて、僕は鞄の中から花火セットを取り出す。そして、ライターで火をつけた。
手持ち花火が勢いよく火の粉を吹き出し、闇夜の中に炎の花を咲かせていく。線香花火が小さいながらも、ぱちぱち、と音を立てて燃え、最終的には自らの去り際を悟ったかのように、地面へと吸い込まれていった。
僕たちは一通り遊び終えた後、シメに打ち上げ花火を上げようと、花火から少し離れて座ることにする。既に導火線には火が付いており、三人はそれが爆発するその時を、今か今かと待ち望んでいた。
そして、打ち上げ花火が、しゅっ、と音を立てて、夜空に舞い上がる。そして派手な音を立てて、宙で綺麗な火の粉を撒き散らした。三人の歓声を聞きながら、僕は旧校舎の窓、その全てを虱潰しに見回している。
そして、目当てのものを見つけると、その窓に向かって指を差した。
「おい、見ろよあれ!」
僕の言葉に、他の三人も校舎の方へと振り向く。
「ん? 何だ、ありゃ」
「え、嘘? 何か光ってるよね?」
「でも、旧校舎って、今は使われてないんだろ?」
「ひょっとして、人魂何じゃないのか?」
僕の言葉に、三人は一斉に白い顔になる。
「おい、冗談はよせよ!」
「ヤバいって。逃げたほうがいいよ」
「でも、あれ、人じゃないか?」
「いずれにしても、旧校舎付近で花火をしていたって、僕たちは見られない方がいい。先生に知られたら、流石に怒られるよ」
それもそうだな、と言って、三人は花火の片付けをし始めた。もちろん、僕も手伝うので、モノの数分で作業は完了。撤収作業という名の撤退を開始する。
花火のゴミを丁寧に分別してゴミ箱へ捨てた後、僕たちはその場で解散した。
同級生と解散した後、僕は旧校舎へ一人、舞い戻る。スマホを取り出し、一階の元三年四組の窓を調べていくと、鍵の空いている窓のサッシが泥で汚れていることが確認できた。
……大藤さんは予想通り今日、旧校舎を訪れていたんだ。そして、校舎の中を、懐中電灯か何かを使って探しものをしていた。
つまり、僕たちが先程見た旧校舎の光の正体は、大藤さんだ。
そして、重要なのはここからだ。
「……幽霊、ですか?」
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