③
「お疲れさまです」
夜、学体操服に着替え終えた私は、園の見回りをしている警備員に挨拶をして、学園の端、東側に位置する旧校舎へと足を向ける。
雨晦明学園は部活動を行う生徒向けに、トレーニング施設や研究施設を夜間にも開放している。もちろん、利用するためには事前に顧問の先生や生徒会への申請が必要だが、期末試験が終わった今、試験勉強でなまった体を取り戻そうとしたり、途中まで進めていた研究を再開するため、夜遅くまで学園に残っている生徒の姿も珍しくない。
そうした事情もあり、私が夜間に学園に残っていても、不審に思われない状況が生まれていた。
……変にキョロキョロせずに堂々としていれば、怪しまれないわよね。
内心、胸の高鳴りが他の人に聞こえないかビクビクしながら、セーラー服を詰め込んだ鞄を担ぎ直して、私は足早に旧校舎を目指す。
ある程度学園を横断した後、私は北東へ進路を変更。林の中へと足を踏み入れた。
……旧校舎に近づくにつれて、学園の施設も少なくなっていくものね。
学園の中心付近であれば、警備員もわざわざ、どの部活で残っているのか聞いてくることはない。しかし、流石に学園の端にもなると、そこに向かう理由を答えられなければ怪しまれる。そのため、多少迂回する必要があっても、旧校舎へ向かう途中の道は、人目につかない道を選んだほうがいいと思い、私はわざわざ体操服に着替えて、こうして木々の間を抜けていく方法をとっていた。
身を低くしながら、枝葉を避けて進んでいくと、やがて旧校舎が見えてくる。
旧校舎、と言っても、老朽化が進んだ木造建ての校舎、というわけではない。目の前のそれは、鉄筋コンクリートで作られた、無骨な四階建て。戦時中、この校舎は一度、火災で延焼したのを建て直していた。素人目線になってしまうが、この校舎は改修工事を行えば、まだ学び舎として、十分機能しそうな気がする。
……でも、使えるのは地上だけなのよね。
そう思いながら、私は林の中から、旧校舎付近に人影がいないか辺りをうかがう。誰もいない事を確認すると、私は一目散に旧校舎へ向かって飛び出した。
目指すのは、旧校舎一階の、元三年四組の空いている窓だ。
素早く窓を開けて、そこに足をかける。スカートもはいていないので、上げる足の高さに遠慮はない。窓のサッシにかけた足に力を入れて、逆上がりをする心持ちで、一気に転がるようにして教室の中へと、私は侵入した。
窓を閉めながら、私は鞄の中に手を突っ込んで、手の感触で懐中電灯を探し出す。光が漏れないように鞄の中で電源が入るのを確かめた後、私はこの教室を後にした。
廊下に出て、光が窓の外に漏れないように気をつけながら、懐中電灯をつける。光の線が懐中電灯から伸びて、空気中に漂う塵や埃を、むやみに照らした。
……今日は、なんとか二階の教室は全て探し終えないと。
正直、一晩一人で探しきれるか、自信がない。でも、誰の手も借りられないというのであれば、自分の手で成し遂げるしかないのだ。
……待っててね、おばあちゃん。私、絶対手帳、探し出して見せるからっ!
そう思い、私は誰もいない廊下を歩いていく。私が一歩踏み出すごとに、廊下にコツ、コツ、と足音がやたらと響く。
……夜の学校って、どうしてこんなに不気味なのかしら?
もう取り壊される事が決まっているという事もあり、教室の中の机や椅子と言った備品は、全て外に持ち出されている。だが、それが余計に私へ強い違和感を感じさせる要因となっていた。
本来、あるのが当たり前なのに、それがない、という違和感に、私は少し落ち着かなくなる。通ったこともない校舎なのにそう感じるのは、学校の校舎が、どこも似たような作りになっているからなのかもしれない。
やがて私は、二階へ登るための階段へとたどり着く。上に登る階段に足をかける前に、私は逆方向、つまり下へ伸びる階段へ、懐中電灯を向けた。
……地下教室に向かうための、階段ね。
戦時中、防空壕の役割も兼ねて作られたその教室への道は、立入禁止を知らせるロープと、物理的に板で作られた壁で覆われており、進むことが出来ない。
……火災では無事だったけど、地下はもう、古すぎて使えないのよね。
どちらかと言うと、新校舎を作ることになった理由は、この地下教室が原因だと聞いている。三十年前は現役だったが、流石に老朽化も進み、戦前作られた地下室のメンテナンスコストが無視できない金額になったということらしい。
……危ないから、流石にここはOB・OGの人たちの見学ツアーからも外されているのよね。
空いている窓の事を教えてくれた先輩の言葉を思い出してから、私は二階へ登る階段へと足をかけた。
コツ、コツ、と、私の足音が踊り場に反響する。二階への階段を登り切った後、私は向かって左側、その突き当りの教室へ足を進めた。そこから探索を開始しようと思ったのだ。
誰もいない、そしてなにもない教室の扉を開け、その中へ入る。懐中電灯を照らすと、何百回、何千回とチョークで書いてはそれを消されたであろう戦歴の黒板と、画鋲で穴だらけになっている掲示板が見えた。私はそれに近寄って、手で触り、何か仕掛けが無いか探していく。
……教室の備品が撤去されたのは、幽霊騒ぎが出た後よ。
もし手帳が撤去された備品の中に入っているのであれば、私の活動はもうお手上げだ。でも撤去された備品の中に、手帳が入っている確率は低いと私は思っている。
……だってそんな簡単な場所に隠されているなら、おばあちゃんの教え子たちが、とっくに見つけているはずだもの。
あるいは、備品の中に手帳が紛れていた場合、備品を回収した業者が、学園に何かしら報告をしているはずだ。しかし、それも現時点で連絡はない。
……だから、まだこの校舎の教室の中に、おばあちゃんの手帳はあるはずなのよっ!
そう思い、懐中電灯を黒板の裏へと向けた、その時。
コツ、コツ。
私以外の足音が、廊下から、聞こえてきた。
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