「――と、いうわけで、貴方たち一年生が来年行く修学旅行の場所が、決まらない状況なのです」

 藤棚の下、わたくしはそこまで言って、言葉を切った。源さんが用意してくれた四人分の紅茶とお茶請け、そして帝一と古戦さんの弁当箱が並ぶテーブルを、昨日と同じメンバーが囲む。

 わたくしはカップに手を伸ばすと、香りを嗅いだ。

 ……今日は、アッサムですわね。

 そう思うのと、源さんがミルクジャグをこちらへ差し出してくれたのは、同時だった。わたくしは礼を言って、自分のカップにミルクを注ぐ。そして口を湿らせるように、それを一口。

 ミルクティーの味を楽しんでいると、突然古戦さんが立ち上がり、右手に箸を持ったまま、熱弁を振るう。

「帝一様! この話受けましょう! 青鷺様、実は修学旅行先、昨日の再投票でも決まらなかったんですよっ!」

 その言葉に、わたくしは過剰に反応して見せた。

「まぁ、再投票しても決まらなかったんですの? それはいよいよ、困ったことになりましたわね」

 わたくしは右手を頬に当て、少しだけ眉尻を下げる。才女のわたくしは、演技も完璧だ。

 同意するわたくしに気を良くしたのか、古戦さんは手にした箸を、カニのハサミのようにしゃきしゃきと動かし始めた。

「そうなんですよ、青鷺様! このままでは、私と帝一様の沖縄旅行がピンチなんですっ!」

「……修学旅行の行き先のお話だったのでは?」

「細かいことはいいんです!」

 淡々と話す源さんの言葉を、しゃきっ! と箸で両断し、古戦さんは更に言葉を紡いでいく。

「それに、今日登校したら、何故かこの問題、もう帝一様が解決するって噂が、私のクラスに流れてたんですよ! 聞いてみると私のクラスだけじゃなくて、一年生中の噂になってるみたいなんですっ!」

「まぁ、そうなんですの?」

 わたくしは今度は左手を頬に当て、両目を少しだけ見開いた。少しの疑いもせずに、全力で頷いてくれる古戦さんを見て、わたくし、将来は女優を目指したほうがいいのかしら? と勘違いしそうになる。

「そうなんですそうなんです! だから帝一様がこの問題を本当に解決すれば、帝一様の評価もアップ! 沖縄旅行もゲット出来て、いい事ずくめなんですよっ!」

 その古戦さんの言葉を聞いて、わたくしは内心、暗い笑いを浮かべた。

 ……でもそれは、逆に解決出来なければ、評価が著しく下がるということですわ。

 一年生の間で流れている噂は、わたくしがゆめさんに頼んで流してもらったものだ。

 人は、期待していたものが手に入らないと知った時、強いマイナスの感情を抱えることになる。どんなに眉唾な噂であっても、人は自分が求めているものを、どうしても信じたくなる生き物だ。

 ……それに帝一は、落ちこぼれと言われていても、あの不知火家ご当主の孫ですもの。家の名前が、噂の信憑性を後押ししてくださいますわ。

 でも、この問題は、決して帝一には解決できない。何故なら票は、わたくしが握っているからだ。彼がどんな手を打ったところで、必ず北海道と沖縄で票が割れるように操作できる。

 一年生全員から問題の解決を期待された帝一は、しかしそれに失敗する事で、同級生全員から非難に晒されるのだ。そして彼は、実家にも頼ることが出来ず、最終的にわたくしを頼ることになるだろう。

 この件を解決できる、唯一の存在である、このわたくしに。

 ……ああ、あの帝一がわたくしに跪いて助けを乞う姿を想像するだけで、口元が緩んでしまいそうになりますわっ!

 口元を隠すように、わたくしはカップを口にする。そしてわたくしは、先程から一言も喋っていない帝一に、問いかけた。

「どうです? 帝一。お茶請けに用意した、尾葉堂の抹茶カスタードのシュークリームのお味は?」

「……美味である」

 神妙そうな面持ちで、帝一は両手に持ったシュークリームを少しずつ頬張っている。そんな彼に向かって、古戦さんが問いかけた。

「……帝一様、家ではお菓子はいらないっておっしゃられているのに、どうして青鷺様からは頂くんですか?」

「自分で買わなければその甘味は無駄にはならないが、人からもらったものは誰かが食べねばならんだろう。そうしなければ、腐らせるか捨てるしかない。それは、無駄だ。妥協できない」

「だったらそのお菓子、私にくださいよ!」

「桜。お前、この前あまり食べると太――」

「わー! わーっ! そ、そう言えば、帝一様は修学旅行の希望地、どこに投票されたんですか?」

 慌てて話題を変える古戦さんに対して、帝一ははっきりとした口調で答えた。

「俺は白票で出している」

「え、何でですか!」

 お腹が空いているのに、何で御飯を食べないの? とでも言うような表情で、古戦さんが帝一に箸でしゃきしゃきと斬りかかる。

 帝一はそんな古戦さんを一瞥し、鼻で笑った。

「修学旅行先は、どこでも妥協できるからな」

「そんな! でも、それならこの件、すぐに解決するじゃないですか! 次再投票があった時、帝一様が沖縄に票を入れればいいんですから」

「……別に北海道でも構わんだろう?」

「帝一様、私の話聞いてなかったんですか? 私、沖縄に行きたいんですよっ!」

「問題解決に私利私欲を出し過ぎだぞ、桜。それに、どうやらこの件、現状俺の一票動かしたとしても、結果はたいして変えられないようだぞ」

 そう言って帝一は、シュークリームから溢れ、左手に付いたた抹茶カスタードを、右手の親指で拭う。そしてそれを舐め取りながら、わたくしの両目を意味ありげに見つめた。

 わたくしはそれに、完璧な微笑みで返す。

 ……わたくしが裏工作をしている証拠は、どこにもありませんわよ?

 いくら勘ぐられても、わたくしにたどり着けなければ、どうということはない。帝一の視線に気づいていないのか、古戦さんは不思議そうに小首をかしげている。

「そうなんですか? でも、確かに次の再投票で、気持ちが変わって違う場所に投票する人は、出てくるかもしれませんね。だとすると、この件、長期化しそうなんですかね? 噂の件もありますし、あまり長引くと、帝一様の評判も悪くなってしまいそうです」

「誰が何を言おうと、妥協できる範囲ならば好きに言わせておけばいい。俺は気にしない」

 無言で紙ナプキンを差し出す源さんからそれを礼を言って受け取り、手を拭う帝一に向かって、古戦さんはぷんすか、と聞こえてきそうなほど、地団駄を踏んだ。

「もう、私が気にするんですよっ!」

「俺はもう、妥協している」

 そう言って帝一は、優雅にカップを手に取ると、香りを嗅いで、それを口にした。

「彩」

「……何ですの?」

 突然名前を呼ばれ、一瞬だけ狼狽する。帝一の黒真珠のような瞳が、わたくしを映し出していた。

「この問題、何故お前が動いている?」

 その言葉に、一瞬反応が遅れる。

「……どういう意味ですの?」

「投票の問題であれば、それを管理している組織、つまり生徒会がそれを解決したい、と言い出すはずだ。だが、お前は生徒会のメンバーではない」

「……ああ、そういう事ですの」

 わたくしは右手で髪をなびかせると、予め用意してあった台詞を口にする。

「今の生徒会長、霧隠会長が率いる生徒会に、知り合いがおりますの。その方から、困っている事がある、という話を聞きまして」

 この言い訳を帝一にする可能性があることは、既にゆめさんにも伝えてある。わたくしの発言の裏取りをされても、ゆめさんがわたくしの証言を裏付けてくれる手はずになっていた。帝一が事実確認に動いても、全く困ることはない。

 わたくしの話を聞いた帝一は、ふむ、と小さく頷く。

「では、彩はその霧隠会長と会ったことがあるか?」

「選挙ポスターでお顔は存じておりますが、直接の面識はございません」

「……そうか」

 そう言って帝一は、流れる動作で紅茶を飲み干す。ただそれだけなのに、バレエの一動作のような洗練された動きに見えるのが、少し不思議だった。

 だが、続く彼の言葉に、わたくしは思わず狼狽してしまう。

「二流上等、一流重畳」

「なっ!」

 その台詞は、かつて聞いたことがある。それはわたくしの、人生で最も苦い記憶と紐付いていた。

「帝一! 貴方、何をするつもりですの?」

「妥協だ。お前もよく知っているだろ?」

 そう言って立ち上がる帝一を、わたくしだけでなく、古戦さんや源さんも、呆然とした顔で見上げている。

「この件は、俺たちの方から直接生徒会に解決方法を伝えておこう。桜、お前の生徒会の知り合いに、今から言うことを伝えてくれ」

 名指しされた古戦さんは、目に見えて狼狽し始めた。

「いいですけど、え? 帝一様、もう解決方法わかっちゃったんですか?」

「解決かどうかはわからんが、妥協点。落とし所なら、もう見えている」

 ……そんなはずありませんわっ!

 思わず立ち上がりそうになるのを、わたくしは既の所でこらえた。

 大丈夫。どうせ帝一のハッタリだ。万が一大掛かりな事を仕掛けて来ようとしても、わたくしの握っている過半数の票があれば、絶対に負けない。この膠着状態を、維持できる。そうすれば、わたくしの勝利だ。

 だが帝一は、そんなわたくしの内面を見透かすように、薄く笑う。

「俺に関する噂。このシュークリームの味。妥協点として、彩たちの話を解決するというのは、落とし所としては悪くはない」

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