④
私と帝一様が住んでいるのは、雨晦明学園から徒歩二十分程の所に建っている、築二十五年を超す二階建ての家だ。築年数は古いが、リノベーションされており、体感的に新築に住んでいるような気分になる。
「それで、部活の話、どう思いますか? 帝一様」
そう言って私は蛇口を止め、洗い終えたお皿を水切りラックへ丁寧に収める。ゆめさんから聞いた同好会の件は、夕食中に帝一様にお話済みだ。
私はタオルで手を拭い、めくり上げていたメイド服の袖を元に戻してリビングの方へ視線を送る。そこには夕食後のコーヒーを飲みながら、テレビを見てくつろいでいる帝一様の姿があった。その彼が、私の方へと視線を向ける。
「桜。お前、勝手にコーヒー豆のグレードを上げたな? 俺はインスタントのもので十分満足できると言っているだろ」
「で、ですが帝一様! まだ家計には余裕がありますし、帝一様ともあろう方が口にされるものであれば、それなりのものを――」
「お前の気遣いは、嬉しく思う。だが、不要だ。この豆も使い切ったら、元の銘柄に戻せ。満足できるのであれば、無駄に金を使う必要もあるまい。それに、無駄はなるべくなくすべきだ。俺は満足できるだけの金は稼ぐが、無駄な金は稼がん」
そう言って帝一様は、漂う香りを楽しむようにカップを傾けると、それに口をつける。
……二人で二階建ての家に住んでるのに、そこまで気にしなくてもいいと思うんだけど。
この家は、一階を私、二階を帝一様、リビング等は共同という形で棲み分けている。二人で二階建ての家に住むというのは、普通に考えれば随分贅沢な話だ。しかし一方で、不知火家の現当主の孫が住む家として、この家はあまりにも貧相なのである。
不知火家で落ちこぼれ扱いされている帝一様は、現在実家からの援助を受けられない、というより、自分が自由に生きるために自ら打ち切っている状態だ。そのため学費や生活費、そして家賃も、全て帝一様自ら稼いだお金で賄われている。
稼ぐ方法は、株などの投資だ。
「桜。明日のトレードの時間だが、一限と二限の間で頼む。いつも通り、藤棚に来てくれ」
「……帝一様。いい加減、電話でのトレード辞めませんか?」
私は自分のコーヒーをカップに注いで、リビングの方へと向かう。ソファーに座る帝一様の隣に座ると、私は再度彼に向かって問いかけた。
「いい加減、パソコンの使い方覚えませんか? いいえ、せめてスマホでトレードできるようになりましょうよ!」
「ば、馬鹿な! 桜、お前、俺に機械を触れと言うのかっ!」
「いや、ですからそんな大げさな……」
げんなりする私を、まるで落雷を受けたかのような驚きの表情で、帝一様は見つめてくる。
「機械だけは、無理だ! あれはゼロとイチという概念しかない、中間というものが存在していないんだぞ? そんなもの、一体どいやって妥協しろというのだっ!」
満足するための妥協を求める帝一様は、中間と言う概念が存在し得ないもの全般が苦手なのだ。しかし――
「いや、機械相手に妥協も何もないですよ」
「無理なものは、無理だっ!」
「……もう、仕方がない人ですねぇ」
あまりの頑固さに、思わず私は笑ってしまう。
……まぁ、それがきっかけで私は救われたので、あまり強く言えませんけど。
帝一様に助けられたあの日、彼はたまたまスマホを操作出来る人を探していた。相手はきっと、誰でも良かったのだ。でも彼はたまたま私と出会い、彼は私を救うことができた。だから帝一様は、自分のスマホを預ける役に、私を選んでくださったのだ。
いくつもの偶然と奇跡が重なった結果、今私はこうして、帝一様と一緒にいることができる。その幸せを噛みしめるようにカップに口をつけたところで、私は自分が誤魔化されていることに気がついた。
「って、コーヒー豆の話とかトレードの話をして、何自然に話題変えてるんですか! 部活ですよぶ、か、つ! 部活の話! しましたよね、私っ!」
帝一様が、露骨に舌打ちをした。
……この人は、本当に、もうっ!
一体、あの時のカッコいい帝一様は、どこにいってしまったのだろう? もちろん、今の帝一様も世界で一番カッコいいと、私は思っているのですが。
……でも、それとこれとは話が別です!
「やっぱり確信犯じゃないですか! 帝一様のアホっ!」
「アホはどっちだ? 桜。お前、中間試験の結果、どうだったんだ?」
「ど、どうって……。って! またそうやって話を――」
「一応、お前の主人である俺が、お前の学費も出しているんだ。俺には、知る権利があると思うが?」
そう言われては、私は言葉を止めるしかない。
帝一様に助けられたあの日、壺を割った補填を帝一様がしてくださる代わりに、私が彼に奉仕する関係になった。つまり実質、私は一億円を帝一様に借金をしている状態だ。
その返済のための労働時間は、二十四時間。帝一様の代わりに機械の操作をするために住み込みで働いたり、学園に通われる彼と一緒に私も雨晦明学園へ通ったりしている。ただ、それらに必要な諸々のお金は、必要経費という事で帝一様に出していただいていた。更にその上、お給料までちゃんといただけるのだ。労働環境がホワイト過ぎる。
……なんだか、私がお世話していると言うより、私が養われている感じですね。
気落ちする私をよそに、帝一様はカップを傾けながら、私を横目で睨んだ。
「不要だと思っているが、俺の地位か名誉かの向上のために色々動いてくれるのは、ありがたい。が、無論、その俺の従者が粗相をすれば、主人の俺もその様に見られると、お前はわかっているよな?」
「ぐ、ぐぬぬ」
「おや? どうしたんだ、桜。主人思いのお前のことだ。雨晦明学園の入学試験は、桜の地力で受かったんだ。もちろん、今回のテストで好成績を収めて、主人である俺の株を上げてくれたんだろ?」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
「……他に言うことがあるんじゃないか?」
「申し訳ありませんでした!」
リビングで土下座する私(メイド)を、帝一様は冷ややかな目で見下ろしながら、コーヒーをすする。そんな彼に向かって、私は弱々しくも反論を口にした。
「で、でも、仕方がない部分もあるんですよ! 二十四時間、帝一様のお側を離れることはできないわけですし、勉強する時間も――」
「二十四時間と言っても、雨晦明学園では普通に教室は別だし、こうしてリビングでくつろげる時間はいくらでもある。それに、夜九時以降は自由時間にしているだろう? 俺だって、捻れば点くタイプのランプは使える。あれはゼロイチのデジタルではなく、アナログだからな。だから、夜にお前の世話になることは殆どない。それに土日は休みにして、むしろ休日はお前の荷物持ちに俺のほうが――」
「重ねて申し訳ありませんでしたっ!」
土下座の姿勢から土下寝へ移った私(メイド)を、帝一様が侮蔑の表情で見下ろす。その表情に、新しい何かに目覚めそうになっていると、ふむ、と帝一様が小さく頷いた。
「二流上等、一流重畳」
「……帝一様?」
「学年三十位以内で、どうだ?」
恐る恐る顔を上げた私に向かって、帝一様はそんな事を口にする。わけが分からず呆けた顔をする私をよそに、コーヒーを飲み干すと、彼は小さく笑った。
「次の期末試験。お前が学年三十位以内に入ると約束するのであれば、部活の問題。妥協点を教えてやろう」
「ほ、本当ですかっ!」
勢いよく起き上がる私を見て、帝一様が苦笑いを浮かべながら、手にしたカップをソーサーに置く。そしてゆったりと、ソファーにその身を預けた。
「全く俺が面識も恩もない相手に、何かしてやる道理はない。だが、そいつらに恩を売れて、お前の成績が上がるのであれば、俺も骨を折るのに妥協しよう」
「て、帝一様……」
「で、どうする?」
そう言って彼は、またあの日のように、気安く私に問いかける。
……ほぼ最下位の私が、学年三十位。
これは、かなり高いハードルだ。高いハードルだが、考えてみれば、それを目指すことに、何らデメリットは存在しない。
私が学年三十位以内になれば、全てがうまくいく。
部活の問題を解決したい、生徒会のゆめさん。
部に昇格したい、雑草研究同好会の春日井さん、水族館研究同好会の井出さん。
そして、帝一様の地位向上を目指す、私。
その皆の想いを、叶えられるのだ。
だから――
「謹んでそのお役目、拝命させていただきます」
ふむ、と帝一様は頷くと、流れるように、彼の考える部活の問題の落とし所を口にした。
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