帝一様と初めてお会いしたのは、私が中学一年生の時のことだった。

 私の家、古戦家は、代々不知火家の従者として生き残ってきた家系だ。と言っても、不知火家は分家も含めて膨大な人がいるため、それだけ従者の人数も多くなる。古戦家はその従者として生きる家系の、末端中の末端。吹けば消えてしまうような従者の家系、その家の三女として生まれたのが、私だ。

 そんな私が、不知火家本家主催のパーティーに補充員として呼ばれたのは、いくつもの偶然と奇跡が重なった結果だった。

 ……ここでのお役目を全うできれば、もっといい仕事が入ってくるかも! 頑張らなきゃっ!

 そう気負っていたのが、いけなかったのだろう。

 今では理解できるが、本家として求めていたのは優秀な従者ではなく、年端のいかない少女であっても従えることができるという、パーティーの参加者へ不知火家の力を示すためのイミテーション。つまり、ただの飾りとして、私は呼ばれていたのに過ぎなかった。

 そもそも、不知火家の本家筋には橋姫(はしひめ)家や刑部(おさかべ)家といった、専属の優秀な従者たちがいる。私個人に対して、何の期待もされていないという事に、あの時の私は全く気づいていなかった。

 御歴々が談笑するパーティー会場の端に立つ私は、居ても立っても居られず、メイド服のスカートを揺らしながら、他の従者たち、メイドや執事たちに話しかける。

「あの、何かお手伝いできることはありませんか?」

「大丈夫。こちらはわたしたちで対応できますので」

「あの、何かお手伝いさせていただけませんか?」

「……何かあれば、お声掛けさせていただきますから」

 やんわりと、お前は邪魔だと言われているにもかかわらず、私は仕事を求めて、パーティー会場を走り回った。このまま何もせずに時間だけが過ぎてしまうという焦燥感が、無駄に私の足を急かす。

 やたらと仕事をもらいたがる私に根負けしたのか、それとも仕事の邪魔だと思ったのか、ある従者が私に向かってこう言った。

「……でしたら、通路の掃除をお願いします」

「掃除ですね! わっかりましたっ!」

 掃除道具の場所を聞くと、私はロケットの如くその場を飛び出していく。箒に塵取り、雑巾と必要なものをバケツに入れ、気合の吐息を吐くのと同時に、掃除を開始した。掃除機等、機械では中々取れない隅や角まで、私は丁寧に埃を取り去り、床を磨き上げていく。それこそ、舐めても問題ないと思えるぐらい、徹底的に仕上げていった。

 ……ここまでやれば、本家の人達も私の仕事を認めてくれるはず!

 そう思い、一息つこうと、床に這いつくばっていた体を起こした瞬間、自分の背中に何かがぶつかった。

 振り向いて、それが装飾品を乗せるための台座だということと、そこに飾られていた壺が、ゆっくりと地面に向かって落ちていくのに気づいた次の瞬間には、もうそれが割れる破砕音が聞こえてくる。

 絶望を告げるその音を、私は顔面蒼白になりながら聞いていた。

 廊下に響き渡った音を聞きつけ、従者たちが集まってくる。

「何があったんだ?」

「わ、私、その……」

 回らない私の舌が紡いだ言葉よりも、周りに飛び散った陶器の欠片を見て、何が起こったのか理解したのだろう。彼らは一様に表情を険しくする。

「なんてことをしてくれたんだ!」

「自分が何をやったのか、わかっているのか!」

「す、すみませんっ!」

 頭を下げるが、それで済む問題ではないことは、私も理解していた。

 ……でも、どうすればいいの?

「こ、これ、弁償――」

「弁償と言うが、これは七宝焼きの壺で、時価一億円はくだらないと言われるものだぞ」

「いっ!」

 現実では冗談でしか語られないその金額に、思わず私は絶句した。でも、不知火家の本家に飾られているものの中では、これは安い部類に入るのかもしれない。しかしそれはあくまで不知火家基準の話であって、末端の従者の私からすれば、途方も無い金額である。

 ……そ、そんなの、私、払えるわけがない。

 私だけでなく、両親に泣きついたところで、とても払える金額ではない。

 へたり込み、ガタガタと震え始めた私に向かって、誰かが質問した。

「ん? 君、見ない顔だな。どこの家のものだ?」

「わ、私は、古戦家の三女の、さ、桜と言います」

「古戦家? 知らないな」

「あれじゃないか? 今日のパーティーに欠員が出たとかで呼んだっていう」

「底辺の家じゃないか! これが御本家の方々のお耳に入れば、一家断絶どころじゃ済まないぞ!」

「ひっ!」

 自分だけでなく、家族にも影響が出ると知り、私はもうどうしたらいいのかわからなくなる。どうしたらいいのかわからないのに、どうしようもないことが起きてしまったという絶望感で、私の両目から、涙が零れ落ちてきた。

 その雫が、割れた壺ほ破片に零れ落ちた、その時――

「何の騒ぎだ?」

「て、帝一様!」

 帝一と呼ばれた彼は、歳は私と同じぐらいなのに、やたらと精悍な顔立ちと、そして貫禄を持った少年だった。

 彼は従者たちの間を抜けてやってくると、ふむ、と言って辺りを見回した。不自然に空いている台座、座り込んで泣いている私、そして床に散らばる破片の順で、彼は視線を巡らせる。そしてもう一度、ふむ、と頷くと、おもむろにポケットから、何かを取り出して私の方へ差し出した。

「お前、この機械は使えるか?」

 彼が取り出したのは、スマホだった。何の変哲もない、家電量販店に出向けば、誰でも手に入れられる機種。というか――

「……それと同じ機種、私、使ってます」

 そう答えると、彼は満足そうにうなずいて、私にそのスマホを握らせる。

「二流上等、一流重畳」

「え、な、何ですか?」

「お前、今日から俺に仕えろ」

「は?」

 意味がわからず、私の口からは、そんな間抜けな言葉が零れ落ちていた。あまりにも唐突すぎる展開に、気づけば私の涙は止まっている。

 私とは反対に、周りの従者たちは慌てふためいた。

「よ、よろしいのですか、帝一様!」

「いいもなにも、それがこの件の妥協点だ」

「ですが、従者の不始末は主人の不始末。この壺を割った責任は――」

「だから、それが妥協点、落とし所だと言っているのだ」

 退屈そうにため息を付いた後、私に仕えろと言った彼は、自分に問いかけた従者へ視線を送る。

「壺を割った加害者と、壺を割られた被害者がいる。被害者に対しての補填は俺が行い、補填を行った俺には、加害者が労働で奉仕する。三すくみだ。これで丸く収まると思うが?」

「……帝一様は、この少女の事は、ご存知なのですか?」

「いいや、初見だ」

「……初めて会ったばかりの少女に、どうしてそこまでされるのですか?」

「だから、そこが妥協点だと言っただろ?」

 そう言って彼は、またため息を付いた。

「壺を割られた被害者は、補填される。壺を割った加害者は、長期労働を求められるが、今すぐ責任を取らされる事はない」

 そこで言葉を切り、今度は周りの従者たちを見回す。

「そして、お前ら従者は、同業者が俺たち本家の人間に未来を閉ざされるのを見なくて済むし、この本家筋ではない従者に掃除を任せた誰かも、仕事を任せた責任を追及される事もなくなる。おい、監視カメラでこちらを見ている、今日の当番は、確か刑部だったな?」

『……相変わらず分家の方々だけでなく、我ら従者の事までよくご存知で』

 突然天井に話しかけた少年を見て驚いている暇もなく、今度はその声に反応する声が聞こえてきて、私は更に驚いた。

 しかし本家ではそれが当たり前なのか、私以外に驚いている人は誰もいない。

『……あまり従者贔屓が過ぎますと、御父上からの心象も悪くなりますよ』

「贔屓をしているのではなく、俺は俺が満足できる生き方をしているだけだ」

『……つまり、貴方様にとっても、その結果が落とし所だ、と?』

「どうせその壺に対した思い入れもないくせに、奴らの退屈を紛らわせるために手折られる某は、いないほうがいいに決まっている。もっとも、俺の提案を受け入れるか受け入れないかは、こいつの自由だがな」

 そう言って彼は、私の方へと振り向いた。周りの従者も、そして監視カメラからの視線さえも、私を見ているように感じる。

 私は手渡されたスマホを握りしめながら、なんとか口を開いた。

「ど、どうして?」

「それは、もう話した」

 彼は鼻で笑って、言葉を紡ぐ。

「で、どうする?」

 その問いかけは、コンビニに行くけどついでに何か買ってくる? と友達が言うのよりも軽く聞こえた。まるで、その問の答えで、私と、そして私の家族のこれからを左右するだなんて、こちらに感じさせないようにしているみたいだ。

 だから私は、涙で濡れて生乾きだった頬を拭うと、その気安さとは対照的に彼の前に跪き、洗礼を受ける信者のように、スマホごと両手を握る。

「謹んでそのお役目、拝命させていただきます」

 ふむ、と彼は頷くと、周りを一瞥した後、監視カメラへ視線を送る。

「と、いうわけだ。この壺は、結果的に俺が割った。いいな?」

『……御父上に、叱られますよ?』

「払うものは払う。それでも文句を言うようなら、それも必要な妥協だ。聞くだけは聞こう。それと、ここの掃除と、ここの掃除を命じた者への説明だが――」

「それは、我らにお任せください」

 そう申し出た従者に対して、ふむ、と言い放つと、彼はそのまま一度も振り返ることもなく、すたすたとこの場を立ち去っていく。

 その振る舞い方も本家では当たり前となっているのか、周りの従者たちは立ち去る彼を気に留めずにテキパキと片付けを開始し、監視カメラももう一言も言葉を発することはなかった。

 自分は完全に取り残されていると気づき、私は慌てて立ち上がる。そして――

「ま、待ってください、帝一様っ!」

 彼の名前を呼びんで、その背中に向かって走り始めた。

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