「移動しながらの挨拶となってしまい恐縮ですが、私の名前は、ゆめと言います。気軽にゆめさん、と呼んでください」

「は、はぁ……」

 気の抜けた返事を返しながら、私はワックスで磨かれた廊下に自分の足音を響かせていく。

「それで、揉め事とは、一体何でしょうか?」

「実は私、生徒会のメンバーなのですが、今困った事が起きてまして」

「困ったこと?」

「それを説明する前に、あなた、新入生でしたよね? この学園のことを、どこまでご存知なのですか?」

「ええっと、学園のパンフレットに載っている事ぐらいなら。この雨晦明学園には、世界中から優秀な生徒が集まってくる、だとか」

「ええ、そうです。学園の研究施設やスポース環境は一般的な私立大学レベルを越えていて、その道のプロが利用したがるレベルになっています」

 その分、学費も私大以上の金額ですけどね、と言ったゆめさんを追って、私は一階に降りて中庭に足を踏み入れる。ここの中庭には噴水が設えてあって、少し涼むのに丁度良さそうだ。

 噴水を横目で見る私を振り返りもせず、ゆめさんは言葉を続けていく。

「それだけ学費が高くても生徒が集まってくるのは、何故だと思いますか?」

「その金額に見合う施設が用意されているのと、後は、奨学金制度も充実してましたよね? この学園」

 帝一様が成績優秀生として全額学費免除をされているのを思い出しながら、私はゆめさんの言葉に答える。すると今度は彼女はこちらに振り向いて、小さく頷いた。

「そうです。そしてそれができるのは、この雨晦明学園の歴史が長いから。まぁ、古くから残っている学園なので、その分多くの、しかも優秀なOB・OGを輩出しています」

「古い、って言いますけど、それでも随分綺麗な校舎ですよね」

「新設されたばかりですから、OB・OGはここを新校舎と呼んでいます。ばかりと言っても、彼らと生徒たちのご家族からの寄付金で、建てたのは二十五年前になりますが」

 渡り廊下を抜けると、今度は別の中庭が見えてきた。ここは生徒たちが体を動かすために用意された場所のようで、バレーボールをしたり、バドミントンをしている生徒たちの姿が見える。彼らを迂回しながら、私も口を開いた。

「確か、この校舎を建てる時、雨天でも使えるように、地下にグラウンドやプールも一緒に作られたんですよね?」

「ええ、そうです。また、野外グラウンドも新たに作られました」

「え、グラウンドも作ったんですか?」

「旧校舎の取り壊しをもう少し待つように、OB・OGから強い要望が出ているのですよ。たまに学園の許可を得て、見学ツアーみたいなこともやっています。その対象に、昔彼らが使っていたグラウンドも含まれています」

 そう言ってゆめさんは、眼鏡を押し上げる。

「思い出が詰まった校舎を、まだ残していて欲しい、と。学園としても、寄付をしてくださる方々の意見は、無下には出来ませんから。その関係で、旧校舎にあるグラウンドも、今は使えません。ですが、流石にもう取り壊しの工事が始まるでしょう。業者も選定済みですし」

 そこでゆめさんは足を止め、くるりと体ごと、こちらに振り向く。

「では、ここで問題です。今までの話の中で、新たに新設されていてもおかしくないのに、増えていないものがあります。それは一体、何でしょうか?」

「えっ!」

 突然始まったクイズに、私は目を白黒させる。

 ……え、何? 増えてないもの? 校舎は増えているし、運動する施設も増えているし。え? 何だろう?

 悩む私に、ゆめさんがヒントをくれる。

「ヒントは、生徒が集ったら、起こりそうな活動が関係します」

「生徒が、集まったら? ……あ、部活動! 部活棟とかですか?」

「正解です。今、二つの同好会が部に昇格できる権利を得ました。ですが、部室の空きは、一室しかありません」

 ゆめさんはもう一度眼鏡を押し上げると、私に向かって、こう言った。

「空きの出来た一つの部室。どちらの同好会が使うに相応しいと思いますか?」

「……つまり、空いた部室をどちらの同好会が使うのかで揉めている、ということですか」

「ええ、そうです。ちなみに同好会が部に昇格するための条件として、部室を持っている必要があります。部室を割り当てられなかった同好会は部に昇格出来ず、また、部費も降りません」

 話しながら校舎の中へ入っていくゆめさんの背中を、私は追う。

「でも、学園の資金は潤沢なのに、部室棟は新設しないんですか?」

「わざと足りなくしてるんですよ」

 そう言ったゆめさんの足が、ある教室の前で止まる。教室の中からは、言い争う声が聞こえてきた。声から判断するに、中には二人の男子生徒のようだ。

 教室の喧騒等気にも止めた様子も見せず、ゆめさんがその教室の扉を開ける。聞こえてくる声が、一段と大きくなった。

「だからおかしいじゃないですか? 次に部室を与えられるべきは、僕たちの部活ですよ!」

「何を言ってるんだい。部室を得るのは、こちらの方さ!」

 教室の中に居たのは、予想通り、二人の男子生徒の姿。そして会話の内容から、彼らが部の昇格を求める、二つの同好会の関係者だということがわかった。

 ゆめさんが、ぬっ、と私に近づいてきて、耳打ちする。

「あちらが、雑草研究同好会の会長、春日井 出(かすがい いずる)さん。そしてもうお一方が、水族館研究同好会の会長、井出 日向(いで ひゅうが)さんです」

「ざ、雑草? 水族館?」

 想定外の単語に戸惑う私の存在に気づいた様子もなく、春日井さんと呼ばれた方が、両手を上げながら熱弁を振るう。

「僕たち雑草研究同好会は、雑草の茎の強度を研究することで、強度の高い建築物に応用するための特許を取得したんだ! これで今後、高層ビルの未来が変えられる!」

 春日井さんに対する、井出さんも負けてはいない。右手を高く振り上げながら、自らの声も高らかに叫んだ。

「それなら水族館研究同好会も負けてない! こっちは国際学生科学フェアで、研究成果が入賞している! ここから世界を変えるんだ!」

「これが、部室棟を増やさない理由です」

 ゆめさんの眼鏡が、鈍く煌めく。

「部室が与えられる部活は、隔月に行われる生徒会と教師による投票で入れ替わります。つまり、成果を上げた活動は、無名であっても三十人程が利用できる部室と部費が手に入り、昔からある部活でも、過去の実績にあぐらをかいていれば同好会に降格。また、部費も削られて部室もなくなるという、各部活が必然的に切磋琢磨するシステムなのですよ」

「随分、厳しいんですね……」

「その分、あの様に皆、本気になります。だからOB・OGも、学園の思い出が強く記憶に残るのでしょう。それこそ、こうして熱く議論した、昔の校舎を惜しむ程に」

 ゆめさんと話している間にも、空いた部室を巡って、二人の同好会の会長が議論を続いていく。

 春日井さんは雑草は研究の対象とするだけでなく食料としての一面もあると解き、井出さんは水生生物を通して地域に密着した活動による地域活性化の利点を述べる。二人とも、自分の同好会を部に昇格させようと、必死なのだ。

 ……確かに二人共、本気ですねっ!

 ゆめさんから最初、雑草研究同好会と水族館研究同好会の名前が出た時、恥ずかしながら私は、こう思ってしまった。

 誰が一体、そんなマイナーな活動をするの? どっちが部に昇格しても、あまり変わらないのでは?

 でも、そうではないのだ。マイナーだからこそ、人に中々理解されないからこそ、彼らは自分の大切なものを認めて欲しいと、あれだけ熱くなっているのだ。

 ……私がここに来た理由と、同じですね。

 私の目的は、帝一様の地位向上。そのために私は、彼らの揉め事を収めに来たのだ。それなのに――

 ……私は、まだまだ未熟なメイドみたいです、帝一様。

 自分の不出来を振り払うように、私はゆめさんへ問いかけた。

「お話を聞いている限りだと、二つの同好会も、部活に昇格するための実績は十分な気がしてるんですが、どうして今まで同好会扱いだったんですか?」

「それは純粋に、会員が足りなかったからですよ。マイナーな活動ですから」

「「マイナーというな!」」

 春日井さんと井出さんが、同時にこちらに振り向いた。そこでようやく、彼らは私たちの存在に気づく。

「君は?」

「一体、誰だい?」

「こちら、部室の問題を解決してくださる――」

「古戦桜と申します。あ、正確には、解決されるのは、帝一様になりますが」

「はぁ?」

「ふぅん?」

 ゆめさんに紹介された私を、二人は訝しげに一瞥する。まぁ、突然やってきて自分たちの揉め事に介入するという物好きは、こういう反応で出迎えられても文句は言えないだろう。

 そんな二人を、ゆめさんは眼鏡を押し上げながら、淡々と見つめ返す。

「先程のマイナーという発言ですが、どんなに優れた成果を出していても、それが広く受け入れられなければ、いずれその活動も、成し遂げた偉業も消えてしまいます。自己満足の活動に対して、学園は場所の提供も費用の投資もしません」

 そう言ったゆめさんに、春日井さんと井出さんが反論する。

「だから頑張って会員を集めたんじゃないか!」

「そうだ! 部に昇格するために必要な人数は、もう揃えてあるんだぞ!」

 その言葉を聞いて、ゆめさんは淡々と頷いた。

「両同好会とも、基準ギリギリの五人ですけどね」

「それなら、水族館研究同好会よりも会員数を集めれば、僕たち雑草研究同好会を部にしてくれるんだね?」

 ゆめさんの言葉に、春日井さんは過剰反応して、私の方を見つめる。

「君! どこか部活や同好会には入っていないのかい?」

「私ですか? どこにも入ってませんけど……」

「だったら是非、水族館研究同好会にっ!」

「おい、ずるいぞ! 僕の方が先に声をかけたのに!」

「も、申し訳ありませんが、雑草にも水生生物にも興味がありませんので……」

 そう言って断ると、二人は露骨に落胆していた。しかしそれもつかの間、すぐに顔を上げると、口を開いた。

「では君は、どちらの同好会が部に昇格するのが相応しいと思う?」

「そうだ! 君が決めてくれるんだろ?」

「えっ!」

 不本意ながら、私は思わず驚いてしまう。しかし、よく考えると、彼らの言い分はもっともだ。

 部室を雑草研究同好会か水族館研究同好会、そのどちらに与えるのか? この揉め事を解決する方法は、部室を与える同好会を決める、という事に他ならない。

 ……つまり、どちらかに、部の昇格を諦めてもらう事になるんですよね。

 春日井さんと井出さんの熱意を知ってしまったが故に、私はそのどちらかの想いを、簡単に切り捨ててもいいと、思えなくなっていた。

 ……て、帝一様、どうしましょう。

 さぁさぁ、とぐいぐい迫る二人の圧に耐えきれず、私はひとまず持ち帰って検討させて欲しいと、その教室から逃げ出した。すると、ゆめさんも私の後に付いてくる。そして、ぬっ、と私の方に近づいてきた。

「解決、出来ますよね?」

「も、もちろんですともっ!」

 そう言ってみるものの、まったくもって自信がない。

 ……で、でも、帝一様なら、どうにかしてくれるはずっ!

 そう思うものの、中々自信は回復してこない。ゆめさんが、煌めく眼鏡越しに、私の方へ視線を送る。

「それでは、あなたのご主人によろしくお伝えください」

 そう言って、霧の中に消えるように去っていくゆめさんの背中を、私は呆然と見つめることしか出来なかった。

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