毒の盃
「ルールの説明をするね」
そう言いながら私は、目の前に並べた二つのグラスを両手で指した。
「ゲーム自体はとても単純。まず朝日がグラスを選択する。そして、朝日は選択した方を。私はあなたが選択しなかった方を同時に飲み干す。それだけ」
「…………」
朝日は品定めをするような目で私を見る。
初めてだった。彼女がここまで真剣に私のことを見てくれるのは。私はその視線にどうしても少し嬉しくなってしまうけれど、気を引き締め直してこのゲームの核心部分を話す。
「ただし注意事項がひとつ。このグラスのどちらかに、致死量の毒が入っている」
「はっ」
しかし彼女は人を小馬鹿にしたような笑い声と共に両手を広げて上を向いた。長い髪が揺れる。
「なんや、莉々の提案するゲームいうから期待してたのに。しょーもない」
「受けてくれないの?」
「受けるわけないやろ、アホか」
「どうして? 朝日の大好きな生き死にのギャンブルだよ!」
首を横に振られる。
「うちは別に自殺志願者とちゃうで。死にたいわけでも、死の恐怖を感じたいわけでもない」
「よく死ぬかもしれない遊びをしているじゃない」
「それはそれに見合うリターンが見込めてるからや。このゲームはなんや。勝っても得られるものはない。負けたときだけ死ぬかもしれん。そんなゲームに乗るわけがないやろ」
舐めんな、と彼女は吐き捨てるように言った。
「…………そう」
私は俯いて歯を食いしばる。悔しくて、ではない。
笑みを隠すためだ。
「じゃあ朝日はこのゲームに乗らない、そういうことなんだね」
「当たり前やろアホ」
朝日は一瞬で退屈そうな顔になり、あくびを噛み殺す。
「あ、でもひとつ聞かせてや」
「…………なにかな」
「莉々はどっちが毒入りかわかってるんか?」
肯定の意味を込めて一度頷く。
「ならうちが毒無しを引いた場合、あんたがそれを飲む保証はどこにある?」
「保証?」
「自分が死ぬとわかってて毒を飲むんかって聞いてる」
その見下したような発言に、次は私が舐めんなと吐き捨てる番だった。
この人は、私の覚悟を全然わかっていない。
「私はもう限界なんだよ!」
思わず叫ぶ。
「私がどれだけあなたのことを好きなのか、わかってる? 私はこんなにもあなたのことが好きで。でもあなたはいつも私を置いていく。最高の瞬間? ふざけんな。私が隣にいるのにそれ以上の時間があるのかよ! 私にはない。あなたと過ごす時間以上に幸せな時間は一秒もない。わかってるよね、朝日には私の気持ちが手に取るようにわかっている。たまに帰ってきては、私の欲しい言葉をかけてくれて、私の欲しいことをしてくれる。何回だって離れようと思った! 別れたいと思った。でもあなたはそれを……嫌いになることすらさせてくれない。私のこと、好きになってよ。それが無理なら、嫌いに……させてよ」
今まで一度も漏らしたことのない本音が溢れていく。歯止めが効かなかった。
朝日は無言で私の顔を見つめている。
「どっちもしてくれないなら、もうどっちかが死ぬしかないじゃない。だから私は飲むよ。たとえ毒入りでも」
「…………」
朝日は上を向いて口をつぐんだ。
数分の間が永遠のように感じ、耐えきれなくなって口を開こうとした私を、彼女は手で制する。
「まずはせやな、謝罪や。すまんかった」
頭を下げる朝日を見て、私に浮かんだ感情は怒りだった。「朝日はいま、何に対して謝ったの」と少し強い口調で尋ねる。
私のこの気持ちを、たかが謝罪一言で許す訳にはいかない。
私はこのゲームで、きっちりと朝日を殺す。
そう思っていると予想していなかった返答が返ってきた。
「莉々が怒ってることに対しての謝罪や」
「…………は?」
言葉の意味が分からなかった。
「私が怒っていることに対して? どういうこと。自分の行いについて反省とかは」
「しとらん」
食い気味で返され、私の怒りは一瞬矛先を見失う。しとらん? この人今、反省をしていないと言ったのか?
「うちは自分のやりたいように生きてる。そしてそれに付き添うよう強制したことは一度もない。あんたは、あんたの意思でこの三上朝日と一緒におった。違うか?」
「…………でも!」
「嫌なら他の女のとこでも男のとこでも行けばよかった。そうせんかったんは莉々やろ」
私は勢いよく机を叩いて立ち上がる。
グラスの中の液体が揺れる。
「あなたが私を弄んで――――!」
「人間である以上、人に好かれたいと思うのは当たり前やろ」
しかし朝日は冷静なまま、私の言葉を打ち消した。
「うちはあんたのことが好きや。嘘やない。飯は美味いしキスも上手い。そんなあんたに好かれようと思って動くうちはなんか変か? 片思い中の中学生だって、合コンに来た大学生だって、婚活してる人だって、みんなみんな相手に好かれようと努力しとる。あんただってそうやろが」
「っ…………」
「その責任を相手に求めんな。だからうちに反省することはひとつもない。ひとつだけ言えることがあるとすればな――――」
彼女は少しだけ間をおいた。
「次はもっと安心できるやつを探すとええ。うちみたいなんじゃなくてな」
「言われなくてもっ!」
ここであんたを殺して私は!
拳を強く握りしめると同時に、朝日の顔がふっと綻んだ。
「いまので確定や」
「…………は?」
何を言っている。
彼女の言葉の真意を測りかねていると、朝日はグラスをひとつ手に取った。
「なんや呆けた顔して。ゲーム中やろ、今は」
そのままグラスを顔の高さまで持ち上げる。
「なぁ、莉々。あんた死ぬ気ないやろ」
「――――っ」
呼吸が止まる。
私は動揺を隠そうと無理に顔を作り「なんでよ」と言ったが、朝日は端的に言葉を返す。
「どっちのグラスにも毒は入ってない。断言できるわ」
「――――私のさっきの言葉が嘘だっていうの!」
「殺意は本物や。でもな、莉々。あんたのその振る舞いは、今宵死ぬやもしれん人間のそれじゃないねん。生き死にの戦いなら何遍もみとる」
彼女はなおもグラスをゆらゆらと揺らしながら言葉を紡ぐ。
「あんたに死ぬ気がない以上、このグラスはどちらも毒無しや。それやのにあんたは、私を殺す気でいる。どういうことか」
目線がかち合った瞬間、私の計画はもう全てバレていることを悟った。
「うちは、すでに毒を盛られとる」
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