第2話 国家プロジェクト
F大学における研究は、国家プロジェクトが絡むものであった。全国の主要都市にある国立大学、さらには、有名教授が所属する私立大学、それぞれ合わせた七大学に、
「不治の病の特効薬の開発」
を命じた。
それらの新薬開発は、以前に全世界で流行ったウイルスによって、医療崩壊を起こしてしまったことでの教訓として、
「あのウイルスは今、一定の猛威から少し鎮静化されてきた。現在では特効薬も開発され、季節性のインフルエンザくらいの認識でいいくらいにまで落ち着いてきた。しかし、今後どのような恐ろしいウイルスが出てくるか分からない。あの時の医療崩壊を二度と起こさないようにするための努力の一環として、現在、不治の病とされているものを少しでも少なくし、救急搬送や入院をしても、短い期間で元気になって退院できるような体制を整えておかなければいけない。それに平行して、医療体制や法整備も一緒に進めなければいけないと思っております。そこで、我々が選定した大学の皆さんには、このプロジェクトに参加いただいて、新薬開発に邁進していただきたい。そのための予算は、この間の国会で計上しておりますので、安心して、開発の方をお願いしたい」
というのが、政府の考えであった。
有事になり、すべてが後手後手に回った当時の政府が途中の、総辞職からの衆議院選挙でもって、与党がかなりの議席を減らして、過半数に満たないが、それでも、第一党として君臨できているという、政府としては、
「これ以上ない」
というほどの弱体な政府であるが、それでも、何とか、政府としての体制は取れていた。
しかし、日本の政府としてはあまりにもひどいもので、
「ただ、トップが変わっただけ」
という情けない状態であった。
そんな政府では、医療崩壊などどうすることもできず、すぐに、首相交代劇が出てきた。
首相が、重圧に耐えきれず、勝手に辞職してしまったのである。
元々、党の重鎮が、内輪で決めたと言ってもいい総裁だったので、
「この人がいい」
ということで決まったわけではなく、
「なり手がいないから、消去法で、この人になっただけだ」
という程度のものであり、死に向かって秒読み態勢の状態で、ただ、血の流れを抑えようとするだけの処置しかできないので、傷口しか見えていない状態だと、まわりからちょっと突かれただけで、傷口が開いてしまう。
せっかく、まわりにいる人たちも、今の時代を象徴してか、
「見て見ぬふり」
をしている。
「下手に助けに入っても、どうせ死ぬんだから、下手に看病などしてしまうと、そこから離れられなくなってしまったり、下手をすると、その男が死んでしまうと、その責任を俺に押し付けられでもしたら大変だ」
という思いがあり、誰が行き倒れている人間を助けたりするものか。
「その人が、政府の要人だとしても、助けないで放っておきますか?」
と言われたとすれば、
「そりゃあ、余計にほったらかしですよ。今の世の中をこんな風にしてしまったのって、やつらの責任じゃないですか。死んでくれれば、これほど楽なことはない。我々が手を下さなくてもいいからね」
というであろう。
実際に、そのまま行き倒れた形で、政府は瓦解した。次の総理は、若手のやり手と言われている男で、その手腕は未知数であったが、それまでの内閣支持率に比べれば、結構高かった。
「こんな首相を待ち望んでいたんですよ」
と街頭インタビューでサラリーマンが答えていた。
「ただ、実績はあまりないですよ」
と言われて、
「今までの総理の顔ぶれを見てくださいよ。闇ばかりで、説明責任を一切果たさずに、立場が悪くなると、病院に逃げ込んだ人や、有事でありながら、オリンピックを強行したり、それに平行して、緊急事態宣言を発出し、国民の行動を抑えている常軌を逸したとしか思えないその人は、政府の方針に対して、具体的なことを一切言わず、求心力などまったくない状態で、政府に君臨していたわけだから、よくもまあ、そんな奴らが首相をやっていたということですよ。やっとこれで、若手のやり手がなってくれれば、少なくとも後手後手には回らないと思うんですよ。後の願いは、内輪から自分たちの私利私欲しか考えていない連中から疎まれて、政策を妨害されないことだと思います」
と答えていた。
「よく政治のことをご存じですね?」
とインタビュアーに感心されると、
「それはそうですよ。これまで散々な政府を見せられて、しかも有事になっても、私利私欲だけしか考えていない政府の面々には、誰だって癖癖させられあすよね。何しろ、国民はそんな連中に殺されたとしか思っていませんからね」
「殺されたんですか?」
と訊ねられ、
「もちろんそうです。人流抑制も中途半端。経済政策も中途半端。片方で、一部の業種に対してだけ、一方的に自粛をさせ、さらには休業に追い込ませて、どんどん倒産していく。国民は路頭に迷い、さらには、伝染病の猛威で、自分たちだって命も危ない。しかも、オリンピックを強行したことで、国民は政府の要望を聞かなくなっている。何しろ今の法律では、国民の自由を制限する宣言はできませんからね。それなのに、国会も開かずに、自分たちの私利私欲だけに埋もれていく。どうせすぐに任期満了で解散か総辞職ということになるのだろうから、とりあえずそこまでの甘い汁だけは吸っておこうという腹何でしょうね。国民は皆分かっているんですよ。そんな姑息なことに関しては敏感ですからね。それだけ、国民をバカにした態度を取り続けた政府こそ、国民に殺されるべきなんでしょうね。医療崩壊で、国民がどれだけ政府の人災によって殺されたか。彼らの声を聴けと言いたいですよ、まったく」
と、途中からはインタビューであることを忘れて、かなりの怒りを表していた。
さすがに最後まではオンエアーされないようだったが、その声の一部は、ネットニュースに流れて、物議を醸していた。
意見は、賛否両論などではなく、賛同者がそのほとんどで、
「反対する人は、政府の組織票を担う人間ではないか?」
とまで、言われる始末だった。
そんな状態で、新たな総理は、積極的に動いた。
「前政権のように、何もせず、国民の怒りを受けて、後手後手の政策しか採ることができなかったというようなことの内容に、できることは先手必勝で行うのが、この私の責務だと思っている」
という頼もしい言葉を口にしていた。
だが、確かに、彼の行動力はかなりのものがあったが、旧態依然とした制度をぶち破るところまではいかず、政府全体、あるいは、国会議員を納得させられる政策を打ちだすには、国民にすべてを晒すわけにもいかず、とりあえず納得してもらえるだけの言葉を何とか繕って政策を実行していた。
今回のプロジェクトも、本当の目的はもう一つあり、そちらは国民にも、政府内、国会内でも、
「話をしてはいけない」
と言われる人物がいて、最後まで隠さなければいけないことがあるのだった。
そんな政府の要請を受けたF大学の薬学部でも、大いに研究が進められていた。
専門的なことは、ここでは割愛するが、これまで不治の病と言われていた病気だが、今までは、
「進行を抑える」
というところにしか効果がなかったものを、
「自力で治すのを助ける」
という意味での開発がなされていた。
要するに、
「人間の身体にあるものを使って治療に役立てる」
というやり方が、政府からの依頼がある前から、研究室では研究が行われていて、この大学としては、
「これでやっと晴れて、大っぴらな開発に乗り出すことができる」
ということになったのだ。
そんな国民にとって重要なことを、F大学で進めていた。
ただ、大学内部でも、いくつかの研究室に国家のプロジェクトの話をして一度任せている。そのうちにある程度まできて、臨床実験前くらいになって、どれが一番国家プロジェクトにふさわしいかということを選定し、やっと公表でくるところまでくるのだ。
漏れた方の研究はそこで終わりというわけではなく、平行して研究を行う。あくまでも、大学の範疇でということにおいてである。
F大学の研究も、そろそろ臨床試験も進んできたことで、大学側が内部審査を行い、その研究室を国家プロジェクトにするかということが決まったのだが、その研究室は、まだ表に公表されることはなかった。
好評のタイミングは大学側で図っていたのだが、とりあえずは、臨床試験である程度の結果が出たところで行うということで、トップシークレットになっていた。
そういう意味で、薬学部側のトップと、大学首脳くらいしか知らない情報であったが、そのことは、それほど大したことではないと思われていた。
国がプロジェクトを立ち上げるという報道は、三か月前に政府と、厚生労働省から発表があった。文部科学省もこのプロジェクトには参加していたが、中心となっているのは、厚生労働省であった。
他の大学もやり方としては似たり寄ったりのところが多く、ただ、進み具合は、大学の力に比例してか、まだ一つに絞り切れていないところもあるようだった。
「俺たちの大学って。例の国家プロジェクトに参加しているのかな?」
とウワサをしている大学生もいるくらいなので、政府が依頼している詳しい大学名までは公表されていない。
「国立大学と、有力な私立大学を合わせて、十校とちょっとくらいだと思ってくださればいいです」
と、質疑応答で答えていた。
ということは、質疑応答で質問が出なければ、大学の数も国民が知ることはなかったということだろう。
何しろ、記者会見では、
「プロジェクトを立ち上げたという報告と、大学に依頼して、その中からプロジェクトを審査していく」
ということだけくらいしか明らかになっていなかったからだ。
政府の方としても、あまり詳しいことは言いたくないのだろう。ここまで水面下でいろいろ進めてきたのもそのためで、
「政府の政策というのはそんなものだ」
というくらいのことであっただろう。
ただ、今までのポンコツ政府とは違って、先手先手を取っていることに対しては、国民も一定の評価と、期待をしていた。そのおかげで、国民からも野党からも、そこまで大きな反対もなく、無事に進んでいる。
野党の反対が少ないということは、国会の審議もスムーズに進んでいき、当初の予定にあった審議以外の議題まで、先行して行われるくらいになったのは、大きな進歩であろう。
しかし、実際には、これを進歩というのは、少し楽観的すぎるのではないだろうか、
「今までがひどかっただけで、本当によくなったと言えるかどうか、まだ分からない」
と言われている。
つまりは、後退していて、どん底近くになったところで、やっと踏みとどまって、最低ラインの崩壊寸前から、何とか一縷の望みをかけられるくらいにまで戻ってきたということであろう。
先人たちがダメにしてきた社会を復活させるには、まずは、
「明治政府に学ぶというのも一つの手ではないか?」
と言われてきた。
つまりは、
「殖産興業と、富国強兵」
の精神である。
さすがに、
「強兵」
だけは、憲法違反になるので、難しい面もあるが、自衛隊をどのような立ち位置にするか? あるいは、専守防衛だけで国家が守れるのか? ということであるが、この問題は、別の視点から見なければいけないのだ。何しろ、憲法問題が絡んでくるからである。
しかし、それ以外の、
「新たな産業を起こし興業を育成する」
ということ、さらには、
「その産業の力によって、国を富ませる」
ということが、まずは先決であった。
有事において、
「人命と、産業の板挟み」
となっていたことはぬぐいきれない問題だったが、
「元々、国が潤っていて、経済的に強い国であれば、人流抑制を一気に行って、短期で伝染病を抑制し、その後の産業復興を行えば、ここまで国が疲弊することもなかった」
という教訓がある。
つまりは、ロックダウンができるほどのたくわえが国にあって、人々もそれだけの暮らしができていれば、一時期の我慢を強いるだけで、国家が助けてくれるという構図ができあがる。
しかし、これまでの政府は、どっちつかずの政策で、結果、国民を見殺しにし、経済でも締め付けたせいで、自殺者も増えるという結果になった。
「俺たちはいずれ、国に殺される」
とまで、国民に信じ込ませるまでになった政府の責任は重大であろう。
最後の方では、
「誰が政府の要請なんか聞くものか」
と、過去に言われていたギャグにあったような。
「赤信号、皆で渡れば……」
というのと同じ発想である。
しかし、今は違って。ぐいぐい引っ張って行ってくれる指導者がいる。
「世の中って、人間と同じように、最後のギリギリのところまで来なければ、開き直れないものなのかも知れない」
というものではないか、
「だからこそ、今開き直りの人物が救世主として現れ、その人と心中してもいいとまで思えるくらいになってしまったのかも知れない」
と言われている。
「だけど、一歩間違えれば、誰が出てきても、もう国民は政治にまったく興味もなく、政府与党が好き勝手に、国を蝕んで、本当に、国家に殺されるという最悪の事態になっているかも知れないな。今はまだ分からないけど、日本の未来はどっちを見ているんでしょうね?」
と、いうテレビのコメンテイターもいたりした。
そんなテレビのコメンテイターも、最近では、お笑いの人ばかりで、まったくマスコミも腐敗し、マスゴミと言われるようになっていった。作者も最近では、マスコミと書かずに、わざとマスゴミと描いていたが、読者諸君には分かっていただろうか?
もう、メディアを信用できないような時代になってきている。
一般市民がユーチューブdとか、インスタグラムなどと言って、自由に発信できるようになってから、メディアの質は地に落ちてしまい、
「一体、世界はどこに向かっているというのだろうか?」
とまで言われている。
さすがに、
「アルマゲドン」
というところまで行っているとは思わないが、
「アルマゲドンのように、他の星からの影響によるものではなく、現在地球上に蔓延っていて、まだ見えていないものが影響し、地球の終焉に向かっているのではないだろうか?」
と言われている。
それが、地球環境の破壊であり、生態系の異常な変化。今回のウイルスだって、自然破壊によってもたらされた突然変異だとすれば、説明もつく。だから政府が今のうちから対策をしているのは、
「未知のウイルスがいつ出現してもおかしくない時代に突入している」
ということからのことであった。
「ウイルス問題は、そのまま、地球を取り巻く自然環境の崩壊が、引き起こしたことであるとすれば、本来なら、それは人間の犯した自業自得であるのだろうが、かといって、滅亡を黙って見ているわけにはいかない。何とかしなければいけないという状態になっているのに、国民は皆知らん顔だ。そういう意味での今回のウイルス騒ぎは、人類に対しての痛烈な挑戦なのではないだろうか?」
という専門家の先生も結構いるのだ。
「地球環境の破壊。それこそ、人類滅亡へのカウントダウンなのではないだろうか?」
とも言われていて、
「本当は、人間一人一人で考えなければいけないことなのに、あまりにも皆が無関心すぎると考えている人も少なくはない。今回の国家プロジェクトが国民の間に、大いなる一石を投じられるようになるのであれば、国家予算の使い道としては。最高なものなのではないだろうか?」
と言われるようになっていた。
問題は、医療崩壊なのである。
医療がひっ迫してくる原因としては、
「モノが伝染病なので、伝染病患者を受け入れるには、一般の個人病院のように小さいところでは、一般の患者に移してしまう」
という危険性から、受け入れ拒否をする病院が多いという問題。
さらに、今度は患者が増えてくると、医療従事者の数が足りなくなるという問題から、救急搬送が難しくなる。
つまるは、救急車を呼んでも、入院はおろか、救急車で、何時間も待たされる。結局受け入れできないということで、また自宅に戻されるということも起こってくる。
さらには、自宅で療養していて、そのまま亡くなる人も出てくると、完全に、
「救える命が救えなくなる」
ということになる。
そういう意味で、今までの不治の病で苦しんでいる人、長期入院している人に対して、何かの特効薬があれば、一階の手術や、手術を行わなくても、薬の投与で、病巣が消えていくなどという薬を開発できれば、入院患者もどんどん退院していき、医療のひっ迫を少しでも抑えることができるというものである。
もちろん、未知のウイルスがどれほどの猛威なのかは、
「捕らぬ狸の皮算用」
と言われるように、予測がつくわけではないが、それでも、少しでも従来の難病が解消されれば、そこから医療のひっ迫の可能性が少しでも和らぐということもあったりする。
実は、まだ公表されていないが、今の十くらいの大学に働きかけている中で、私立の病院と、国立の病院の一つずつに、
「特命」
が課せられている。
これは、今の体制をさらに画期的にできるという考え方であるが、それはあくまでも可能性として、どこまで確証があるか分からないということで、すべてをそちらに向けてしまうと、
「不可能だった」
ということになってしまうと、せっかくの先手先手は無になってしまう。
それでは本末転倒だということなのである。
それらの研究をF大学が、
「国立校の中の一つ」
ということで開発していた。
この大学は、主要都市の中では、それほど大都市ではないところで開発されていうのだが、ここにいる教授は、一度ノーベル賞候補にもなり、医学界では、レジェンドとしての地位も確立している名誉教授がいることで、
「選定された大学」
ということになったのだ。
この教授の研究はユニークで、元々、この研究の提言をしたのがこの教授なだけに、選定されたのも、当然といえば、当然のことである。
名前を湯浅教授といい、彼は他の教授と比べると、それほど上から目線というわけではないが、他の教授連中と変わりなく、一種の、
「変わり者」
であった。
意地を張るところは、まるで子供のようなところがあり、研究に関しては、まるでヲタクであるかのように、それ以外のことに関しては、まったくの無知であり、知らない人が見れば、
「老人のヲタクなんて、残念を通り越して、終わってるよな」
と言われるような人であった。
さすがに白衣を着ると、それなりに貫禄があるのだが、湯浅教授を知らない人が見れば、
「老人がコスプレなんて」
と言われるのがオチである。
そういう意味でも、学生から尊敬されている反面、
「湯浅教授のようにはなりたくないな」
という学生も多く、
「研究者としては尊敬できるが、それ以外の部分では、ちょっと……」
と言われるほどの人だった。
だが、
「研究者なんて、多かれ少なかれ、変人が多い」
という都市伝説のようなものを地で行っているような教授だと言ってもいいだろう。
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