4 教師たちの会話 ①

 風が強く吹いている日だった。激しく煽られながらようやく本校舎に辿り着いたシーナは、足早に講義棟四階に向かった。このときシーナは九歳で、ようやく中等部の生徒になっていた。


 なお、初等部に二歳早く入学していたため、初等部の在学期間を二年延長することとし、中等部に入る段階で他の生徒と年齢を合わせるよう、学校が調整したものだった。これは、他の生徒たちから「チビ」だとか「どうして二歳も年下が」などと罵倒されていたことを考慮し、学校側がシーナに提案し、拒否する理由もなかったシーナはすんなりと受け入れたというものだった。


 階段を四階まで登り切ったシーナは、ふと、五階から聞こえてきた声に心を奪われた。話を聞いていたところ、どうやら教師のようだと思われた。


 実習棟は五階建てだが、講義棟は六階建てだ。とは言っても、六階部分は基本的に講義準備室となっており、生徒が出入りすることはない。


 教師たちのうち、一方はこれから講義に、もう一方は講義を終えて六階の準備室に戻るところだったのだろう。偶然階段ですれ違い、シーナに盗み聞きされていることも知らず話し込んでいる、といったところか。


「それで、ユキア・オムロン先生だが、もう帰ってこないようだ。どこで何しているんだろうな」


 ユキア・オムロンといえば、シーナが二歳のとき、初等部一年生のときの担任だった。結局、最初の数回だけ見ただけで、それ以降、一度も見ることはなかった。無論、三歳以降になっても、彼女の姿を見たことはなかった。いつしか彼女の存在そのものを忘れていたシーナだったが、ここでその名を聞いて久しく思い出した。


「本当に。そもそも、あんなに学校にいない教師がいるなんて、冷静に考えておかしいよな。体調を崩したにせよ、何らか理由が知らされてもいいと思うし」

「噂によれば、体調不良ではなくて、学校から出るよう仕向けられたとか」

「本当か? 出来が悪い教師でもなかったのに、どうして学校側はユキアを追い出したりしたんだろうか。リリア総合指揮官が関与しているとか聞いたこともあるしな」


 シーナは随分と成長しており、彼らの会話の内容を十分に理解していた。彼らが話していることが事実だとすれば、ユキアに何らかの問題があったのか、学校側が彼女を追放したということになる。


 一方で、彼らが何らかの思い違いをしており、実際には学校から追放されたのではないとすれば、彼女自身がそれを望んだか、互いに同意の上で何らかの理由に基づき学校から出ることとしたか、どちらかが考えられよう。


 無論、シーナが結論を導き出すには、情報量が少なすぎた。


「……そうそう、ベル・シュタインバーズが教師になっただろ? 彼の実力を考えると、次の総合指揮官は彼になると思うのだが、お前はどう思う?」


 誰だよ、とシーナは心の中で呟いた。


「確かに。でも、モア・ブルーノ先生もかなりの実力者だろう。彼がなってもおかしくない」

「モアも魔法の扱いには長けている。だが、果たして彼が総合指揮官に向いているかどうか。……俺はそう思わないな、なぜなら、彼はあまりにも自由に行動しすぎだ。突然どこかに消えたかと思えば、誰かを拾ってくる、なんてこともあったようじゃないか」

「まあ、いずれにせよ、そのうちリリア・ボード総合指揮官も交代だろう。総合指揮官の座を狙った競争もこれから本格化するだろうな」

「俺たちには関係のないことだが」


 声が聞こえなくなった。一人が階段を降りてくるのがわかったので、シーナは急いで教室に向かった。




 授業が終わり寮に戻ったシーナは、リリアのいる二階の部屋に向かった。初等部の最初の頃はリリアに毎日連れられていたシーナだったが、初等部の後半、およそ六歳頃からは次第にリリアと行動することはなくなっていた。中等部になった今となっては、リリアの姿を見ることさえ少なくなっていた。


 予定もなく突然部屋に訪れたシーナのことを見て、彼女は驚いた表情を見せた。


「どうしたの? 急に」

「リリアはもうすぐ総合指揮官を辞めるの?」

「急な質問ね」とリリアは高らかに笑った。


 愛想笑いというものを覚えたシーナは、彼女に合わせて笑ったが、しばらく笑い合った二人は真剣な表情に戻り顔を見つめ合った。


「どうして知りたいの?」

「今日、講義棟に行ったときに、誰か知らないけど先生たちが話していたの。リリアがもうすぐ総合指揮官を代わるだろうって」

「なるほどね。まあ、そう思われてもおかしくないと思うわ」

「年齢は関係ないでしょ? リリアはまだ若いし。なら、どうして?」


 この頃、シーナはリリアのことを十分に信頼していた。いつからか覚えていないが、彼女と話すにつれて、次第に他人を信頼するということを覚えていった。


「確かに、年齢は全く関係ない。でも、総合指揮官を務めるためには、すべての教師たちの信頼を得ている必要があるの」

「つまり、リリアはあまり信頼されなくなった、ということ?」

「……ユキアのことを知っているでしょう?」

「あまり覚えていないけど……」


 窓際に座る二人の影は、夕暮れに照らされて冗長的じょうちょうてきに伸びていた。


 リリアは咳払いをして続けた。


「彼女が姿を消したのは、私のせいなの」

「リリアの?」

「そう。私が彼女を守ってあげることができなかったから」

「……つまり?」


 シーナはリリアの顔を覗き込んだが、笑って誤魔化された。


「……ごめん、やっぱり、子どもが知ることじゃないわ。あなたが何かに巻き込まれることがあってはならないし」

「私は子どもだけど、事実を知る権利もあるはず」


 リリアはそれでもなお笑って誤魔化すに努めた。シーナは何も教えてくれないリリアに膨れっ面を見せつけたが、彼女にそっと頭を撫でられ、とうとう諦めることにした。


「……わかった。じゃあ、私がもうちょっと大きくなったら教えてね」

「そうね、シーナが大きくなったらね」


 リリアと話を終えたシーナは自室へと戻った。


 窓の外の景色は非常に安閑あんかんとしている。遥か遠くの薄暗い夕暮れの上を、数羽の鳥が右に左に飛び交っていた。空の大半を侵食している暗闇は人々に就寝を促しているが、多くの家ではまだフィーレの炎が灯されており、この早い時間に眠ろうとする者など誰もいなかった。


 シーナはダランのローブを脱ぎ壁のハンガーに掛けると、ベッドに横になった。何かを食べたい気分もあるが、何を食べようかと迷うことすらもわずらわしく、迷ったところで寮の食堂のメニューは変わらない。


 寮の一階には食堂が完備されており、毎日決まったメニューが提供されている。日替わりメニューもあるが、ほとんど毎週同じメニューだった。


 一度四階の自室に入ってしまえば、一階まで降りる気はしなかった。シーナは鳴る腹を押さえて、そのまま眠りについた。

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