6 校外実習(一) ②

「僕たち全員、コート・ヴィーラジュは初めてなんです。だから、楽しみにしています。さっきここに着いたときは、もう真っ暗で何も見えなかったので、明日になったらいろいろな景色を楽しむことができるのだろうと期待しています」


 ジェイクがうまく話をらしたので、それ以降村長がシーナに言及してくることはなかった。


 客間で少しだけ話した後、村長の家から少しだけ離れた建物に案内された。どうも古そうな建物であちこちがいたんでおり窓にはヒビが入っているが、台所や風呂場などがあることから察するに、元々は普通の民家だったのだろう。


「ここに泊まってくれ。みんな一緒の建物で悪いが、二階建てになっているので、うまく分けて使ってくれたら」


 村長はそう言ってシーナたちを案内してから、自宅へと戻っていった。彼女たち四人は顔を見合わせた。


「私とルアが二階でいい?」

「もちろん。僕とグレアは一階で寝るよ」

「ありがとう。それじゃあ、また明日ね」


 シーナとルアは二階へと上っていった。階段が激しくきしんだ。


「古そうよね。玄関も修復されていたし」


 二階の部屋に着くや否やルアが声を出した。彼女の言うとおり、過去に玄関が大破したことがあるのか、扉の木板は他に比べて新しく、留め具なども修復されたもののように見えた。つまり、たとえば、過去に誰かが玄関をぶち破って開けたことがある、などと考えられる。


「なんだか古そうだし、綺麗じゃないし、ちょっと残念かも。ダランの寮の方がずっと綺麗だよ……」


 シーナはベッドに横になり声を出した。古そうなそのベッドは、やはり硬めだった。


「たった二泊だけだし、我慢するしかないよね……」とルアもため息をついた。

「この建物、元々は誰の家だったんだろうね。結構……貧乏だったんだろうな……」


 シーナの呟きに、ルアは何も答えなかった。




 その夜、ベッドで寝ていたシーナだったが、何らかの物音で目が覚めた。そういえば、寝るときに一緒にベッドに横になったはずのルアの姿は、どこにも見当たらない。


 彼女は腕を伸ばして枕元のキャビネットに置いていた懐中時計を手に取った。開いて見てみると、真夜中の時間帯だった。こんな時間にルアはどこに行ったのだろうか。


 シーナは眠い目を擦りながら、ベッドから起き上がり、階段をゆっくりと下っていった。彼女の足音がこの家の中を虚しく響き渡る。


「ジェイク? グレア? いる?」


 シーナはゆっくりと一階の寝室に足を踏み入れた。真っ暗で何も見えないし、何の音も聞こえない。


「ちょっと一緒に来てほしいんだけど」


 彼女はさらにベッドに近付いた。全く返事がないのは、二人とも寝ているからだろうか。


「夜遅くにごめんね。でも、ルアがいなくて」


 シーナがそう言いながらベッドのそばでフィーレの炎を出したところ、ようやく事態を把握した。そう、ジェイクとグレアの姿もなかったのだ。


 二人が寝たところを彼女は知らない。したがって、本当は別の場所で寝ているということも考えられうるが、さすがにそれはないだろうと踏んだシーナは、すぐに家中を調べ尽くした。


 荷物はすべて残っている。よって、この家から消えたのは、三人の身体だけということだ。強盗が入ったなどというわけではなさそうで、それは安心したが、一刻も早く三人の行方を知りたかったシーナはこの家から飛び出した。


 夜の冷気が彼女の頬を撫でる。頭上には満天の星空が広がっていた。静かなコート・ヴィラージュの端で、古く朽ちたような家の前に、シーナは寂しくたたずんでいた。


「どこに……」


 シーナは周囲を見渡したが、すでに真夜中のためどの家も暗い。誰かが起きているという気配はない。


 だが、最初に物音がしたのは確かだ。具体的にどのような物音かは覚えていないが、何か足音のようだったことだけは覚えている。


 彼女は家の周りを一周歩いてみた。特に変わったところはない。


 しばらく家の周りを歩き回っていたが、やはり何の変化も現れない。その後も引き続き歩き回っていると、村から少しだけ内陸部に離れたところで畑を見つけた。広大な畑が目前に広がるというものではなく、小さな畑が二、三だけそこに横たわっていた。何だか懐かしく、それでいて彼女の興味を惹きつけるようで、シーナは畑を見回しながら一周した。無論、畑に異変が起こるわけではないが、誰かの叫び声が聞こえるように感じた。この目の前のわずかに荒れた畑は、管理者がそれほど綺麗に手入れしていないことを物語っていた。


 シーナは畑から離れ、村に戻ってきた。やはりルアたちの姿は全く見当たらない。彼女は、次に、畑のあった方向とは逆、海側へと歩いた。海が近付くにつれ、次第に波の音がはっきりと聞こえるようになった。


 コート・ヴィーラジュの端、ちょうど海岸に向かって崖になっているところでシーナは立ち止まった。崖の真下から波の音が湧き上がってきて、しきりに彼女の耳を刺激する。


 星々の光が反射する海面は静かに波打って、より一層のきらめきをかもし出している。立ち上がる潮の匂いがシーナの鼻の奥を優しく撫で、そのまま体内に入れば身体全身で海を感じた。


 彼女は大きく深呼吸をした。直前まで焦っていた彼女の脳に、わずかな冷静さが生まれた。


「さて、どこに行ったんだろう……」


 改めて彼女は首をひねった。こんな真夜中に家からいなくなったということは、誰かに連れ出されたという可能性も高い。とすると、犯人は彼女たちがあの家にいることを知っている人物と考えるのが妥当だ。現時点において、彼女がそれを知っていると確信できるのは村長だけだ。一方で、その事務処理をしている人間が裏にいるとすれば、その誰かも犯人になりうる。


 さらに、どうしてシーナ以外の三人だけが連れ去られたのか、という点も不思議でならない。本来であれば、四人全員をターゲットにする方が良い。もし残った一人が偶然にも目を覚ましていたら、犯人が捕まる確率が飛躍的に向上するからだ。そう考えれば、あえてシーナを連れ去らなかったのは、何らかの意図があるに違いない。


 シーナは、そんなことを考えながら、海岸を歩き回っていた。


 ふと気が付くと、何やら崖下から誰かの叫び声が聞こええてくるではないか。赤ん坊の鳴き声のようだ。何らかの言葉を発しているわけではなく、単に泣いているだけだ。


「誰? 大丈夫?」


 シーナは崖の下を覗き込んだ。ごつごつとした岩肌が邪魔なのか、どこにもその姿は見えない。


「今行くから。ちょっと待っててね」


 シーナはゆっくりと崖を下りようとした。岩肌の少し出っぱった部分に足をかけたところ、一部が崩れ落ち海面に打ち付けられた。彼女は思わず身震いした。


「すぐ行くから。ちょっとだけ、待っていてね。すぐ行くから……」


 彼女は改めて岩肌の別の部分に足をかけ直し、ようやく少しだけ進むことができた。


 しかし、やはりこのような岩肌が頑丈なはずがない。さらに下ろうともう片方の足を別の部分に伸ばしたところ、また一部が崩れ落ちていった。咄嗟に彼女は足を地上に戻したが、他方の足をかけていた出っぱりが突然音を立てて崩れ落ちた。


 非情にも崩れ落ちた岩と一緒になって、シーナも崖から落ちることとなった。見る見るうちに遠ざかる地上。背中から迫ってくる、崖に打ち付ける波の音。そして、どこからともなく耳をいたずらに刺激する赤ん坊の鳴き声。


 身体が海面に打ち付けられ、すべてが無になった。瞬間的にシーナは見たくない顔を見たような気がしたが、その直後、波にまれた。

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