3 新しい生活 ②

 リリアに連れられて来た先は、実習棟の教室の一つだった。階段状に並んだ座席にはたくさんの生徒たちが、教壇きょうだんには教師がいる。ちょうど、基礎共通魔法の実習中だった。


「あれがレイチェル・カールトン先生よ。とっても優しい先生だから、心配しないで」


 リリアが教室に足を踏み入れると、レイチェルは彼女たちに気が付いた。他の生徒たちも二人のことを一斉に見た。


「噂の。今日からなのね」

「そう。早く授業に参加させたくて」

「いいわ。ほら、おいで」


 レイチェルがシーナに手を差し伸べたが、シーナは特に彼女に近付くことなく生徒たちを見回した。全員が彼女の方を向いていた。


「あいつ、俺たちより年下らしいぜ。生意気だよな」

「そのくせに、総合指揮官と一緒に来て、本当にふざけているわ」

「僕たちと同じように、ちゃんと四歳になったら来いよな。出直してこいよな」

「この頭の悪そうな人たちは?」


 生徒たちの声がヒソヒソと聞こえる中、シーナがようやく口を開いたかと思えばそんなことを言うので、レイチェルは手を引っ込めた。


「これからの、あなたの友達たちよ。たくさんいて嬉しいでしょう?」


 だが、レイチェルの答えを聞いた直後、シーナは手を教卓に着け、生徒たちに向かって投げ飛ばした。シーナ自身に自覚はなかったが、コントロール系魔術のフォトンを使ったのだった。


「危ない!」


 すぐにリリアが飛び出した教卓を空間で切り取ったので怪我人は出なかったが、冷ややかな視線がシーナに向けられることとなった。一方のシーナは、全く動じる様子もなく、生徒たちを漫然まんぜんと見つめ返していた。


 後ろから突然手を引かれた。レイチェルだ。


「何してるの!?」

「…………」


 シーナは黙ったまま、目を見開いて怒鳴るレイチェルの目を睨み返すだけだった。他の生徒たちにむかついた、などと言える状況ではないと判断したのだ。


「きっといい子になるから……」


 リリアも戸惑いを隠せない様子だったが、なんとかして言葉を振り絞った形だった。彼女のその言葉に、レイチェルは無言で頷いて、小さく了承するのみだった。内心、こんな問題児の面倒を見ることは御免ごめんだろう。


 しばらく生徒たちの面前で怒鳴られた後、シーナは一番前の中央の席に座らされた。教壇に立つレイチェルから一番近く、何かがあってもすぐに対処できるからということだった。言い換えれば、一番信用されていないからこその席だった。


 他の生徒たちに混じり基礎共通魔法の実習を行なったが、あまりにも魔法の扱いに長けている上に誰とも仲良くしようとせず、さらに、最初の一発もあったために、シーナは実習の授業が終わるまで完全に一人きりだった。また、授業が終了したタイミングでリリアが教室に迎えに来るため、再び冷たい目線が彼女に向けられることとなった。そのようなことがあるのに、まるで何にも気を留めない彼女に対し、生徒たちはヒソヒソと陰口を叩いていたのだった。


 もっとも、シーナ自身は望んでその場に来たわけでもないのに、生徒たちは自分のことを毛嫌いしていることに、彼女は嫌気いやけが差した。


 そのような調子で、誰かと仲良くなるわけでもなく、毎日リリアの送迎付きのシーナは一人きりで毎日を暮らしていた。無論、休日となると、やはり一人で寮の一室でゆっくりと寝たり外を眺めたり、時には近くに散歩に出かけたりするだけだった。要すれば、退屈な毎日だった。




 しばらく月日が流れ、少しずつ気温が下がっていった。基本的に温暖なエニンスル半島においても、やはり相対的に気温の下がる時期がある。ちょうどその頃だった。


 年度の途中、すなわち、編入でダラン総合魔法学校に入学したシーナは、このときも他の生徒たちと馴染むことはできていなかった。常に一人、あるいは総合指揮官のリリアと共に行動し、「総合指揮官の隠し子」だとか「両親が学校に大金を支払って、総合指揮官による護衛がなされている」だとか、全く真実とは異なる噂が学校中に広まっていた。


 さらに悪いことに、少し以前から、廊下を歩いていると生徒たちから石を投げられたり、すれ違いざまに肩をぶつけられたりと、一種のいじめとも言えるようなことが多々起こっていた。しかし、それを誰かに相談するわけでもなく、また、何らかの形でやり返すわけでもなく、シーナは一人ですべてを受け止めようとしていた。


 ただし、シーナであろうとも、やはり彼女は単なる二歳の一生徒であって、それ以上でもそれ以下でもない。心が傷付くことも、体が傷付くこともあり、心身ともに消耗しつつあった。一方で、子どもであるのに異常なほどに寡黙かもくなシーナは、事実をリリアに打ち明けようともせず、むしろ、尋ねられても嘘を言ってその場をやり過ごしていただけだった。


 そんなある日、実習の授業で、ダラン総合魔法学校の伝統行事「スプラティーラ」についての話があった。


「みなさんは初めてですが、一週間後、ダランの伝統行事のスプラティーラが競技場で行われます。今回、みなさんは見ているだけですが、いつか高等部になった頃には、そこで魔法を使った演技を行うのです。とっても楽しい行事ですから、みなさんで一緒に盛り上がりましょう」


 レイチェルはそんなことを言っていたが、一週間後の当日は空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきたため、ほとんど盛り上がる様子はなく、むしろ残念がっている人の方が多い印象だった。


「今日は残念ながら雨が降っていますが、スプラティーラは本当に楽しい行事です。気を取り直して、みなさんで精一杯盛り上がりましょう!」


 レイチェルが言ったことに真面目に反応するような生徒がいるはずもなく、皆それぞれに友達同士で話していた。


 シーナは違った。彼女には話をする友達もいないし、友達以外の話す相手もいない。


 両隣と間隔を開けて一人で座っているシーナの横に、レイチェルがやってきた。


「シーナ、一緒に楽しみましょうね」

「……リリアは?」

「……今日はほとんどこっちに来ない。だから、私がいるのよ」


 レイチェルはシーナに笑顔を見せたが、シーナはそれに応えることもなく、ぼんやりとした視線を競技場の中心部分に運んだ。

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