3 新しい生活 ①

 太陽が高く昇っていたある日のことだった。ダラン総合魔法学校のそばに建っている寮のそれぞれの部屋に、暖かなそよ風が吹き込んでいた。


 シーナはその寮の小さな一室で、ただ一人、窓から外の景色を眺めながら黙って座っていた。


「シーナ、起きていたのね」


 突然扉を開けて入ってきたのは、ダラン総合魔法学校の総合指揮官であるリリア・ボードだった。


「あなたは?」

「そうね、特に自己紹介をしていなかったわ。私はリリア・ボード。この学校の総合指揮官よ」

「学校? 何それ?」


 シーナが生まれたコート・ヴィラージュには、マージが通う魔法学校も、主にオームが通う一般学校もない。そもそも、貧しい家庭で生まれ全く面倒も見てもらえなかったシーナは、「学校」が何かを理解していなかった。


「ここ、ダラン総合魔法学校では、魔法を使える人が通っているの。そして、魔法の使い方やこの世界のことを勉強するのよ」

「魔法……?」

「そう。あなたがこれまで半ば無意識に使っていた、特別な力のことよ」


 リリアは空間を切り取り、入り口付近からシーナの目の前に瞬間的に移動した。シーナは突然目の前に移動してきたリリアに対し、目を丸くしていた。


「こんな感じに使うことができるの」


 リリアは話しながらベッドに腰を下ろした。


「私は、どうしてこんなところに? どうしてここに連れてこられたの?」

「それを今説明するのは難しいわ。ただ、簡単に言うなら、あなたの力を、あの小さな村の中で死なせるわけにはいかなかった」

「私の……力? 魔法の?」

「そう。それも、とっても強くて、他の誰も真似できないような。……あなたの才能よ」

「私の……才能……」


 シーナはリリアの顔から視線を落とし、足の先を見つめていた。


 リリアはゆっくりと立ち上がると、部屋の扉を開けた。


「私はここの二階にいるから。気分が良くなれば降りてきて」


 そう言い残すと、彼女は振り返ることなく部屋を立ち去っていった。シーナはすぐに立ち上がろうという気持ちにはならず、やはりしばらくはぼんやりと外の景色を眺めているだけだった。


 空には雲がほとんどなく、少し向こう側には大きな校舎とその前に美しい噴水が見えた。校舎を挟んで噴水の反対側には、こちらも大きな建物がある。今は閉まっているようだが、野菜の入った箱をその建物の中に入れようと運んでいる人たちの姿が見えた。


「私の力……。私の才能……」


 シーナは弱々しい声で呟いた。


「どうして私はここにいるんだろう……。私の家は……。私のお母さんとお父さんは……」


 シーナは天井を眺め、壁を見回し、足元に視線を戻した。まだ二歳の彼女が両親の顔を全く思い出せないのは、幼すぎたからか、他の理由によるものか。




 しばらくして、リリアに言われたとおりシーナが二階に降りていったところ、リリアは彼女が来るのを部屋の前で待っていた。


「遅かったわね。何かあった?」

「いや、なんでも、ない……」

「じゃあ、早速だけど、学校に行こう。あなたは今日からダランの生徒よ」

「え?」


 確認する時間など与えられず、リリアに連れられるまま、シーナはダラン総合魔法学校の荘厳そうごんな校舎へと入っていった。


 巨大なシャンデリアが吊り下げられた天井には絵画が描かれ、あちこちに彫刻が施されており、たった二歳のシーナも目を丸くしていた。


「綺麗……」

「そう。ここの学校はエニンスル半島で一番美しい学校なのよ」


 リリアが鼻を高くして答えながら、シーナの手を引いて校舎の奥へと進んでいった。すれ違う他の生徒たちが、皆物珍しそうに二人の様子を眺めていた。


 二人は本校舎三階にある総合指揮官室に入った。廊下と同じようにシャンデリアが天井から下がっており、壁際には本棚や、美しい花が添えられた花瓶かびん、食器類、何らかのバッジなど、さまざまなものが置かれていた。


 部屋の奥にあるソファまで進むと、リリアはシーナに座るよう促した。


「何が飲みたい? ジュース?」

「美味しいやつ」


 シーナの答えにリリアは微笑み、壁際の食器を手に取ると別室に向かった。


 一人部屋に残されたシーナは、ソファから立ち上がると、部屋の中を歩き回った。小さな海辺の村の貧しい家で生まれた彼女にとって、総合指揮官室はあまりにもきらびやかだった。それまでになく彼女の心を躍らせた。


 シーナは並んでいたいくつかのバッジから、一つを手に取ってみた。他のバッジには、「ダラン総合魔法学校」や「カクリス魔法学校」や「ホール一般学校」などと、学校名が書かれていたが、その一つだけは「現代魔法研究所」と書かれていた。文字の意味は理解していなかったが、それだけ全く文字の種類が異なることに、シーナは漠然とした違和を感じていた。


 急に扉が開く音がして、シーナは固まってしまった。


「あら、何しているの?」

「な、何も……」


 シーナは現代魔法研究所のバッジをローブの内ポケットに入れると、何もなかったかのようにソファに戻った。その前にオレンジジュースが置かれた。


「本当は、学校は四歳からなの。でもあなたはまだ二歳。どういう意味かわかる?」


 リリアは話しながらソファに腰を下ろしたが、シーナが答える素振りを見せないのでリリアは続けた。


「今朝言ったとおり、あなたが特別だから。ちょっと馴染めないところもあるかもしれないけど、がんばろうね」


 リリアの言葉は話半分に、シーナはぼうっと外の景色を眺めていた。


「リリア、私のお母さんとお父さんって、どんな人?」

「……あなたの両親は、遠くの村で元気に暮らしているわ」


 全く答えになっていないことを言われ、シーナは案の定戸惑った。だが、それ以上問い詰めることなく、シーナはオレンジジュースを飲み始めた。


「そのジュースを飲み終わったら、授業に行ってみよう」


 シーナは頷くことなく、ジュースを飲み続けた。

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