【中】

 『で?そんなことで一々報告を?貴様は全くの無能だな』

上司は僕の訴えを蹴り落とす。

「はい、僕は無能なので……どなたか有能な方を……!」

『あのハイエルフはもうすぐ死ぬ。貴様は死んだことを確認して報告すればいい、そう言ったはずだが』

「でも、その……まだ生きていますから……」

『すぐに死ぬ動物に一々構っているほどこちらは暇ではないのだ。……そうだ!もしかすれば死ぬ前にあのハイエルフは感傷にふけって泣くかもしれない。泣いたら【ティアーズジュエル】を回収しろ、必ずだ』

「……そんな……」

『命令だ』

通信は一方的に切られた。

僕は……胸が苦しくなって、置いた手を握りしめる。

「……僕に力があれば……!」


 「力があれば、何だと言うのだ?」

背後からの声!僕はバレないように機械結界を張ったのが不味かったことを悟る。そうだ、この人口森は彼の領域だ。異物があればすぐに探知されてしまう。

「貴様、この薬物をどうして持っている?」

テントの中を見たらしい。

僕は黙っていた。

「これの効能を知らないなら説明してやろうか。これは強力な魔力抑制剤だ。魔法を扱えないはずの人間が持っている必要も、ましてや飲む必要もない。――貴様は魔族の末裔だな?」

世界を人の手で支配しようとする人間と最も激しく敵対し、ハイエルフ、ドワーフ、人魚のどの種族よりも先に根絶やしにされた。絶大な力を持っていたが、成長が遅く、生殖能力が極端に低かったことが災いしたのだ。圧倒的な数の力を持つ人間は、【勇者】を何百人、何千人と派遣して魔族の幼体を狙い撃ちにし、人質にし、着実に魔族を潰していった。

 人間に擬態して生き残ったわずかな魔族も、僕の曾祖母の時に純血はいなくなった。祖母までは魔力抑制剤を飲まなければ魔法が使えたが、もう僕は何もできない。【勇者】が怖くて、一応、飲んでいるだけだ。

【勇者】……人間じゃない者を狩る、死刑執行人。

「だったら、何だって言うんですか……。僕に流れる魔族の血は薄い。もう翼を生やして飛ぶことも、魔法を操ることもできない。外見だって人間と何も変わらないんです。だから、」

人間に支配され、動物のように管理され、滅ぶのを待つしかない。

「俺の家に来い、アーガ」

ミスター・ニオは小さな声で言った。

「話がしたい」


 「家族はいるのか?」

「兄がいました。僕とは違って秀才だったけれど、いつも笑顔で僕にも優しい兄でした。でも、魔法で人助けをした時に【勇者】に見つかってしまって」

「よくお前は狩られなかったな」

「焼身自殺してくれたんです、兄は。何も分からないように、【勇者】に抱きついて一切合切を灰に……」

「だったら魔力抑制剤はもう飲むな。あれは魔族にとっての毒だからな」

ミスター・ニオはそう言って魔力抑制剤をダストボックスに捨ててしまった。

「あ……」

「どの道、お前は飲まなくとも露呈はしないさ。魔法が使えなければいいからな」

少しほっとした、と言うのが正直な思いだった。魔力抑制剤は飲むと少し躁状態になってしまうのだ。

「……ありがとうございます、ミスター・ニオ」

「ギールでいい。アーガ、俺達は同じ身の上だからな」

この人は寂しかったんだ。僕はその孤独の悲しみが分かってしまった。兄が死んでから、僕もずっとそうだったから。寂しいんだ。ひとりぼっちなんだ。壁の向こうには大地を埋めつくすほど多くの人間がいるのに、この心臓の苦しみはちっとも薄れない。

「あの、あの、」僕は言った。「くっついても良いですか?」

「いい」

僕はギールと背中を合わせる。静かなぬくもりを感じた瞬間に、心臓の苦しみがふっと消えていくのが分かる。

僕たちはそのまま目を閉じて、しばらくじっとしていた。

もしかしたら、眠っていたのかもしれない。

目を開けた時、ギールが口を開いたのが分かった。

「果実酒はあるか?」

「あります、全部飲みましょう」


 それから僕とギールは一緒に過ごした。死んだ兄が戻ってきたようだった。ギールにそう言うと、お前は俺の妹のようだとわらって返された。

一緒に寝て、起きて、食べて、話して、酒とハーブティーを飲んで。

人工の星空を見て、星の数を数えて、夜明け前の暗闇を寄り添って過ごす。

間もなく滅びる僕たちは、今こうやって生きているのだ。


 「【魔王】の話をしてやろう」

ある日ギールは酔っ払った挙げ句にそう言い出した。彼が今夜空けたボトルは四本目である。

「何だよ、それ?」

「魔族の中に先祖返りをするヤツがいるんだ」

「先祖返り?バク転?」僕だって二本空けているのだからもうベロベロに酔っている。

「バカ。ハイエルフの先祖は精霊だったらしい。魔族の先祖は魔神だったらしい。ドワーフは大地の女神、人魚は海の神。何と人間の先祖はサルだったらしい」

「うひゃはははは、神話でもそんな話はしんわー!」

「バーカー。でな、たまに魔族は先祖返りを起こすんだ。それこそ魔神に匹敵する力を持つ魔族が出てくるらしい。それを魔王と呼ぶんだ」

「魔神ってどんな力を持っているの?」

「えーと。ありとあらゆる因果法則と運命を変える、だったかな……」

「まじっすかー」

「お前くだらないギャグを止めろ」

「酔ってまーす!ギャグに逆ギレ!」

「何だと!」

とギールと僕は殴り合うはずがお互い酩酊していたので、もつれあってベッドに転がり込んでそのまま寝てしまうのだった。


 「俺、死にたくないよ」

「もっとアーガと一緒に生きたい」

「妹や同族に会いたい」

「……さみしいよ」

嗚咽をこらえるギールの震えで目が覚めた。

声が出なかった。涙が出た。苦しくてどうしようもなく苦しくて、その苦しみが指先の痛みのように分かるから泣けて仕方なかった。

彼の涙を宝石扱いするなんて、この苦しみへの侮辱でしかないと分かっているのに、涙から宝石に変わり、朝の光に照らされてきらきらと落ちていく有様はまるで美しい雨のようだった。

汚れた雨しか降らない今の世界の中で、嘘偽りのない真実を見たようだった。残酷で、美しくて、汚れることができずに滅び絶える。

「ギール……」

びくりとギールの体が震えた。

「最後まで一緒にいるよ」

だから、

「僕の前で泣くのを我慢しないで」

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