第5話 先輩の、胸元

 柚子先輩は、可愛い。

 具体的に言うと自分から俺の膝の上に座ってきて読書を始めたのにその真っ赤な顔を隠すように本を顔にめっちゃ近づけているせいで一ページも進んでいないっていう矛盾をはらんだ正統派な可愛さを全力でぶつけてきているから可愛い。


 チョコンと俺の膝に横向きで座り、ピンと伸びていた背筋もすぐに丸くなっていく姿なんて永久保存したいぐらいの可愛さだった。


 俺、前世でどんな徳を積んだんだろ?


「あ、あんまり見ないでよ……?」


 いや、地獄か?

 そう、可愛さ地獄だ。

 そんな地獄ならむしろウェルカムだ。


 横向きの柚子先輩。

 俺のすぐ下にある横顔。

 チラッと本から視線を外して横目で俺を見上げながらそんな事言われちゃったら、地獄行きも納得だ。


 この可愛さをひとり占めは罪である。

 絶対に誰にも渡さず地獄に落ちてやる。


「きょ、今日は暑いよね……?」


 ジッと見すぎてしまったからか、唐突な話題変更をする柚子先輩。

 読んでるようで読んでなかった本が、パタンと完全に閉じられた。


 今は六月、初夏である。

 梅雨は一足先に夏休みになったらしく雨は降らず、毎日が蒸し暑い。

 衣替えでカーディガンという文化は滅び去り、今はワイシャツに青いリボンタイという爽やか夏スタイル。もちろん、女子制服の話だ。


 そんな暑い日に、こうして風通しもあまりよくない文芸部の部室で、柚子先輩が俺の膝の上に乗っている。

 暑いのは当然だった。


 柚子先輩の赤く染まった白い頬を汗が伝う。

 俺が言うまでもなく暑そうだが、こう密着している状態だと先輩を扇ぐ事もできない。なんて俺は無力な存在なんだ。


 ……ふーふー、するか?

 ……いや、流石に気持ち悪すぎるな。



「うぅ……あつい」


 さて、そんな時だ。


 ――シュルッ。


「……え?」


 衣擦れの音に、椅子に徹していた俺も思わず声を漏らしてしまった。

 俺の膝の上で暑さに耐えられなくなった柚子先輩が、胸のリボンを外したのだ。


 ――プチっ。


 極限まで研ぎ澄まされた俺の五感は、ワイシャツのボタンを外す音を正確に聞き取る事に成功した。


「……ふぅー」


 ――ぱたぱた、ぱたぱた。


 この世にこんな素晴らしい擬音があって良いんだろうか。


 ワイシャツの上ボタンを外した柚子先輩。

 緩んだ首元を掴んで、ぱたぱたと風を送っている。


 柚子先輩は、俺の膝の上だ。

 そして、柚子先輩は、小さくて、可愛い。

 当然、視線は下に行く。上から俺は、柚子先輩を見ている。

 柚子先輩が、ワイシャツを揺らす度に。


 その内側の白い肌が! 薄水色の下着がっ! 見えているっ!!


「せ、せせせせ先輩っ!?」

「うぇっ!? え、な、なに……?」

「そ、そそそその……見え、ちゃってます……」


 言っちゃった。

 けどまだぱたぱたしている。

 

「……見え?」


 気づいてないの可愛い。

 首を傾げるの可愛い。

 けど、そうじゃない。


「……ワイシャツの内側、俺からだと、その……」

「…………」


 ぱたぱたしていた柚子先輩の手が止まる。


「……………………っぁ!?」


 声にならない悲鳴だった。

 バッと胸元を押さえ、背中を丸める。

 俺の膝の上での、一瞬の出来事だった。


「…………み、みみみみミッ!」


 柚子先輩がバグる。


「み、見た……?」

「……すみません」

「うぁっ……」


 赤かった顔が更に赤くなる柚子先輩。

 それは完全に真っ赤で。

 小刻みに震え、涙目で俺を見上げて。


「え、えっち……」


 可愛さ地獄に裁かれた。

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