16.私のテキトーな創作論⑩~起承転結の序・破・急~


 創作するときに、人それぞれ『ルーティーン』的なものってあります?


 いつだったか何かのテレビ番組で見たのですが、歌手の倉木麻衣さんは、歌詞を考えるときに、水族館へ行って創作すると仰っていました。繊細な歌詞はそういうルーティンの中で生み出されるわけですね。私も水族館創作してみたいです。




 今日は、物語の起承転結について。


 よく聞きますよね。起承転結。長編小説なら、まさにそれ。



 起:物語のプロローグ。最初が肝心。ここで読者の指が止まるか、次のページをめくるかが決まる。

 承:物語の読者説明会。だらだらと説明をするというわけでない。何か小さい事件を起こして、こういう場面だったら主人公はこういう行動をするんだと、自然に読者へ植え付ける。

 転:物語の転換期。読者もびっくりハラハラするような大事件が起こり、物語の核心に迫る。ここで物語の良しあしが決まると言って過言ではない。

 結:物語の答え合わせ。作者の言いたいことやテーマの最終的な提示。「君たちはどう生きるか」的な問いに対して、「私ならこう生きる」と答えを提示してもいいし、「そんなの知らない。勝手に考えなさい」と投げっぱなしでもいい。ただし、物語の構成次第。



 こんな感じでややテキトーですが、世に出ている小説は構成されているはずです。これが物語の基本的な流れとなります。


 これに対して、短編小説はどうやら違うようで、序破急が重要らしいのです。この言葉、インパクトがあって、なんだかずっと全力投球のような気がします。

 序は起承転結の起承みたいな感じでしょうかね。物語を叩き起こして起床みたいな。朝からつまらないこと言って、すみません。

 破でもうクライマックス。急でクライマックスに対する「え? え?」とどんでん返し。

 短編小説は読者に考える間を与えないのです。目まぐるしい勢いで攻めるのです。


 あれ? じゃあこれって、長編小説は途中、ダレていてもいいの? と思いたくなりますが、こっちはこっちで読者を飽きさせない工夫が必要です。つなぎの話が重要なのです。卵とパン粉はいいものを選ばなきゃいけないのです。常にコクがあって、ワクワクさせる。おいしいな、このハンバーグ。



 いやいや。

 そんなこと出来たら苦労しないですよ、難しすぎます。だってこっちはマラソンしているんですよ。炎天下の中、ひぃひぃ言いながら書いているのに。卵だって最近、高いしさ。



 疲れた時はどーするの??

 給水地点はどこですか??

 卵はどこに売っているんですか?




 そう。そこでルーティン。




 私は物語の細部に面白さを添えたい時は、散歩をよくします。

 春夏秋冬。日本の四季の風を五感すべて、身体すべてで感じるのです。

 四季折々の色とりどりの花の彩り。名も姿もわからないけれど可愛らしい野鳥の鳴き声。路地裏を曲がった先から漂う美味しそうなパンの香り。寄り道して見つけた隠れ家カフェで味わうモンブラン。ちょっとした空気の違いを肌で感じるのです。そうすれば、卵が売っているスーパーだって、見つかるはずなのです(卵ネタしつこい? 北海道は今、ホントに売っていなくて……)


 そうすると、アイデアが脳内でうまい具合に混ざり合って、ホカホカと美味しく焼きあがるのです。

 脳の中でバラバラだったプロットが、するするとパズルを解くように一本の糸につながるのです。


 散歩、おすすめですよ。創作している方は、通勤や通学時間の地下鉄やバスを、駅2本ぶんくらい徒歩にしてみてはいかがでしょう?





 でもまぁ、物語を書くって、大変ですよね。

 大変なのですよ。

 こんな大したなさそうな今日の記事も2,000文字くらいありますが、朝4時に起きて倉木麻衣さんの音楽を聴きながらせっせと書いています。

 でもその大変さを更にもう一歩乗り越えていかないと、昨日の私は今日の私に勝てません。




 短編小説の公募にひたすら挑戦していた時は、早朝3時に起きて改稿なんてしていました。そこでようやくスタート地点なのです。自分の中では。

「そこまでしないと、あなたが賞を取るなんて、無理無理」

 そんな最低限のスタートラインを足元に引っ張って、私は日々、文字を連ねるのです。



「……いいか! 早朝3時に無理やり頭と身体を叩き起こして、煩悩を取り払うお寺の鐘を聞きながら執筆していた自分を思い出せ! あの辛い日々を思い出せ! それくらい書かなきゃ、お前は『もう一歩』すら取れない人間なんだぞ!」



 こうやって、己を鼓舞するわけです。

 心を燃やせ。




 短編・長編、Web小説を書き続けてきて、もうすぐ3年くらいが経ちます。



 ここでふと気が付いたのは、物語に厚みがあるかどうか(面白いかどうか)は、「梗概こうがい(あらすじ)をきちんと書けるかどうか?」に集約されるような気がしています。


 要は「何を伝えたいか、人物模様含めて、詳細に描写できますか?」ってことです。


 私が短編小説の公募で「もう一歩」にすら届かなかった物語を見返してみると、やっぱりそこが著しく欠如していると思いました(「もう一歩」の作品もそうですけど)。

 あらすじを書こうとしたら、「う……、あれ?」と指が止まるんです。



 つまり物語の起承転結や序破急がきちんとしているか?



 物語の基本は、そこに集約されるわけなのです。


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