第40話 この手を離さない 2

 カロリーナを医師のもとに連れて行ったらすぐに引き返すつもりだった。だが、カロリーナの世話係の娘が「一人にされたくない」と不安がるうえに、医師もルイがいたほうがいいと言うので、結局容体が落ち着く明け方まで医師のもとにいることになった。

「ここではどうしようもない」と言われたカロリーナだが、幸いなことに容体は時間がたつほどに落ち着いて一命を取り留めた。

 ルイが知っているフェルトンの試験薬の犠牲者とは、症状が似ているようで少し異なる……。


「毒……ではないと思うよ」


 容体が落ち着いてきたところで、診察に当たってくれた医師が教えてくれた。


「こういう症状の患者をたまに診る。その人にとって食べられないものを食べたり、触ってはいけないものを触ったりすると起こるんだ。ここまでひどい人は初めて診たが」

「その人にとって?」

「体質というのかな、たまにあるんだよ。ほかの人にとってはなんでもない食べ物が、その人にだけは……毒ではないんだが、毒のように作用をすることが」


 医師の説明にふと、晩餐の時のカロリーナを思い出す。木の実が食べられないと言ってはいなかったか?

 いやでも、晩餐の時には口にしていなかったはずだ。

 では……いつ……?

 いや、そもそも、食べられないと自覚しているものを自分から口にするはずがない……。


 ――フェルトンの試験薬か……!


 直接飲ませて死に至らしめるのではなく「自分から死に向かう」ように仕向けたというわけだ。それなら……直接の死因が別にあるなら……ジョスランは身の潔白が証明される。


 ――フェルトンは屋敷にいる。試験薬もまだある。


 セシアが危ない。


 フェルトンに薬を使わせ、犯行現場を押さえる。軍事施設から盗み出された試験薬での殺人ならそれが未遂であっても軍事裁判案件になる。アレンの狙いはそこにある。アレンにしてみれば実のところ、セシアの生死は関係がない……フェルトンが捕まえられさえすれば。

 だが、ルイは困るのだ。

 セシアを死なせたくない。




 メイドが引き留めるのを無視して、ルイは乗ってきた馬車から馬を外し裸馬の背に飛び乗った。馬車を引いていては遅いためだ。作業中、そのメイドが「旦那様に怒られます」と叫んでいたことから、彼女はルイの引き留め役だったと気付く。


 ――畜生!


 ジョスランが暗にルイがカロリーナを連れて行くよう仕向けたのは、セシアとルイを引き離すためだったのだ。セシアには部屋に戻って鍵をかけるように指示したが、明るくなっても部屋に引きこもっていてくれるかはわからない。

 空はすでに明るい。屋敷は目を覚まし、動き出している。

 何事もなければいい。

 そう願いながら、ルイは振り落とされないように馬のたてがみにしがみついていた。




「セシアはどこだ!?」


 屋敷に戻るなりルイは、近くにいた使用人に大声で問う。使用人はルイの怒気に怯えながら「申し訳ございません」と首を振るばかりだ。

 部屋か。

 あわてて二階に駆け上がる。

 主寝室を覗いてみたが、人はいない。次にセシアが娘時代に使っていた部屋を覗く。……いない。

 まさかと思ってジョスランの部屋に駆け込んでみたが、ここも無人だ。


「……!」


 ぐるりと見渡した客間のベッドサイドに、グラスが二つと木の実がいくつか乗った小皿が残されていた。まだメイドはこの部屋を片付けていなかったらしい。

 ルイは近づいて小皿を眺めた。


 カロリーナはひと口でも木の実を食べると具合が悪くなると言っていた。残っている木の実の破片を見ると、口にしたのはひと口どころではないだろう。

 ワイングラスは二つ。

 ワインに混ぜられて試験薬を飲まされたに違いない。

 ではセシアは何をさせられるのか?

 ルイはあわてて部屋を飛び出した。セシアはどこにいる? 誰に聞けばわかる?


 ――セシア!!




 階段を駆け下りたところで、横からスッと姿を現したリンにぶつかりかけた。


「どうかなさいましたか、ルイ様」

「セシア……セシアがどこにいるか知らないか?」


 小柄な老婦人はルイの切羽詰まった様子に目をぱちくりとさせた。


「お嬢様なら、トーマに話があるから書斎に呼んでとおっしゃっていましたので、書斎でしょうか……」

「トーマと話をしているのか?」

「わたしがどうかしましたか」


 背後からそのトーマの声がして、ルイは振り返った。


「……セシアはどこだ?」

「さて? わたしはセシア様に書斎に来るよう申しつけられ、これから向かうところですが」


 ルイは目を見開くと、書斎に向かった。

 玄関ホールを駆け抜け、重厚な書斎の扉に体当たりする勢いでドアノブに手をかける。

 鍵がかかっていた。


「セシア! ここにいるのか、セシア!!」


 ドアを叩き大声で叫ぶが、中から声はしない。

 何が起きている?


「ルイ様……、どうか、されましたか」


 後ろからルイに追いついたトーマが声をかけてくる。高齢なのに走らせてしまったせいで、トーマの息はずいぶんと息が上がっていた。


「鍵……書斎の鍵は!?」

「書斎の鍵でしたら、わたしの部屋で管理を……」


 血相を変えて叫ぶルイに、トーマがきょとんとする。

 トーマを待っていたら間に合わない。ルイはそう判断するとそのまま再び玄関ホールを突っ切って外に飛び出した。建物の外にまわり、書斎の窓から中を覗く。

 セシアが薄汚いかっこうの男――フェルトンだ――とジョスランに挟まれて、何かを書いている。


 何を書いている? 書かされているのか。


 現在のセシアはドワーズ家の当主。そのセシアに何かを書かせているということは、きっとよくないことだ。セシアが守ろうとしたものをすべて奪うような何か。

 考えるまでもなく、ルイは書斎の窓を蹴破った。

 フェルトンとジョスランがはっとなって振り返る。

 ガラスを蹴散らして中に飛び込む。


「セシアに何をした!!」


 ルイがジョスランに詰め寄る。


「セシアに何を!」

「行け、セシア!!」


 ルイとジョスランが叫ぶのはほぼ同時だった。


「行け、セシア。行くんだ!」


 何のことだ……と思う間もなく、セシアがくるりと背を向けて走り出す。かかっていた鍵を開けると、そのままものすごい勢いで部屋を飛び出して行った。

 ジョスランの手元にはセシアの直筆の何か。そしてこの部屋にはフェルトンがいる。セシア本人は飛び出していった。

 アレンの命令はフェルトンの確保だった。が。


 ためらったのは一瞬で、ルイはセシアの後を追おうとした。

 刹那、大きな破裂音とともに背後から何かがすぐそばをかすめて行った。

 立ち込める硝煙のにおい。

 ルイは動きをぴたりと止めた。


「セシアを追うなよ、軍の犬。手を挙げろ」


 カチリ、とこちらに照準が合わされる音が響く。

 ゆっくりと振り返ると、ジョスランが銃口をこちらに向けているのが確認できた。


「僕は本気だぞ」


 引き金に力が込められるのを見て、ルイは両手を挙げた。


「フェルトン……こいつの腕をやれ。得意なんだろう」

「え~、いやだな~。こいつはアレンの犬だ……それも一番厄介な。表情を変えずに何万人も殺せるやつだ」


 ジョスランの指示にフェルトンがいやそうな声を出す。


「命令だからな」


 ルイはそう言って目を細めた。あの時のことは思い出したくない。目の前で爆破に飲み込まれ落ちて行くバルティカ兵の顔を、今でも覚えている。橋の向こうに取り残されたバルティカ兵が何をされたかも……ちゃんと伝え聞いている。

 あの時はアレンを無傷で逃がすことが最優先だった。

 そしてあの時にルイ自身も右腕を失いかけた。失ってもおかしくなかった。今でも腕がつながっているのは、奇跡としか言いようがない。


「四の五の言わずにさっきセシアにやったみたいに……」

「セシアに何をした!」


 ジョスランの言葉に、ルイはフェルトンに振り向き詰め寄った。ぎょっとしたフェルトンが敵意のなさを示すためか軽く両腕を挙げる。


「オ、オレはジョスランに言われた通りにしただけだよ~」


 その時、二発目の弾丸が再びルイの近くをかすめていった。ヒィッ、と叫び声をあげてフェルトンが頭を抱えしゃがみ込む。


「動くなと言っただろう。僕は本気だ」


 ジョスランが血走った眼でこちらを睨んでいる。ルイはさっと室内に視線を走らせた。何か使えるものは……

 再び弾丸が撃ち込まれ、後ろに飾ってあった何かに当たって鋭い金属音が響いた。ぎくりとなったところに続けて発砲される。鋭い金属音がもう一度。

 後ろに何か固いものがある。金属でできた何か。


「フェルトン、いい加減起きてそいつの腕を使えなくしろ!」


 銃口をこちらに向けたままジョスランが近づいてくる。雰囲気からしてジョスランは銃の扱いには慣れていないが、至近距離で撃たれたらさすがに弾も外さないだろう。


「え、ええ~」

「研究費がほしいんじゃないのか! 早くしないとおまえのかわいい菌が死んでしまうんだろうが!」


 いつの間にかジョスランが目の前に立つ。


「まあ……」


 体に触れるほど近くに銃口を構えられてはルイとしても動くことができない。しぶしぶといった感じでフェルトンが起き上がり、そろそろと近づいてくる。

 次の瞬間、ルイはフェルトンの腕をつかんで引き寄せると、勢いよくジョスランに向かって突き飛ばした。フェルトンがいきなり飛んできたことに動転したジョスランの指が引き金を引き、五発目の銃弾が放たれる。その間にルイは後ろを振り返った。なんでもいい、固いもの!


 壁には盾とサーベルが掛けてある。盾にはドワーズ家の紋章。ドワーズ家はもともと武門の家柄だ。なるほど家の誇りを見えるところに掲げて眺めながら、ドワーズ侯爵は仕事をしていたわけだ。

 弾は盾に当たっており、二箇所に大きなへこみができていた。

 サーベルを引き抜く。


 ジョスランとフェルトンが二人して床に転がっている。左手でサーベルを振り上げたルイに向かって、ジョスランがフェルトンを蹴り上げてきた。足元に転がってきたフェルトンに注意を向けた瞬間、ジョスランが放った六発目が右腕をかすめた。

 オリッサの駅で負傷した場所だ。狙いすましたように抉ってきた弾丸にルイは歯を食いしばる。

 狙いをつけてサーベルを振り下ろすのと、ジョスランが引き金を引くのは同時だった。

 鈍い音がして、血しぶきが上がる。




「……飾りだと切れないもんだな、やっぱり」


 ジョスランが血の噴き出す右腕を押さえながら崩れ落ちる。その腕から床に落ちた銃を蹴り飛ばし、ルイはジョスランの髪の毛をつかんで上向かせた。


「あんたは最低だ」


 そう言ってみぞおちに容赦のない蹴りを加える。

 ジョスランが胃液を吐き散らしながら気絶した。


「わ……わわわ……オ、オレは、命令に従っただけだよォ~」


 その様子を見ていたフェルトンが、ぐずぐずと言い訳をしながら、はいつくばってルイから距離を取ろうとした。


「おまえが従うべきは、ジョスランではなくアレンだったんじゃないのか」

「でもあいつは、オレの研究をいらないって言いやがったんだ!」

「……だからなんだ。軍において命令は絶対だ。俺に下された命令はジャン・フェルトン、おまえの捕獲だよ」


 言うなりルイはジョスラン同様に痛烈な蹴りをみぞおちにお見舞いする。

 人をいたぶることに関しては何も思わないらしいフェルトンだが、自分が痛い目に遭うのは苦手らしかった。もっとも、一撃で気絶しなければ何度でも気を失うまで蹴り上げるつもりではいたのだが。

 二人が失神したのを確かめて、ルイはサーベルを投げ捨てた。


「誰かいるか!」


 ドアの外に向かって叫ぶと、トーマが青ざめた顔で姿を現した。


「これは……」

「説明はあとだ。ジョスランの手当とこっちの小汚いやつの拘束を! それからセシアだ。どこへ行った!?」

「セシア様なら、階段を駆け上がっていかれましたが。……ルイ様、血が出ています」


 階段?


「たいしたことはない」


 傷口から血がにじんでシャツを濡らす。止血のために傷口を左手で押さえながら、ルイは書斎の入り口近くにいるトーマを押しのけると、階段に向かって走り始めた。

 セシアはどこにいる? あいつらはセシアに何をした? どこへ向かった?


「セシア――――! どこだ!!」


 叫びながらルイは階段を駆け上がっていった。

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