第35話 ジョスランの反撃 2

 そこには一面に大きく載っている首飾りの写真と、「王妃の首飾りは今どこに?」という見出し。国王が二十七年前に王宮から盗まれた王妃の首飾りを探している、という記事だ。……六月の初め、祖父と一緒に社交シーズンが始まった王都に向かう列車の中で目にした。

 覚えている。


「……騒動は表沙汰にはなってはいないが、今から三十年近く前、イオニアの王女がしばらくこの国の王宮に身を寄せていたことがあるそうだ」


 ジョスランは語る。


「王女は恩情で優しく接してくれた陛下に何か勘違いして……国王が正妃に贈るはずだった首飾りをねだったのだ。当然陛下は渡さない。王女は陛下の気を引くために侍女に盗ませた……王女は他国の縁者を頼って国を出て行き、侍女は罰を受けた。ひどい話だな。その時から首飾りの行方はわからなくなった」

「……聞いたこともない話ね……作り話ではないという証拠は」

「これはカロー公爵から内密にと念を押されたうえで聞いた話だ。今はない国とはいえ一国の王女の醜聞だから我が国が配慮を見せて公表していないだけだが、盗まれたという事実は新聞に出ているだろう。嘘ではない」


 そう言ってジョスランが胸元から一通の手紙を取り出した。セシアの前に広げてみせる。


「おっと大切な証言だ。さっきみたいに破かれたら困る、触るな」


 そう言ってテーブルの上で手紙を手で押さえるので、セシアは体を乗り出すようにして綴られた文字を読んだ。

 しっかりとした筆跡で語られているのは、ジョスランが語ったことと同じ内容。そしてカロー公爵のサイン。


「封筒も見せて。封蝋を」


 そう言えばジョスランが封筒を同じようにテーブルの上に置く。

 セシアは目をこらして封筒を見つめた。封蝋を確かめる……複雑に絡み合った木々の上に翼を広げる鷲。カロー公爵家の紋章だ。貴族のたしなみとして、そう数が多くない公爵家と侯爵家の紋章は頭に叩き込んである。

 これが本物でなければ、ジョスランはカロー公爵から訴えられてしまう。


「陛下はこの首飾りを探している」


 ジョスランが首飾りを振ってみせる。


「あの男、ルイ・トレヴァーとしておまえに近づいてきた男。あれは昔、ここにいたイオニアの難民の息子ではないか? クロード……この手紙の主だ」


 ジョスランが今度は、セシアのばらばらになったからくり箱の中から古びた手紙を取り出した。

 そこには確かに、クロードの名前が記してある。


「トーマに聞いたよ。昔ここにイオニア人の使用人がいたこと、連れ子もいたこと。その連れ子がおまえに大けがをさせた咎で、父上が解雇して領地から追放したこと。……クロードがなぜこれをおまえのもとに送りつけてきたのかはわからないが、正体を騙り再びおまえに近づいたのには理由があるに違いない。お前は気づいていなかったのか」

「……彼はクロードでは、ありません」


 セシアは声が震えないようおなかに力を込めて、ジョスランに告げた。

 セシアの答えに、ジョスランがハッと鋭い笑い声をあげる。


「これだけ証拠をそろえてやったんだぞ!? おまえは、狂っているのか!? ドワーズ家は由緒ある、侯爵の位を持つ家柄だ。それを、おまえはあいつの復讐劇に付き合って無茶苦茶にしようとしているんだぞ」

「復讐劇!? なんのことよ。この家の正当な当主は私! ルイは私の伴侶にすぎず、ドワーズ家の財産に触れる資格はないわ」

「あいつの目的は財産じゃないかもしれないだろ?」


 ジョスランがぴたりとセシアを見据えて言う。


「小汚く卑しいイオニアの血が高貴なドワーズ家に混ざるんだ。ありえない! 財産を乗っ取るほうがまだかわいげがあると思うね。ドワーズ家の生き残りは僕とおまえしかおらず、おまえがあいつの子どもを生めば僕の相続順位は下がる。ははっ、まんまと汚い血がこの家に入り込むわけさ。僕は許せないね。何より伝統を重んじるおまえがそのことに思い至らないわけがない……だが女は愛という言葉に弱い。おまえはあっさりあいつに騙されたんだよ」

「汚されるってどういう意味!」


 セシアは思わず叫んだ。


「ルイは汚れてなんていない。この国の人たちと何も変わらない!」

「きれいごとを言うな。一度失われた権威性は二度と戻らない。イオニア人と結婚したというだけで、まず貴族社会では受け入れられない。おまえが何より大切に守ろうとしているドワーズ家の伝統とやらは、おまえによって壊れていくんだ。あいつの狙いはそれだろう。……子どもが生まれる前ならまだ間に合う」

「それは、どういう……」

「しかし大きな芝居に打って出たもんだな。他人になりすまして近づくなんて。なんて言われて言い寄られたかは知らないが、あいつ本人の目的は間違いなくドワーズ家への復讐、そして破滅だろう。違うのか? でなければなぜ正体を偽る必要がある? ああもしかして、父上に妙な遺書を書かせたのも父上を殺したのも、あいつかもしれないな。正直にいって都合よすぎるもんな」


 ジョスランが勝ち誇ったように笑う。


「これを取り返すのも目的に違いない。国王が大々的に情報公開をしたから、まずいと思ったんだろう……捜索の手が自分に伸びないように証拠を隠滅しに来たんだ。あいつの母親は犯罪者で、あいつはその汚い血を受け継いでいる。それを公表されたくなかったのさ。おまえは悪党に騙されて結婚までしてしまったんだよ!!」

「適当なことを言わないでください!」


 ついにセシアは叫んだ。


「悪党なんて決めつけないで! 違うわ……何か事情があるのよ!」

「なんの事情だ。あんな変な覚書まで交わして、夫婦ごっこまでしてみせて……ハハッ、前ドワーズ侯爵自慢のお嬢さん、おまえは本当に間抜けだ」

「……あなたは最低だわ」


 こみあげる涙をこらえることができず、菫色の瞳からぽろぽろと涙をこぼしながら、セシアはジョスランを睨んだ。

 頭の中で今まで言葉にならないもやもやとしたルイへの疑念が、すべて晴れて行く。


 そうだ、都合がよすぎるのだ。

 祖父が死んだ原因はジョスランにある。間違いない。その原因がフェルトンにある……というところまでは納得できるものの、ルイの登場は確かに都合がよすぎた。


 本当に偶然なの?

 本当に……私に対して恨みを持つ人物が捜査員として抜擢されるものなの?


 何かあるのではないかと勘繰ってしまう。何しろ差し出すのはセシアの伴侶という立場だ。イヴェールは東方軍司令官アレン王子の言質を取ってくれたが、本当に果たされるかどうかわからない。

 つまりセシアの立場はとても危ういもののままなのだ。

 信頼しようにも彼らのことはほとんど知らない。ただ「アレン王子」や「国軍」という国家権力を信用して話に乗っただけ。

 はしごを外される可能性はある。


 ――また私が愚かなせいで……。


 今度は何を失うのか。身分? 立場? それともドワーズ家そのもの? それだけで済む?

 セシアは泣きながらジョスランを見上げた。


「おまえは騙された。いいかげん認めろ、セシア。騙されてこの家を乗っ取られるところだった。おまえが姑息にも僕から相続権を取り上げようとするからこんなことになるんだ」


 バン、とジョスランが新聞の切り抜きやセシアの手紙ごとテーブルを叩く。

 大きな音にセシアは思わずすくみ上がる。


「おまえたちの思惑なんかどうでもいいが、おまえの浅はかな行動のせいでドワーズ家が大恥をかくところだったんだ。僕がきちんと調べなければ大変なことになっていたんだぞ!!」

「……私の許可がなければ、ルイがこの家の財産に触れることは……」

「欲に目がくらんでなりすまし男にあっさり騙されるようなやつに、この家の相続を認めるわけにはいかないよなあ!? 正当な相続人の一人である立場の人間からするとなァッ!」


 ジョスランは言いながらバンバンとテーブルを叩いた。からくり箱の破片が勢いで飛び散る。大きな物音と飛んできた破片にセシアは悲鳴を上げながら耳を塞いだ。

 ジョスランを騙しこの家を相続したのは事実だ。ジョスランが怒り狂うのはわかる。


「……父上もまさかおまえがこんなことをするクズだとは思わなかったはずだ。自分のやったことを振り返ってみろ……おまえは僕を糾弾できるようなきれいな人間か?」

「……ッ」

「偉そうに当主面するのはやめることだな、おまえの所業を裁判所に訴えればどちらの主張が認められるのか、はっきりしている」

「裁判を起こすの!?」


 セシアはぎょっとなって思わず大声で言い返した。


「ああもちろん、父上の遺言書もおまえの結婚も、正式に国に認められているものだからな。おまえたちの所業を暴いて正しく僕がドワーズ侯爵になるためには裁判が必要なんだ。おまえは正しくやった行いに対して報いを与えてやる」

「報い……?」

「それがいやなら」


 ジョスランはそう言って、ニヤリと笑った。


「……わかっているよな?」


 自分と同じ菫色の瞳が、ねっとりとセシアを見つめる。

 セシアの背筋を冷たいものが走り抜けた。

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