第五章 偽装夫婦の終焉

第34話 ジョスランの反撃 1

 イヴェールの紹介だけあり、ヴェルマン伯爵は知識が豊富にもかかわらず非常に気さくな人柄で、ルイの髪色にもセシアの夢にも動じることなく協力を申し出てくれた。

 一も二もなくセシアへ協力してくれることになった理由が「イヴェール少佐に恩人とまで言われる方をお断りする理由なんてありませんよ」だったあたり、イヴェールは本当に何者なのか怖くなる。


「ヴェルマン伯爵はイヴェールが信頼している人物だ。……だいたい、イヴェールを裏切る勇気があるやつはそういない。この前みたいなことにはならないから、安心していい」


 あとでルイがそう教えてくれた。

 彼にここまで言われるのだから、ヴェルマン伯爵は信頼できる人物なのだろう。


 ヴェルマン伯爵との面会を終えた翌日、セシアとルイはあれこれと荷物を抱えて久々にアルスターに戻った。

 屋敷に戻ってみればなんだか様子がおかしい。使用人たちがずいぶんバタバタと動き回っているのだ。


「ジョスラン様たちがお越しになられています」


 玄関に出迎えのため現れた執事のトーマが、セシアに耳打ちする。


「……『たち』?」

「ジョスラン様と奥様、それからもう一人、ご友人を連れていらっしゃっているんです。あとは王都のお屋敷にいる使用人たちが何人か」

「……ご友人?」


 セシアが傍らにいるルイと顔を見合わせる。


「かなり傍若無人に振る舞われるので、屋敷の使用人たちの不満が溜まってきています。それに……」


 トーマがまわりを警戒しつつ声をひそめる。


「セシア様とルイ様の……当主夫妻の部屋を使おうとされるので止めたら、次は、旦那様の部屋を使いたがって……なんとか客間のほうに。それに書斎にも入りたがるのです」

「……どういうこと? それに書斎って」


 この屋敷の主しか使うことができない部屋ばかりではないか。

 なぜジョスランがその部屋を?

 セシアが不思議に思った時だった。


「やあ、セシアにルイ!」


 階段の上から大きな声が降ってきた。玄関ホールにいるセシア、ルイ、トーマの三人が顔を向けると、二階からジョスランが降りてくるところだった。おそらくどこからかセシアたちの到着を見ていて、タイミングを合わせて降りてきたのだろう。


「おや、ルイ。なんだその髪は。王都で相当な苦労でもしてきたのか? まるでイオニア人じゃないか」


 近づきながら、ジョスランがルイの色素のない髪の毛に目を止めて言う。


「ところで、困ったことが起きてね。水道管の破裂があって、王都のタウンハウスがしばらく使えなくなったんだ。勢いよく水柱が上がって、あたり一帯水浸しになってしまったよ。復旧するまで半月くらいかかるそうだから、こっちに来ることにした。新婚の君たちには悪いと思ったがね、王都のホテルというホテルが社交シーズンということで空室がないと断られて」


 ジョスランがにやにやしながら見つめてくる。

 なんということだ。ジョスランが乗り込んできてしまった。

 セシアは怖くなり、一歩後ずさった。すぐ隣にいるルイの腕に、自分に腕が当たる。


「安宿になら空きがあるんだが、シラミがシーツにくっついていてもおかしくないようなベッドには寝たくないからね。なあに、半月もすれば王都に戻るんだ、問題ないだろう?」

「え……ええ、もちろん」


 セシアは掠れる声で答えた。


「そういうことなら、ゆっくりしていってください……」


 こわい。ジョスランがこわい。初めてそう思った。自分の命が狙われているとわかっているからだろう。


 ――私はどうすればいいの?


 怯えた姿を見せれば相手の思うつぼだ。だから普段通りにすればいい。それは頭ではわかっているのだが、普段通りとはどんな様子だっただろうか。それが思い出せない。


 ――叔父様を警戒しないようにするなんて無理。


 そのとき、冷たくなった指先をルイの手が包んできた。

 セシアははっとなる。


 ――私は一人じゃない……。


 そう、今は、一人でジョスランを相手にする必要はないのだ。

 セシアの指先に触れているルイの手を、セシアはぎゅっと握り返した。そしてひとつ大きく呼吸をする。


「……ゆっくりしていってもらって構いませんが、この屋敷にはこの屋敷のルールがありますので、お連れの方々にもそうお伝え願えますか? それから……、書斎には出入りしないでくださいませ。……意味はおわかりですね?」


 凛とよく通る声でセシアが告げると、ジョスランがむっとした表情になった。声が震えないようにとおなかに力を入れたら予想よりも大きな声が出てしまったが、小さいよりはいいだろう。この家の持ち主――女主人はセシアだ。


「……いいだろう」


 明らかに納得していない様子で、ジョスランが答える。


「では失礼しますわ、叔父様。たった今、王都から戻ってきたばかりなので疲れているの。少し休まなくちゃ……荷ほどきもしなくてはならないし」

「僕の方はおまえに用がある」

「……私はありません」

「ここで話をしてもいいのか? 大勢の人がいるが? それとも全員すでに知っていておまえの茶番に付き合っているのか? それにルイのその髪色……間違いないようだな」


 ――茶番? 間違いない?


 聞き捨てならない言葉にセシアはびくりと耳を動かした。

 ジョスランがじっとこちらを見る。


「……今すぐ?」

「ああ、今すぐ」

「……私だけに?」

「そうだ。まずはおまえだけに話を聞きたい。……僕の恩情だよ、これは」


 嫌な言い方にセシアは思わずルイの手を握る指先に力を込めてしまった。


 ――何か証拠をつかまれたんだわ。


 冷や汗が出る。偽装結婚だということが明るみに出れば、屋敷や領地を奪われるだけでなく、セシア自身が罪に問われる可能性がある。

 イヴェールには「案件が片付いたら」という条件でセシアの戸籍はきれいに戻してくれる約束をしてもらっているが、片付く前に偽装結婚がバレた場合は? その話はしていない。


 ――そんなの、今考えてもしかたがないこと。今ここにイヴェール少佐はいないんだもの。


 セシアはちらりと傍らのルイに目をやった。

 ルイも怖い顔でジョスランを見つめている。


 ――大丈夫、私は一人じゃない。……なんとかなる。


 セシアはそっとルイの指先に絡めていた手をほどき、一歩前に出た。


「いいでしょう、話を聞くわ」




 ルイとトーマを玄関ホールに残したまま、ジョスランがセシアを案内したのは、先ほど出入りするなと告げた書斎だった。

 ここは当主の部屋。許可なく当主以外は立ち入りできない部屋なのに、ジョスランがドアを開けてセシアを中に促す。

 自分が有利に立っているという意志表示だと、セシアは受け止めた。


「座ったらどうだ?」


 書斎の手前にある応接セットへの着席を促され、セシアは腰をかける。


「セシア、おまえは夫であるルイ・トレヴァーとは、一年ほど前に奉仕活動で出会ったと言ったな?」

「ええ」

「……おまえはあいつが『ルイ・トレヴァー』だと思っているのか?」

「どういうことでしょうか?」


 セシアはジョスランを睨んだ。


「これはなんだ?」


 ジョスランがセシアの目前に一枚の紙を突き付ける。

 見ればそれは、ルイと交わした偽装結婚に際する覚書だった。

 セシアはざっと青ざめた。

 なぜこれがここにあるの。


「……これを見る限り、おまえたちの結婚が便宜的なものであることが明白だな? その目的までは書いていないが、父上の死去直前までおまえには婚約者どころか結婚話もなかった。屋敷の使用人たちに確認したぞ、おまえは今まで夫探しをしたがらなかったこと、今年はおまえの夫を見つけるために王都へ行ったこと。本当は、おまえにはすぐに結婚できるような相手はいなかった」


 ジョスランがぎらぎらとした目付きで睨む。


「ということは、この結婚は僕がドワーズ家を継ぐのを阻止するために仕組まれたものだ」

「……違うわよ」


 セシアはジョスランから紙をひったくるとビリビリと破いた。ジョスランが唖然となるが知ったことではない。

 拾い集めてつなぎ合わせるのも無理なほど細かく破き、セシアはわざと床に紙をばらまく。拾うにはセシアの前で床に跪き紙を集めなくてはならない。

 ジョスランの顔がどす赤くなっていく。

 ところでルイの覚書と一緒にしまっていたアレン王子の誓約書のほうはどうなったのだろう。あれには王家の紋章が入っている……悪用されたらアレン王子の立場がなくなってしまうのでは。


「単なるお遊びよ? 真に受けてもらっても困るわ。私たちの関係は急ごしらえに見えるわねって、冗談で作っただけ。叔父様に誤解を与えたのなら謝ります。そんなことより、……私の部屋に勝手に入ったのね? 私はそんなことは許していないわ。この書斎に入ることも……ここは当主の部屋よ」

「まだそんなことを言うのか。僕が何も知らないとでも思っているのか?」


 ジョスランが顔を歪め、書斎の机の上にあった紙の束と小ぶりの箱を取って来ると、紙の束のほうをセシアの前にぶちまけた。

 テーブルの上に何枚かの写真に、新聞の切り抜きが散らばる。


「本物のルイ・トレヴァーだ」

「本物?」


 セシアは写真を手に取った。

 がっしりした体つき、鷲鼻に角ばった頬の顔、髪の毛は黒くて癖がある。

 続いて、新聞の切り抜きに手を伸ばす。尋ね人の切り抜きだった。目を落とせば、トレヴァー子爵が軍隊に入った息子を探しているという。名前はルイ。二十八歳……東方軍に所属し、階級は少尉。リーズ半島で部隊ごと消息を絶ち今も行方が分からない……。

 頭の中でピースがかちりと当てはまる音がした。

 思った通り、ルイは『ルイ・トレヴァー』ではなかった。


「おまえの夫も北部出身で、トレヴァー子爵の縁者だと言ったな。調べたが、北部でトレヴァー子爵と名乗れる人間はこの人物しかいない」


 ジョスランが新聞の切り抜きの端っこ、尋ね人の広告を出している依頼人の名前をトントンと叩いた。


「トレヴァー子爵の縁者で、ルイという名の男は、尋ね人欄に出ているこの男しかいない。意味がわかるか?」


 覚書だけでなく、本物の証拠まで用意されているなんて。

 セシアは指先が震えないように力を込めた。動揺していると知られたら、ジョスランの言い分を認めてしまうことになる。


「ここまで言っても言い逃れるつもりか? あれはルイ・トレヴァーだと」

「……何をおっしゃっているのかしら。私たちの結婚は本物よ」


 それでもやはり少し声が震えてしまった。


「なりすまし男との結婚が成立するはずがない。おまえは国を騙してドワーズ家の財産を手に入れた。これは立派な詐欺罪だぞ。それに、銀髪を見て思い出したよ。……あいつは昔ここにいた銀髪の使用人の息子だな? 義姉上が気まぐれを起こして拾ってきたイオニア人の親子がいたはずだ」


 イオニア人である二人はできるだけ人前には出ないようにしていたし、この二人が屋敷に来た頃にはすでにジョスランもアルスターの屋敷を出ていたから、イオニア人母子にはなじみがないはずだが。


 ――まあ、実家のことだから知っていてもおかしくはないわよね。


 そのジョスランが、次は小箱をセシアの前に出した。それはセシアが自分の部屋の片隅に隠していた、あのからくり箱だった。


「悪いが中を確かめさせてもらった」


 ジョスランが少し力を入れると、からくり箱がバラバラになってテーブルの上に散る。四隅の接続部分を壊されていたようだ。

 セシアはそれを信じられない思いで見つめていた。

 これは……両親がセシアにプレゼントしてくれた思い出の品……。

 バラバラの箱の中から、ジョスランが首飾りとクロードの手紙を取り出す。


「……これはあの銀髪の使用人の持ち物だったんだな?」

「……私あての手紙よ。読んだのね。私の部屋に勝手に入って荒らしただけではなく、勝手に人のものを壊して、手紙の中身まで!」

「これがなんなのか知っているか?」


 激昂したセシアに構うことなく、ジョスランが首飾りをつまんで掲げた。


「……いいえ」


 セシアはいつか見た新聞の一面を思い出しながら、首を振った。


「これだよ」


 ジョスランはそう言うと、テーブルの上に置いた紙束の中から該当の記事が載っている新聞を取り出して広げた。

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