第31話 やっぱりセシアは酒に弱すぎる!

 突然現れた軍服姿のルイに、セシアはぎょっとなった。


「……ルイ? 仕事帰り、なの?」


 ルイの軍服姿は、二回ほど見たことがある。最近は平服姿ばかり見慣れており、彼が軍人であることはわかっているつもりだったが、軍服姿を見ると気配が引き締まって非常に凛々しい。帽子をかぶっているので表情がわかりにくいのも関係しているだろう。


 ――こんな人だったかしら。


 間違いなくルイなのだが、全然知らない人のようにも思える。

 そのルイが、じっと見つめてくる。


「トレヴァー……さん、どうかしましたか? 何か急ぎの用件でも?」


 どこかおかしそうな響きがこめられた声音のフランクを、ルイが睨む。


「……仕事が早く終わったので、妻と観劇に行こうと思ったのだが、何か問題でも?」

「ああー、そういうことでしたか。無事に終了したようで、お疲れ様です。じゃあ、僕はこれで。あ、車のほうは、どうしますか? 一応、終演の時間に迎えに来ることになっているんですが。あと、夕食は終演後、セシア様がお泊りのホテルのレストランを予約しています。今日一日外出されていましたので、あまり連れ回してはかわいそうかと思い」

「わかった。車はこれだな?」


 ルイがセシアとフランクの背後にある車を見る。


「あとは俺が引き継ぐ。チケットを」

「引き継ぐって……業務じゃないんですから」


 フランクが笑いながら、上着のポケットからチケットを取り出してルイに手渡した。


「せっかく正装してきたのに残念だな。では奥様、行ってらっしゃいませ」


 フランクににこにこと送り出されたおかげで、彼へのうしろめたさが少しだけ減った。

 ルイが左手を差し伸べてくる。また左手……まあ、右手は先日の一件でけがを負っているから……。

 セシアはルイの左手に自分の左手を乗せた。

 左手は力強い。お互いに手袋をしているけれど、ルイの体温は感じ取れる。温かい。

 そのままルイの腕に手を回す。


 もともと背が高いし体格もいい人だけれど、軍服がきっちりしたデザインのせいで体格のよさが際立つ。並ぶとセシアの目の高さにルイの肩がくる。彼の背の高さを痛感する。

 フランクのエスコートが物足りなかったわけではないが、ルイが隣にくるとほっとするのはなぜだろう。


 セシアはそっと、傍らのルイを見上げた。まだ建物の外だからか、帽子を目深にかぶっているのでその表情はよくわからない。スッと通った鼻梁に引き結んだ唇、目付きが鋭いけれど顔そのものは整っていてかっこいいと思う。

 レイモンドも顔は整っているけれど彼は華奢で繊細な美しさの持ち主だ。それに比べたらルイは体も手も大きくて、背中も広くて、本当に、そばにいてくれたら心強い。


 それにセシアを遠ざけようとしていても、やっぱりどこかでセシアを気にしてくれている様子がある。アルスターへの工場誘致の時もそうだし、オリッサを歩いた時もそう。ルイの任務は「ジョスランにラブラブ夫婦だと思わせること」と「セシアをフェルトンの毒から守ること」であり、いけ好かない業者のおっさんに侮辱されてもセシアをかばう必要はないし、オリッサの散策に付き合う義理もない。


 本当の彼は優しい。……本当の彼をもっと知りたい。本当の姿を見せてほしい。いつまでも距離があるのは寂しい。けれど。

 ルイはずっと、セシアと距離をとりたがっている。


 ――私たちはかりそめの関係だものね……。


 たまたまお互いの利益が一致したから手を結んだだけの関係で、時が来たらこの関係は解消される。絆を結ぶ必要なんてない。雰囲気から察するに、解消後はきれいさっぱりセシアの前から消えるだろう。そして何事もなかったかのように、セシアはルイが現れる前の日常の続きを送ることになるのだ。


 自分も大人だ、わがままは言うまい。でもやっぱり寂しいと思う。この人がそばにいてくれたら。


 ――この人のことが好きなんだわ、私……。


 ストンと、ルイが気になってしかたがない理由が胸に降りてきて、セシアは納得した。


 ――私、『夫』のことが好きなのね……。


 離縁前提の、離縁後は行方がつかめなくなる人なのに。なんという皮肉だろう。

 叶うことのない恋心を噛みしめながらルイを見つめたセシアは、あることに気が付いた。


 ――あら?


 帽子からのぞく髪色が、黒色でない。あたりが夕闇に包まれているせいでよくわからないが……。


 ――どういうこと?


 工作員だから髪色は自在にできる……ということ?

 不思議に思いながら、帽子の下に見えている髪の毛を見つめる。いろんな色を反射してわかりにくいが、ロータリーの混雑をすり抜けて王立歌劇場のエントランスに入ると、彼の髪色が色を持たないことが見てとれた。田舎では珍しい電球がここではふんだんに使われており、ランプでは到底不可能なほど、建物の中が明るく照らされているためである。


 ――白……いえ、銀……。


 銀色の髪に青色の瞳は、イオニア人の色。


 チケットはボックス席だった。ルイがチケットを見せると係員が案内してくれる。

 ボックス席はエントランスよりは薄暗い。ここへ来て初めてルイが帽子をとった。

 暗がりのせいで髪色がわかりにくい。そこでセシアはわざとルイが明るい場所ではずっと帽子をかぶっていたことに思い至った。


 ――なぜその髪色なの?


 黒。銀。どちらが本当の色? どちらも本当の色ではない?

 わからない。

 今日は仕事だと言っていた。……次の仕事のために髪色を変えたのかもしれない。


 ――もう「次」の仕事が入ったのだとしたら……、あなたはいつまで私の「夫」でいてくれるの……?



 歌劇は素晴らしかった。さすが、王立歌劇場で一番人気の演目だけある。

 けれど、セシアは歌劇よりも傍らにいるルイが気になってしかたがなく、華やかな舞台もほとんどうわの空だった。

 そのあとは、フランクとの打ち合わせ通り迎えに来た自動車に乗ってホテルに戻り、予約してあるレストランに行き……。

 歌劇場ではじっくり見ることができなかった、銀髪姿のルイを正面から見ることができた。


「ねえ、その髪色はどうしたの?」


 髪色を銀にすると、切れ長の目元と相まって完全にイオニア人にしか見えない。明らかに昨日までとは違う髪色を無視するのもおかしいかと思い問いかけてみる。


「ああ……これ。イヴェールの指示だ」


 前髪をつまみながら、ルイが答える。


「……変な指示ね」

「嫌がらせの一種だろう。銀色にするとイオニア人に見えるから」

「嫌がらせ……?」

「中央司令部にはイオニア人を嫌う連中が多い。イヴェールは中央司令部がカエルより嫌いだからな」


 イヴェールの代わりに中央司令部に顔を出したのか。そして中央司令部への嫌がらせとしてイオニア人の姿にしたのか。

 なんと幼稚な嫌がらせ。

 イヴェールの嫌がらせに付き合わされ、いやな思いをするのはルイだというのに……。


 イヴェールに対してむかむかしてくるが、その一方で髪色を銀に戻したことでルイがクロードによく似ていることがわかってしまった。

 だがルイはセシアを初対面のように扱う。もうこの態度はずっと一貫している。

 ならばルイに合わせよう。彼の正体がクロードであっても、「よく似た他人」ということにしておこうではないか。


 きっとそれが「正解」。


「一度髪色を変えると、しばらくはこの色でいないといけない。髪の色を変える薬剤はとても強いから、間を開けないと頭皮がずるむけになるんだ。」


 ルイが溜息混じりに言う。


「……ええっ」

「セシアには悪いが、まあ……我慢してくれ。なるべく近くにはいないようにするから」

「……」


 人種差別による視線のことだろうか。


「……私は気にしないわ。あなたは知らないだろうけれど、昔、屋敷にイオニア人の使用人がいたの。仲良くしてもらっていたわ」

「……そうか」


 セシアの言葉に、ルイが頷く。

 それ以上の反応はない。

 ルイはセシアと距離を保ちたがっている。二人の関係は任務の都合上結んだものであり、いずれは解消されるのだから、お互いの人生に深く関わらない。

 それは最初にルイが提示してきた条件。


 ――恋心を知れただけでもよかったと思うべきなのかもしれないわ。


 結婚するつもりはないから、セシアにとって恋愛はそのまま失恋につながるのだけれど。

 切ない想いを噛みしめ、セシアは店員おすすめのワインを口にした。のどを通り過ぎてしばらくすると、体の中が熱くなり気持ちがふわふわしてくる。さっきまでの悩み事が遠くなり、楽しい気持ちでいっぱいになる。


「前も思ったんだが、セシアはワインの飲み方を知らないな。そんなにごくごくと飲むもんじゃない。料理に合わせて少しずつ飲まないと、すぐに酔いが回る」

「あら、そうなの? 村の祭りではみんなこんな感じで飲んでいたわ。いやだ、もうなくなっちゃった。おかわりはもらえる?」

「あれは飲みやすいように薄めてあるからだ」


 空になったグラスを振って楽しそうにするセシアに、ルイが呆れたような視線を寄越してくる。

 グラスを振るセシアに気付いて、店員がワインボトルを差し出した。


「今日は、たくさんは飲まないわ。それに今日のワインのほうが、あまり酔わないみたい。銘柄が違うからかしら」

「そんなわけないだろう。前は四杯でひっくり返ったんだぞ」

「わかったわ、今日は三杯までにしておくわね」


 なんとも言えない顔をしたルイの前で、セシアは店員に新しく注いでもらったグラスに口をつけた。


 料理はおいしかった。ワインも、ルイのアドバイスどおり三杯で止めておいた。食事が進むにつれ眠気が強まってきているのは気づいていたが、三杯しか飲んでいないから大丈夫なはずだ……。ああだめ、目を開けていられない。

 デザートの前に、セシアは限界を迎えた。


 ――私のワインの適量は、二杯までね……三杯はだめだわ……。


 とろける瞼の向こうで店員とルイが慌てる気配を感じながら、セシアは心の中でそう結論を出した。実際のところは酒量より飲み方の問題なのだが、時すでに遅し、である。

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