第30話 あなたは誰なの 3

 王宮の一角。ルイは案内されるまま謁見の間に通される。国王はまだ現れていない。

 広い部屋だった。アレンの代理人とはいえ雑魚相手に仰々しくはないか? とは思ったが、まあ向こうにもいろいろ都合があるのだろう。

 国王に謁見することなんて二度とないだろうから、気にする必要は全くないと思い直す。

 国民に対し公表はされていないが、アレンによると国王の体調は思わしくないのだという。


 さてどんなご様子なのか、と思いながら待つことしばらく。

 前触れがあり、ドアが開く。身なりのいい瘦身の男性が侍従とともに入ってきた。軍人らしく敬礼すると、男性が立ち止まり、じっとルイを見つめる。……国王はまだドアの近くだ。一方のルイは部屋の真ん中に立っており……謁見とは、こういう形だろうか?


「ああ、楽にしていい。そなたは……」


 国王が言うのでルイは手を下げる。


「東方軍司令部司令官、アレン殿下より遣わされたルイ・トレヴァー少尉です」

「ああ、アレンから連絡は受けている。……すまないが、彼と二人で話をさせてくれないか」


 ルイ・トレヴァーと名乗ったのは、アレンの呼び名「黒」はコードネームだし本名は表に出すことが禁じられているからだ。

 国王が侍従を振り返る。侍従は一瞬困った顔をしたが、「外に控えておりますので」と言い残して部屋を出ていった。

 広い謁見の間に、国王と二人になってしまった。さすがのルイも戸惑いが隠せない。そんなルイに構うことなく、国王がゆっくりとルイに近づいてくる。

 杖などはついていないが、足元がおぼつかない。……弱っているというのは本当のようだ。


 ――ここまでふらつくということは、寝たきりに近いのか……?


 あのアレンの父親である。若い頃はさぞ人々を魅了したに違いないという気配はあるが、面長の顔に蓄えた髭は白く、皮膚は乾燥して目は落ちくぼんでしまっていた。だが、アレンと同じ真っ赤な瞳はしっかりとルイを見据える。


「……そなた、イオニア人か……」

「はい」

「……首飾りは、見つかったか?」


 単刀直入に切り出される。アレンからはごまかさず、事実だけを答えろと言われているので、ルイは正直に答えることにした。


「未だ発見には至っておりません」

「……そなた……、母の名はなんという」

「……母ですか?」


 いきなりの話題転換である。

 アレンからは、首飾りに関しては事実を答えろと言われているが、それ以外は適当にごまかしてこいとも言われている……。


「……アレクシアです」

「アレクシア……イオニアの王女の名もアレクシアといったが、縁者か? アレクシアに、よく似ている」

「イオニアにおいてアレクシアはよくある名前です。縁者ではありえません。自分たちは戦争難民ですから。見た目は……他人の空似かと」


 イオニア王国とはロレンシア帝国が攻め込んだ大陸北部の小さな国の名前だ。今はもう存在しない。そしてイオニアでアレクシアという名前はありふれたものだ。母については、それ以上のことは知らない。


「そなたの年は」

「自分ですか?」


 ずいぶんしつこく自分について話を聞きたがるな……。ルイは身構えた。


「二十七になります。今年で、二十八に……」


 国王が何かを思案するように、目を閉じる。


「……アレクシアは、どこにいる。息災か」

「イオニアの王女でしたら存じ上げません」


 ややあってたずねてきた国王に、ルイは即答した。


「……。似ているのだ。そなたは、アレクシア王女に似ている」


 イオニアの王女の名前はアレクシア。

 知らなかった。


「他人の空似です。母も自分も身寄りのない戦争難民ですから」

「ふむ。そなた、本当の名は」

「申し訳ございません。自分は、アレン殿下にお仕えする身。アレン殿下の許可なく、素性を明かすことはできません」

「……アレン……そなたは、アレンのもとに……。そうか……、アレン……」


 ぶつぶつと国王が呟く。

 ぼんやりとアレンの思惑が見えてきた。


 ――国王に俺を見せつけるために、王宮へ寄越したんだな……。


 イオニアの王女アレクシアに似ている人物を見せ付けるために。

 アレンは王女アレクシアの顔を知っているのか?

 いやそんなはずはない……。アレンに聞いた話では、首飾りとともに行方不明になったということだった。その当時のアレンは二歳かそこらのはずだ。

 では誰かから、母と王女はよく似ているとでも聞いたのか。

 アレン自身は自分の別荘に匿っていることもあり、母と面識がある。

 アレンの思惑はまあわかったが、目的はさっぱりわからないままだ。



 その後、国王がルイに対して何か言うことはなく、すぐに侍従を呼び、謁見は間もなく終わった。

 結局、何がしたかったのか……まあ、首飾りは見つかっていないという報告が目的だから、当初の目的は果たされたのだが。

 このわずかな謁見時間のためだけに髪の毛の色を戻したのかと、ルイは案内係について王宮の長い廊下を歩きながら思った。案の定、薬剤で頭皮がひりひりしており、落ち着くまで髪の毛を黒色に戻すことはできなさそうだ。


 時々すれ違う人が、銀髪のルイを認めて振り返ったり、眉をひそめたりする。自国民より身分が低いイオニア人が正規の軍服を着て王宮の中を歩いていることが、気に入らないのだろう。


 王宮を一歩出たところでルイはさっさと帽子をかぶった。短くしているので、帽子をかぶればまあまあ銀髪は目立たなくなる。青い目の人間自体は少なくない。

 自分の、この銀色の髪は嫌いだ。


 それにしてもあの首飾りはなんなのだろう。国王が王妃に贈った首飾り。盗まれた首飾り。

 母が持っていたのはきっと本物。そんな気がする。ということは、母は……昔、ここにいたことがある?

 ルイはふと足を止めて、王宮を振り返った。


 母は過去の話をしたがらなかった。思い出したくないのだと言っていた。時期的に、ルイは祖国が侵略され逃げ惑っていた頃に身ごもった子どもでもある。

 父親がいない、着の身着のままの戦争難民。

 母から聞かされた父のエピソードは、首飾りをくれたということだけ。

 きっと自分は、望まれて生まれてきたわけではないんだろう。

 母は首飾りを父にゆかりがあるものだと言っていたが、何しろ立派過ぎる品物なので以前から疑わしいと思っていた。ここへきて、その思いが強くなる。


 真相は本人に聞けば明らかにできるとは思うが、たずねる気にはなれなかった。

 イオニア滅亡はすでに過去のものだ。どんなに泣いても嘆いても、母の故郷はすでになく、頼れる身寄りももういない。

 母には過去に振り回されてほしくない。


 返す返す、あの首飾りを自分で処分してしなかったことが悔やまれる。セシアが指示通り埋めており、首飾りのことなんて忘れてくれていたらいいのだが。

 自分の正体を伏せている手前、確かめることもできない。




 懐中時計を見ると、ちょうど三時を過ぎたところだった。

 この髪の毛でセシアには会いたくない……。そんなことを思いながらホテルに向かうべく歩いていると、道の向こうに楽しげにしているセシアとフランクが見えた。


 ああ、そういえばこのホテルはセシアが滞在しているところだったか……と思っていると、セシアだけがホテルの中に消えていく。今日の予定はすべて終わりだったのだろうか。そんなことを考えていたら、道の向こう側にいるフランクと目が合う。

 気付かれたのなら無視するのもおかしい。

 しかたなく道路を渡ってフランクの前に行ってやる。


「セシア様って、かわいらしい方ですねえ」


 開口一番、フランクがにこにことルイに笑いかけてきた。


「……歌劇には行ったのか? アレンが無理やり取ったとかいう」

「いえ、十八時からですから、まだですよ。休憩と衣装替えをしてもらって、十七時にここにもう一度迎えに来る予定です」

「ふうん……」

「僕と交代しますか」


 フランクが申し出る。


「断る」

「黒さんの奥様ですよ。夫がエスコートしないでどうするんですか」


 非難がましい口調のフランクを、ルイは睨みつけた。


「便宜上の、書類だけの関係だ。それに今日のエスコートはおまえの仕事だろう」

「ええー」

「俺は疲れた。……セシアを頼む」


 そう言ってルイはフランクの返事を聞かずに踵を返す。


「あっ、そうそう、アレン殿下から依頼されていた件について、面会の予約が取れました。急に予定をねじこんだので、ヴェルマン・テラスでの昼食会になりましたが。明日十一時、ホテル前に馬車を用意します」


 去りかけたルイの背中に、フランクが声をかける。

 ルイは足を止めてフランクを振り返った。


「……アレンは何か言っていたか?」

「健闘を祈る、と」


 フランクの言葉にルイは肩をすくめ、今度こそ本当に踵を返した。




 セシアは便宜上の、書類だけの関係だ。

 しかも捜索が終わったら結婚していた履歴すら消えてしまう。

 セシアには必要以上に近づかないほうがいい。気持ちを抑えられなくなるから。

 もともと、セシアの前に姿を現すつもりなんてなかったのだ。こんなことにならなければ……遠くから彼女の幸せを願うくらいがちょうどよかったのに……。


 ――クソッ、なんで結婚してないんだ……!


 夫に対し笑顔を見せ、幼児の手を引くセシアを見ることができたら自分の気持ちは諦められると思った。

 それなのにセシアは未婚のまま……何の因果か、ルイと「かりそめの夫婦」になってしまった。

 セシアに近づかないよう、遠ざけたいのに、それがうまくできない。

 つくづく自分の意志の弱さに反吐が出る。

 今まで何人も他人になりすまし任務に当たってきたが、ここまでなりすますことがうまくいかないのは初めてだ。


 小さい頃、何かと自分を頼ってきた小さな手を思い出す。おてんばなセシアはアルスターの森に遊びに行きたがった。……そこで少しセシアを困らせてやろうと姿を消して観察していると、一人にされたことに気付いたセシアがルイの名前を呼んで泣き始めるのだ。

 自分を真っ先に呼んで、頼ってもらえる。その声を聞きたくてわざとセシアを置き去りにしていたなんて、本人には言えない。


 小さなセシアを守ることはたやすい。セシアを怖がらせるものは全部払いのけてあげる。そうすればセシアは自分だけを見てくれる……でもそれは驕りだった。

 あの冬の日、足を滑らせたセシアをつかまえることができなかった。

 もっと強く制止していたら。あの日も、それができたのに。できたはずなのに。

 近くにいて、手をつないで。セシアを危険にさらさない方法はあったのに。


 ――俺は、最低だ……。




 ホテルに戻り、着替えようとして、ルイは時計を見た。

 十六時前。

 今日のフランクは、一日セシアと王都を楽しんだはずだ。そう依頼したのは自分だが……。


 ホテル前、フランクと別れる前のセシアは笑顔だった。フランクとは仲良くできているのがわかる。フランクは明るくて気さくなので、そこは思った通りになったわけだが、セシアとフランクが向かい合って笑っている風景を思い出すと、気に入らない。


 ――なんでこんなにムカムカするんだ?


 セシアと自分はただの……便宜上の……。

 ホテルのロビーに十七時に待ち合わせ。なら開場は十八時で開演は十八時半、終演は二十一時といったところか……。


 ――クソッ。


 ルイは脱いでいた帽子を手に取ると、着替えることなくホテルの部屋を出た

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