第29話 あなたは誰なの 2

 その日の夜のうちに、ルイはアレンが押さえているというほかのホテルをフランクに聞きだし、東方軍司令部からフランクのもとに送りつけられていた軍服を持って移動した。

 社交シーズンであっても空室になっている部屋だ、こちらもセシアが宿泊しているのとそう変わらない豪華さを誇っており、ルイは思わず笑った。フェルトンを追い詰めるために、アレンはいったいいくら使ったんだ? どこからこれだけのお金をひねり出したのか、工面させられたのは青だろう。胃がキリキリしているに違いない。


 ルイの黒髪は特殊な染料で色を乗せているだけであり、この染料を落とす薬剤を使えば元の色に戻せる。ルイは用意しておいた薬剤を手にバスルームに向かった。


 強い薬剤なので皮膚につかないように気をつけながら髪の毛になじませていく。だが、頭皮だけはどうしようもない。しばらくすると、頭がちりちりと燃えるように痛みだした。頭皮がはがれるのですぐに黒髪に戻せば、見苦しいことこのうえない。だから炎症が治まるまで髪の毛を黒色に染め戻すことはできない。

 銀髪姿を見られたら、セシアになんと思われるだろう。


 ――なんと思われてもかまわないか、別に。


 正体に関しては知らぬ存ぜぬを貫けばいい。セシアだって大人だし、今までの対応を見る限りでは、こちらが知らないふりをすれば合わせてくれそうだ。

 どのみちアレンが大掛かりに動いているのなら、フェルトンの捕獲までそう時間はかからないだろう。


 ――どうせすぐに離れる。


 ルイは何年ぶりかで見る自分の銀髪姿に目を細めた。




 翌日。

 ルイはきっちり軍服を着こんで王宮に向かった。

 国王との面会許可はアレンが取っている。オリッサの電話局で東方軍司令部に連絡を入れた際に、何をすべきなのかも指示を受けている。とはいえ、「王妃の首飾りについておとなしく事実を答える。それ以外は黙秘する」という至って簡素な指示だが。


 国王は病床に臥しており、実質的に政治を動かしているのは宰相のカロー公爵、そして第一王子のジェラールだ。アレンを敵とみなす中心人物であり、アレンによるとリーズ半島での戦争を引き起こした張本人らしい。


 本当は本人が来るのが一番なのだろうが、アレンはフェルトンを追いかけている。フェルトンを逃がしたことは東方軍司令部内でも極秘にされており、大っぴらに探しているわけではない。これはアレンにとって痛恨のミスだからだ。次期国王争いの妨げになるようなことは、できるだけジェラールに渡したくないのである。


 アレンは次期国王になりたい。リーズ半島の争いで応援を頼んだのに「総司令はおまえだ。そちらでなんとかしろ」と指示してきたジェラールを、アレンは許していない。


 そもそもリーズ半島の領有権に関しては交渉が続いていたのに、交渉を無意味だとぶった切ったのはジェラールなのだという。それを機にロレンシアが侵攻してきたのである。


『もしかしたら、ロレンシアと兄上は通じていたのかもな』


 いつだったかアレンがぼやいていたことがある。


『でなければ、いくら戦闘範囲が狭いからといって、ロレンシアのリーズ半島占領への対応を東方軍だけで行えという指示は、おかしいだろう? オレの首に値札でもつけられたんだろうよ』


 膠着した戦況打開のために、国の東部からかき集められた非常召集兵が多く犠牲になった。そして現在、リーズ半島戦での戦争未亡人、負傷兵などが社会問題になっているのに、国は領地に丸投げしている。国の中心から見た東部は僻地で……きっと、どうでもいいのだろう。戦時中であっても王都は変わらず華やかで、社交界ではきらびやかな装いの人々が笑い合っていたというから。


『ジェラールは戦争がどんなものか、知らないから簡単に戦争を引き起こせるんだ』

『なあ黒、おまえも戦争の被害者だ。ロレンシアの引き起こした戦争で故郷を追われ、この国にたどり着いたのに、この国も戦争のせいで景気が悪くなって難民は邪魔者扱いされる……腹が立たないのか?』

『オレは腹が立つ』

『オレを殺すために戦争の引き金を引ける、あんなやつに国を任せたらだめだ』


 もしアレンが形だけの司令官なら、さっさと母を連れ出して逃げていたことだろう。

 そうじゃないから困るのだ。

 アレンに対して忠誠心のようなものは持っていない。アレンがどうなろうと、この国がどうなろうと、どうでもいい。

 ただ、アレンはルイが外国から来た難民だと知っていても扱いが変わらなかった。王子から見れば最下層に位置するだろうルイの母に対する扱いも丁寧だ。……まあ、それがアレンに付き合ってやっている理由だ。


   ***


 昨日交わした約束通り、九時過ぎにフランクが迎えにきてくれた。なんとお抱え運転手がついた大きな自動車で。

 鉄道は利用したことがあるが、自動車は初めてだ。


「イヴェールさんのおはからいです。お気になさらず」

「……イヴェール少佐って、何者なの?」


 ニコニコするフランクに思わず聞き返せば、


「知らない方が身のためですが、大金持ちなのは間違いないです」


 フランクはニコニコしたまま教えてくれた。


 ――聞かない方が身のため、とは……?


 数えるほどしか会ったことがないイヴェールの、整い過ぎて人間みが感じられない顔を思い浮かべる。……とんでもないお金持ちということは、上位貴族なのだろうか。でも軍にいるということは長男ではない……?

 あの得体の知れなさは、出自と関係しているのかもしれないとふと思ったが、まあそれはそれ。


 フランクの案内で、まずはドレスショップに連れていかれた。ルイの提案を真に受けて、オリッサ駅でだめにしたドレスのぶんを買ってくれるということだった。


「費用は大金持ちのイヴェールさん持ちなので、ご安心ください」


 どれだけ金持ちなんだ、もしかして軍事費から出ているのではないだろうな、と疑ったセシアである。


 昼食は人気のレストランを予約してくれていた。楽しく食事をし、午後には王都の人たちの憩いの場である植物園に案内してもらった。大きな池があるので、渡る風が涼しい。色鮮やかな花々は心が和む。その後、一度ホテルに戻り、衣装直しをしてから、歌劇場に向かう。着るのはセシアの持っている中でも一番のお気に入りのドレスだ。


 黄金色のシルクサテンの生地の上に、濃い茶色のシルクシフォンでできた楢の葉の模様が、はめ込み刺繍で施されている。上半身はすっきりと、ウエストは細く絞られ、流れるようなスカートのラインが美しい。色味を抑えてあることもあり、華やかだが派手過ぎず、優雅。セシアの髪色にも映える。初めて着た時はその大人っぽい雰囲気に、うっとりとしたものだ。

 ドレスに見合うよう、髪の毛を結って飾りを刺し、首元にはきらきらと輝く首飾り、耳元にはお揃いのイヤリングをつける。


「ルイ様とご一緒でないのが残念ですね」


 着付けをしてくれたメイドが残念がるのも頷ける。今日のセシアは、婚礼衣装を除けば今までルイに見せたことがない、最も華やかな装いだからだ。

 婚礼衣装は間に合わせだったことを思えば……たぶんこれが一番、きれいな自分。


「……そうね」


 この姿を見せたかったな、と思う。ルイには酔っぱらってひっくり返ったり、破いたスカートで走ったり、泣いて化粧がぐちゃぐちゃに落ちたりと、とんでもない姿ばかり見せてしまっている。

 ああでも今日のルイは仕事中。わがままを言ってはいけない。

 待ち合わせ時間になったのでホテルの玄関に出てみれば、フランクが先ほどの黒塗りの車とともに、盛装で迎えに来てくれていた。


「うわあー、おきれいですね!」


 セシアを見るなりフランクが声を上げる。


「これは役得だなあー」

「あなたは慣れているの? こういうことに」


 フランクと一緒に自動車に乗り込みながら聞くと、フランクは「いいえ」と首を振った。


「女性のエスコートなんてほとんどしたことがありませんよ。でもハッタリは上手かもしれませんね。これは僕だけじゃないと思いますけど」

「ルイも?」

「ルイ? ……ああ、そう、トレヴァーさんも」


 ルイの名前にフランクが一瞬戸惑った様子に、ふと、ルイが名乗っている「ルイ・トレヴァー」という名前は偽名なのかもしれない、と思った。


 ――本名で人を偽る任務に就くわけがないわね、そういえば。


 今頃その可能性に気づき、セシアは内心で自嘲した。なぜその可能性に気づかなかったのだろう。セシアと結婚するにあたり用意した名前に違いない。


 本当のルイは「ルイ・トレヴァー」という名前ではない。ルイは正体不明の誰か。初めて見た時は、クロードに似ていると思った。でもクロードとは印象がずいぶん違う……他人の空似という気もする……。

 本人だと決めつけるには、決め手に欠けるのだ。


 ――あなたは、誰なの……?


 フランクが隣で明るく話しかけるが、セシアの心は今ここにいない夫のことを考えていた。




 バルティカ王国は大陸の中央部を支配したこともある。帝国の首都時代、キルスは芸術の都として知られた。その名残として音楽分野に関しては、今も大陸で存在感を放っている。

 今までは遠くから見るだけで近づいたことがない王立歌劇場を、セシアは車の中から見つめていた。

 遠目にも立派な建物だが、近づけばその大きさに圧倒される。

 そしてドレスアップした人たちの多さ。


 歌劇場は夜会と並ぶ社交場のひとつだ。だからセシアもわざわざ着替えて来たのである。

 やがて自動車は滑るようにして歌劇場前のロータリーに入る。イヴェールが職権を濫用しなければチケットがつかめなかったというだけあって、ロータリーは馬車や自動車で混雑していた。


「ほかの車にはねられないようにしないといけませんね」


 間近につけることができないので、ロータリーの手前で降りることにする。フランクに促されて自動車を降りたところで、ふと目の前が暗く……いや、黒くなった。


 ――黒?


 顔をあげると、黒い軍服をきちんと着こんだルイが立っていた。

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