第四章 王都にて

第28話 あなたは誰なの 1

 翌日、セシアとルイはアルスターから連れてきたメイドを引き連れて王都行きの列車に乗り込んだ。一週間の滞在のはずが三日に短縮されたあげく、二人してけがを負ってきたことにセシアの祖父母は驚きを隠せなかったが、仕事があるからという理由で押し切った。


「嬉しい便りを待っているわね」


 別れ際、ニコニコとそう発破をかけてきた祖母に笑い返したものの、そんな日が来ることはないのでセシアは切なくなった。

 そして列車に揺られること六時間。夕方、というには少し早い時間に、セシアたちは王都に到着した。


「お待ちしておりました」


 ホームに着いたところで、一人の青年がにこやかに出迎えてくれた。赤毛に褐色の瞳、ソバカスが散っているので幼く見えるが、ルイが連絡を入れるくらいだ、きっと軍の人なのだろう。


「僕はマルセル・フランクといいます。トレヴァーさんの下で仕事をしています。王都で奥様のお相手を務めさせていただきます!」


 セシアの疑問は、赤毛の青年の自己紹介で解決した。


「よろしくね、フランクさん」


 セシアがにっこりと笑ってみせると、途端にフランクがぱあ、と顔を赤らめる。

 純朴だ……。


 ――ルイの部下ということは、必然的にイヴェール少佐の部下なんだろうけど、大丈夫なのかしら。


 人の皮をかぶった何かに見えるイヴェールを思い出し、セシアは他人事ながら心配になった。ルイが臈長けて見えるのはもう、イヴェールの部下だからに違いない。

 とはいえ、そのイヴェールが純朴なフランク青年を案内役として手配したのだろう。セシアが一人にならないように。

 純朴だろうと彼も軍人、そしてイヴェールとルイの部下であれば腕が立つ人なのかもしれない。

 イヴェールはセシアにも気を遣ってくれている。得体は知れないが、仕事はできる人なんだろうな、とセシアは思った。


 ――でなければあの若さで少佐なんて偉そうな役どころに就けるはずがないものね……。軍隊のことはよく知らないけど。




 フランクに案内されたのは、王都でも指折りの高級ホテルだった。しかもその最上階、もっとも高価なスイートルーム。


「……ここ?」


 思わずセシアはフランクに聞き返した。


「はい」

「こんな……高価なお部屋を取って下さったの?」


 きちんと使用人の控えの間までついている。


「イヴェール少佐からの指示です。今は社交シーズンということもあり、『この部屋しか用意できなかった』との伝言を承っております」

「……事情をわかっているくせに、やりやがったな、あいつ……」


 寝室をのぞいて、ルイが忌々しげに呟く。

 寝室には、ダブルサイズのベッドがひとつ。


「今度会ったら、カエル投げつけてやろう。特大のヒキガエルをな」

「そんなことしたら絶交されますよ」


 ルイの嫌がらせに対し、フランクが冷静にツッコミを入れる。イヴェールはカエルが苦手なのか……。

 底知れない不気味さがあるくせに、妙にかわいい弱点を持っているではないか。


「まあ、いい。ここはセシアが使うといい。俺は……」


 ちらりとルイがフランクを見る。フランクが肩をすくめる。


「いいえ。あなたが使えばいいわ、ルイ。私は、おじい様が使っていたホテルに行くから」

「俺一人でこの広い部屋を使えと? 俺しかこの部屋に泊まらなかったと知ったら、イヴェールから宿泊料を請求される。第一、連れてきたメイドが不思議がるだろう」


 ルイの言い分はもっともだ。


「それもそうね……もし、ルイに行くところがないのなら、おじい様が使っていたホテルを紹介するわ。ドワーズ家にはタウンハウスがないの。叔父様が住んでいるから。そのかわり、通年で借り切っている部屋があるのよ。おじい様はあんなことになったけれど、解約はしていないわ。私も、今後は王都に行く機会が増えると思ったから」


 セシアがそう申し出る。


「いや、大丈夫だ。ただ、明日は仕事で一日不在にするから、フランクにエスコートを頼んである。……俺とは違って王都にも詳しいから、新しい服を仕立ててもらったらどうだ? 金額は気にしなくていい、イヴェールは金持ちだからな」

「ああ確かに、イヴェールさんは、お金持ちですよねー。それも半端ない」


 ルイの言葉を受けてフランクが笑う。


「明日は九時過ぎにお迎えにまいりますね。トレヴァーさんだけでなく、イヴェールさんからも、くれぐれもセシア様をよろしくと言いつかっておりますので。どこへでもお供しますよ。そうそう、そのイヴェールさんが、今、王都で人気沸騰中の、チケットが取れないで有名な歌劇のチケットも職権乱用で取ってくれています。あ、歌劇はお好きですか?」

「ええ……歌劇は好きです……」

「では、明朝、お迎えにまいります」


 にっこり笑って、フランクが部屋を出ていく。

 セシアはちらりとルイを見た。

 歌劇は上流階級の人たちの娯楽であると同時に社交場でもある。おしゃれをし、パートナーを伴って観劇に行くのが一般的だから……、フランクとともに行くのは構わないのだが……。


 ルイと一緒に行きたかった。


 ああでもルイと行くためにイヴェールはチケットを取ってくれたわけではないだろう。これは単純にセシアのためのもの。ルイをそこまで自分のために使ってはいけない。そう……、最初の頃、ルイがセシアと距離を取りたがっていたのは、人間関係を構築することで生じる干渉を避けるために違いない。今ならわかる……。


「……ホテルの場所を教えるわ。私の名前を出せば通してもらえるはずよ」

「いや、いい。……フランクのところに泊まる。軍服を送ってあるんだ、そこに」


 セシアの言葉に、ルイが断りを入れる。


「……。そう」


 セシアはぽつりと呟いた。ルイはずっと、仕事中。


「お仕事、がんばってね」


 ――私のそばにいるのも、仕事だから。


 セシアがそう言うと、ルイが少し驚いたような気配を見せた。

 はっきりと感情を表に出すタイプではないが、このところずっと一緒にいるからか、わずかな変化でルイの喜怒哀楽くらいはわかるようになってきた。


 ――私にできることは、この人の邪魔をしないこと。任務遂行に協力をすること。


 セシアの問題である相続に関しては、全面的に力を貸してもらった。だから今度はセシアの番だ。彼の役に立つのは難しいから、せめて「考えなし」と言われないように……邪魔をしないようにしなくては。ルイならやり遂げることができるだろう。その後、叔父と再び対峙することになると思うが、それはセシアの問題である。自分がなんとかすることだ。

 ルイの広い背中を頼ってはいけない。

 ……彼に、迷子になるたびに自分を見つけに来て手を引いてくれた、クロードの面影を重ねてはいけない。クロードはもう遠い過去の存在。


 ――一人に慣れなくちゃ。


   ***


 王都に到着後、ルイは出迎えのフランクを追い返し、セシアとホテルのレストランで夕食をとり彼女を部屋に送り終えたあと、路面電車に乗って市内を移動した。


 王都の中心にあるため、どの路線に乗っても、路面電車の車窓からは壮麗な王宮が見える。明日はあそこに行かなくては。アレンから言いつかっている指示とは、失われた王妃の首飾り探しの進捗状況を直接国王に報告することだった。とはいえ、見つかっていない、の一言を言うためだけに行くので気が重い。アレンもちょくちょく報告をさせられているのになぜ、アレン本人ではなく、軍の重役でもなく、自分が行かなくてはならないのか、そこは不思議でならないが、上官の命令は絶対。それが軍隊というところだ。

 路面電車を降り、王宮を遠目に見ながら、ルイは目的地に向かった。


「なんで奥方と別々に泊まるんですか、あんなに大きな部屋を取ってもらったのに」


 目的の安宿の一室のドアを叩けば、先ほど迎えにきたフランクが顔を出す。コードネームは赤。今はフランクと名乗っている彼の本名は知らないが、青が送り込んだイヴェールこと第二王子アレンの工作員の一人だ。


「白い結婚が前提なのにアレンはアホなのか。それに俺の軍服はおまえあてに送ってあるんだろう。オリッサから電話した時に、アレンが言っていた」

「……殿下を呼び捨てにするの、黒さんだけですよ」

「みんな真面目だな」

「黒さんのその態度が許されているのが不思議で」

「……。一応本人には敬語を使っているが」


 アレンの飼い犬という自覚はあるが、自分はバルティカ人という認識が薄いせいだろう。だから、アレンに従っても忠誠を誓っているわけではないのだ。

 あいつに従っているのは、それが自分にとって都合がいいから。

 金もくれるし、母の生活も保障してくれる。

 それだけだ。


「そうだ……ドワーズ家のタウンハウスのほうはどうなっている? アレンからは屋敷を使えなくすると聞いたが」


 部屋に入り、胸元のタイを緩めながら聞く。


「そうそう、水道管に細工してあの屋敷を使用不可にしています」

「……なんでそんな手の込んだことを?」


 手を止めて、ルイが呆れたように言う。


「そうすればタウンハウスから出て行かざるを得ないでしょう。殿下はフェルトンを追い込む気なんですよ。実は王都のホテルで使える部屋全部、殿下が押さえてしまってるんです。だからジョスラン・ドワーズは王都内で宿泊できる場所がない。……まあそういうわけで、黒さんと奥様もダブルベッドの部屋以外をご用意できたんですけど、そこは殿下が」


 ルイはフランクを睨んだ。面白がっていたフランクがその視線に気づいて、肩をすくめる。


「で。水道工事で呼ばれた担当者は『復旧まで半月程度。ホテルに泊まるか、実家に帰るか』を提案して、ジョスラン・ドワーズは実家に帰ることを選びました。三日ほど前ですかね」

「……じゃあ、今、ジョスランはアルスターにいるのか?」

「ええ。夫人に加え、複数の使用人を連れて大移動していきましたね。中にフェルトンもいたのは確認しています」


 フェルトンの試験薬は未完成の状態で、生きた菌を使用することから時間がたつほど完成が難しくなる。ジョスランはフェルトンに試験薬を作ってもらいたい。そのためには少なくとも設備を確保する必要がある……金が必要だ。


 アレンの調べでジョスランの財政状況もわかっている。借金返済のために借金を重ねる多重債務状態で、雪だるま方式に利息が膨らんでいる。その状況を打開するために、ジョスランがフェルトンの薬を使って自身が管理を任されていたドワーズ侯爵所有の領地を売り払おうとしていたことも。さらにセシアからは、ドワーズ侯爵の最期についても聞いている。真っ黒なのに証拠がないとセシアが悔しがり、叔父にドワーズ家を渡すことはできないと主張するのも当然だ。

 姪に目の前で遺産をかすめとられたジョスランが、フェルトンの薬を手にしている。

 実父に使った男が、姪に使わないはずがないのだ。


「そうか。……アルスターに戻った時が、正念場だな」


 ルイはぽつりと呟いた。


 セシアが泣くようなことにならなければいい。

 そして、守れるか?

 自問をする。

 ああ、必ず守る。

 この右手で?


 左手でタイをほどき、一番上のボタンをはずしながら、ぼんやりと思う。

 右手は使えない。左手だけで。

 もし、この作戦で左手が使えなくなっても……、セシアを守れたら、それでいい。

 十五歳の自分は非力だった。今は違う。今は守れるはずだ。

 彼女の笑顔を守りたい。

 それだけなのだ。それ以上は望まない。

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