第27話 ジョスランの独白 2

 そんな暮らしになってどれくらい過ぎた時のことだろうか。タウンハウスを維持するよりホテルを借り切っているほうが滞在費は安く上がるのだと、ジョエルが教えてくれたことがあった。


「おまえには先見の明があると思う」


 十歳以上年の離れた兄と親しくした覚えはない。個人的な会話もほとんど交わした覚えがないのだが、ある時、なぜか話しかけてきたのだ。


「考え方も柔軟だ。おまえならきっと、うまくやれる。ジョスランが僕を手伝ってくれたら、ドワーズ家も安泰なんだけどな」

「……御免被る。兄上はともかく、父上は喜ばないだろう」


 その頃にはすでに、父との亀裂は決定的になっていた。


「そんなことはないさ。父上はおまえを心配しているんだよ」

「……金遣いの荒さを心配しているんだろ。ドワーズ家に累が及ぶのを恐れているだけさ」


 ジョスランの言葉に、兄は何と答えただろう。もう思い出せない。そしてその直後、兄は奥方とともに事故に遭って帰らぬ人となった。




 兄の死後、父が考えを改めて自分を次期侯爵に指名すれば、アルスターに戻らないこともないと思った。それは頑なに自分を認めようとしない父の敗北の証しでもあるからだ。

 父には選択肢はない。後継ぎにできるのはジョスランだけだ。

 だが、父はいつまでたってもジョスランを次期侯爵に指名しなかった。その一方で、ジョスランの生活態度への口出しは兄が生きていたころよりもひどくなった。


 ――生活態度を改めたら次期侯爵に指名されるのか?


 そうは思ったが、それでは自分が負けを認めるみたいでいやだ。加えて王都での自由な暮らしに慣れてしまった。今さら兄のような暮らしができるとは思えない。それに……だ。

 父はすでに高齢である。この国の法律では、一番近い男子が相続人になる。


 ――これは何もしなくても、自分がドワーズ家の相続人になるのではないか?


 そう気づいたが、セシアがいる。

 兄の忘れ形見。


 いや、セシアは相続人にはなり得ない。何しろ父はジョスランに生活態度を改め、ドワーズ家の人間にふさわしくなれと言っている。一方でセシアには結婚相手を見つけろとせっついているのに、逆にキルスの社交界を嫌って困る、とは(聞いてもいないのに)父から聞かされていた。これは、ジョスランを次のドワーズ侯爵にするための布石に違いない。


 貴族は財産の散逸を防ぐために、長男がそっくり家督を相続することが一般的である。弟たちがいる場合は話し合いで多少は財産の分け前があることもあるが、基本は相続人が一人ですべて受け継ぐ。そのかわり相続人は一族の面倒を見なければならないし、結婚して子どもを作り、その子に財産をそのまま渡す義務を負う。家の存続、繁栄が何よりも優先される。そういう意味で、出産で命を落とす可能性がある女性より、その危険性が少ない男性が優先されるのだ。


 ドワーズ侯爵には、息子が一人、孫娘が一人。


 考えが古い父が、息子を無視して孫娘に相続させるわけがない。

 そう思っていた。だからマデリー売却に関しては、書類にサインをもらえればよかった。殺すつもりはなかった。あの男……、夜のバーで出会ったフェルトンという男が売りたいのだという「人を意のままに操ることができる薬」……本物なら大したものだと思い、「本当に言う通りの効き目が出るのなら宰相にでもつないでやる」と持ち掛けてやった。


 フェルトンは軍の研究者だが、自分が正当に評価されないと嘆いていた。話せば確かに頭はいいようだが自己顕示欲が強く、それを隠そうとしない馬鹿正直さがある。頭「だけ」がいいタイプのようだ……確かに研究職を目指すような世界であれば、頭のよさというか、学力の高さは武器になるだろうが、それだけで勝てるほど世の中は単純ではない。だがフェルトンには学力が優れている自分はもっと大切にされるべきだ、条件さえそろえば素晴らしい発明をすることができるはずだからと思っているフシがある。


 完璧な人間などいないことは、ジョスランもわかっている。自分も、父や兄、そして姪のような「堅実で高潔な人物」になれないことは自覚しているが、時と場合によっては自分を偽る――いや、演出することくらいはできる。しかしこのフェルトンという男は、自分を演出することができないようだった。


「絶対にすごい発明なんですよ~。人を思い通りに操れるのに、どうして開発中止……その上、大切な菌が生きている遺跡を爆破だなんて。あの菌は環境変化に弱い。遺跡の温度、湿度、そしてあそこの特別な水があってこそなのに~」


 フェルトンの見つけた画期的な薬は、東方軍のトップ、第二王子アレンによって開発中止の命令が出ており、菌が採取できる場所は爆破されているのだという。

 アレンの素早い動きから、ジョスランは「この薬は本物だ」と確信した。ではなぜアレンはこの薬を自分のものにしなかったのだろう?


 本物ゆえに、人の手に渡ることを警戒した、とみるのが正しいだろうか。だがフェルトンは逃げた。今頃、血眼になって探しているに違いない。


 そしてフェルトン自身は特に、有力者にツテがあるわけではない。とりあえず、大切な菌と薬のサンプルを持って研究所を出て、王都へ来たはいいものの……という状態であるらしかった。

 アシがつくので貯めた預金も引き出せないという。困り果て、とりあえずバーに入り込んだところでジョスランと出会ったらしかった。


「だったら僕のところにおいで。僕はね、未来に役立つものに対して支援をすることが大好きなんだ。もちろん自己犠牲精神でそう言っているわけじゃない、見返りがあることを期待してはいる。君の話を聞けば、君の発見はなかったことにされるには惜しいものだと思うよ。それに、君自身が素晴らしい研究者であることもわかる。アレン王子は君の才能を恐れたに違いない」


 独特のしゃべり方で熱っぽく語るフェルトンをどうやって取り込もうか考えながら話を聞き、最後にフェルトンのほしがっている言葉を与えたら、目を輝かせた。


 フェルトンを王都のタウンハウスに招き、彼が発明した「人を操れる薬」の効き目や扱い方を詳しく聞いているところに、アルスターの父から「話がある、そちらを訪問する」という連絡が届く。

 業者に依頼したマデリーの売買契約書が届かないので不審に思って問い合わせたら、名義がドワーズ侯爵なのでアルスターに送付したと言った。ああ、その件だろう。ちょうどいい、フェルトンの薬とやらを使ってみよう。


 この薬は、飲む人の体質によって効果の出方が変わる。そのせいで実用化には至っていないとフェルトンが言っていた。だが、「人を操る」という効果そのものは間違いなく現れるので、なんとか実用化までこぎつけたいという。


 だからフェルトンに研究資金と研究場所を提供してやると約束する一方で、フェルトンが持ち出した試験薬を使わせてもらうことにした。サンプルは三本ある。……三本しかないともいえるが、それでも十分だろう。万が一、フェルトンの研究が失敗に終わっても、このサンプルが「ある」というだけで交渉材料になり得るが、まずは効果を確かめたい。フェルトンの言い分を鵜呑みにするほどジョスランも愚かではない。


 本当は生のまま飲ませれば一番効果的らしいが、ジョスランとしては父を殺したいわけではない。体質に合わず死なれても困るので、「熱に弱い」という弱点を利用させてもらうことにした。

 お茶に混ぜて父に飲ませることにしたのだ。熱に弱い菌だが、熱湯の中でも数分間は生きている。その間に飲ませてしまえばいい。……熱で多少は効果が弱まる可能性がある、とフェルトンはいっていたが、だったら願ったりかなったりだ。父に死んでほしいわけではない、ただマデリーの売買契約書にサインがほしいだけだ。数分間だけジョスランの言うことを聞いてくれたらいい。


 だからお茶を淹れる前に、蜂蜜に混ぜて自分と父のカップにフェルトンの薬を入れた。セシアが断ってくれたのは助かった。セシアにまで薬の反応が出たら、さすがにまずい。

 あの時、あやしまれないようにカップに口はつけたが、飲んではいない。

 果たして父は、一口飲んだだけで薬の効果が現れたようで、そのあとジョスランがすすめるままに熱いお茶を一気飲みしてくれた。


 ――この薬は本物じゃないか。


 興奮したのもつかの間……、父の様子が変化し……。

 熱を加えることから念のためにとサンプルを一本まるまる使ったのが良くなかったのかもしれない。そのあとのことは、ジョスランとしても予想外だったのである。


 疑うセシアの前で自分のお茶を飲み、セシアのぶんも飲んでみせた。薬が熱に弱いと知っていたからできたことだが、内心は冷や冷やした。もし自分にも……と思ったが、フェルトンが「環境変化に弱い」と嘆くだけはある。


 どんなに調べたところで、フェルトンの薬は出回っているものではないし、熱にも弱ければ実は空気にも弱い。生成された薬品を瓶から出して数分で使い切らなくてはならない。だから万が一、サンプルが見つかってもあまり心配はしていない。調べようといじくっている間に毒素は消えてしまうから。


 フェルトンはそういった取り扱いが難しく繊細な部分も改善すべき点とみているが、ジョスランとしては今のままでも十分ではないかと思う。ただ数が少なすぎる。

 そして父の死。……まあ、いい。不慮の事故なら願ってもない。次のドワーズ侯爵は自分だ……そう思ったのに、父は遺書を残していた。

 あの気に入らない小娘を相続人に。

 しかもあの小娘は、相続条件をクリアするために慌てて結婚する始末。どこまでも舐めた真似をしてくれる。


 父といいセシアといい、どこまで自分をコケにしてくれるのか。


 だが、セシアが相続のためだろう、どうやら「ルイ・トレヴァー」になりすました男と結婚したらしいことはつかんだ。これは自分を陥れるための明らかな犯罪行為ではないか?

 さあ、どこから切り崩してやろうか……。

 セシアもルイも、ともに破滅に追い込んでやる。そしてドワーズ家は正しい相続人のもとに返ってくるのだ。

 そう、自分のもとに。


 ――僕がドワーズ侯爵の唯一の息子だからな……!


 孫娘なんかに渡すものか。

 父の思惑も粉々にしてやる。旧態依然とした貴族の暮らしを守っていたところで、この先に待っているのは収入の先細り……つまり没落だ。幸いにしてドワーズ家は名門として知られている家柄だ、潰してしまうのには惜しい。


 自分ならもっとうまくドワーズ家の名前を使える。

 爵位を継げば有力貴族も政財界の人間も、自分を無視できなくなる。


 そう考えるとわくわくする。そのためにもドワーズ家を手に入れること。そしてフェルトンの薬だ。うまく使えば大金など使わなくても多くのものを手に入れることができる。今まで欲しいと思いながら指をくわえて見ているだけだった、いろいろなものが。


 まず誰に近づこうか。


 フェルトンと対立している第二王子は頼れない。なら第一王子に近づこう。二人の王子が次期国王の座を巡って対立しているのは知っているが、国王の代理を務めることが多い第一王子と国境の番人になっている第二王子では、第一王子のほうが断然に有利だ。第一王子には現職の宰相が後ろ盾になっている。有力な後ろ盾を持たない第二王子は旗色が悪い。


 近づくべきは第一王子、そして政治の中枢にいる宰相のカロー公爵。

 そのためにもジョスランは「ドワーズ侯爵」にならなければならないのだ。ドワーズ家のジョスランではだめだ。爵位が必要だ。


 ――なんとしてもセシアからドワーズ家を取り返す……。


 そんな決意を固めた矢先、タウンハウスがある区画の水道管が破裂して道路が水浸しになる事故があり、復旧まで時間がかかると水道局から連絡が入った。その間、水道が一切使えないという。


「ホテルを借りるか、その間だけ領地に戻られるかしたほうがいいでしょうね」


 水道局の調査員の言葉に、まずは王都中のホテルに連絡をして空室があるか確認したが、社交界シーズンということもありどこにも空きがないらしい。ホテルの水準を下げれば見つけられそうだが、貧乏人たちと同じ宿に泊まるなんて虫唾が走る。狭くて汚れたバスタブを使う気にはなれないし、しらみのわいたベッドなんて言語道断だ。


 しかたなく、ジョスランは工事が終わるまでアルスターに戻ることにした。アルスターといえば、セシアたちだが、新婚旅行でちょうど留守にしているという。


 ――うまくやってるじゃないか、なりすまし男め。


 そしてセシアもセシアだ、まんまと騙されて。つくづくいやになる。

 金の力は偉大だが、「ドワーズ家のジョスラン」ではやはり箔が付かない。ドワーズ侯爵の名を手に入れたらきっと風向きは変わるはずだ。それもいい方向に。


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